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足利義昭とはどんな人?生涯・年表まとめ【信長や光秀との関係、子孫も紹介】

1576〜1586年 – 40〜50歳「鞆幕府」

潮待ちの港として古代から有名だった鞆の浦

毛利輝元を悩ます義昭

1576年、突如義昭は鞆(現在の広島県福山市)に姿を表します。安芸の大名・毛利氏を頼ろうとしたのです。当時、信長が西国にも勢力を拡大していたため、これまで友好関係にあった毛利氏とも勢力範囲がぶつかるようになってしまい、織田と毛利は和平交渉をしている最中でした。毛利氏にとって、義昭は最悪のタイミングで現れた、とんだ厄介者だったのです。

義昭が頼った毛利輝元

興味深いことに、毛利家文書にこの事態をどう切り抜けるかを検討した内容が残されています。そこには信長と戦う場合、戦いを避けた場合と2つのパターンが書かれています。

信長と戦うと、今交戦中の九州の大友宗麟や山陰の尼子勝久に加えて信長も相手にすることになり、厳しい状況が予測されました。

キリシタン大名としても有名な大友宗麟

一方で戦いを避けるとなると、仮にも将軍である義昭を放逐することになり、それは毛利の名前を貶めることになってしまうと考えたのです。また、このままいくと織田軍はさらに強大化してしまい、毛利としても手を出せない勢力になってしまうので、今戦う以外に信長を封じ込めるチャンスはないという判断もありました。

毛利は義昭を匿い、信長と戦う選択肢を選びます。結果的に義昭にとって歓迎すべき状況になったわけです。一方、毛利と織田にとっては、積極的に戦うつもりがなかったのに、義昭の来訪で戦わざるを得ない状況となりました。

そして後々、毛利との戦いが長引いたからこそ、豊臣秀吉はその援軍を信長に頼み、明智光秀が出兵し、信長も上洛したことで本能寺の変が起きるわけです。義昭の鞆への来訪は、歴史を大きく動かす一手となりました。

信長封じ込め作戦

上杉輝虎宛の足利義昭御内書

1576年5月、毛利氏が義昭からの信長打倒の上意に応じ、反信長の旗を掲げます。すると信長に同盟していた上杉謙信も反信長に転じます。義昭はすかさず御内書を遣わし、信長打倒の意思確認をしました。続いて武田勝頼、続いて大坂本願寺も信長打倒の約束をし、ここに反信長大同盟が成立するのです。

この頃になると、義昭は「足利将軍家」の看板を持っているという価値を最大限利用していることがわかります。毛利にとっても、義昭がいることで将軍家のための戦いという正義を示せるのは都合が良く、また世間的にも毛利は名を挙げることができました。

荒木村重の調略

荒木村重が籠城した有岡城の戦いでは、交渉にきた黒田官兵衛(如水)が土牢の幽閉されました。

義昭は多くの諸将を反信長派につけようと画策しますが、その調略が上手くいったものの一つとして、荒木村重の信長からの離反があると言われています。

荒木村重といえば、信長が重用した宿将であり、裏切りの知らせを聞いた信長は大きな衝撃を受けて激怒したという記録が残っています。この信長を慌てさせた荒木の造反は、義昭の家臣が毛利に帰順するよう説得した結果だというのです。

上手くいかない反信長軍の連携

信長一強の状況を避けようと、反信長派についた大名や集団は多々ありました。義昭が信長追討を命じる御内書を出したことで、動いた諸将もいます。しかし、反信長派として連携して動くことができなかったために、信長を封じ込めるまではいきません。

戦国時代でも指折りの謀将として知られる宇喜多直家

1578年3月には上杉謙信が他界し、1579年10月に宇喜多直家が信長に降参、12月には荒木村重も信長に降ります。再度蜂起していた石山本願寺も、1580年には白旗を上げ、1582年3月に信長は武田氏を滅亡させました。反信長派は追い詰められていきます。

本能寺の変

明治時代に描かれた本能寺の変

1582年6月2日、本能寺の変で信長は明智光秀に討たれます。この知らせを聞いた義昭は、自分の帰京に尽力するよう、すぐ挙兵せよと毛利に命じます。しかし毛利は正確な情報を収集するのにも、同盟者たちに連絡を取るにも時間がかかり、すぐには動けませんでした。

義昭を利用する人々

継父・柴田勝家を失った浅井三姉妹(茶々・後に豊臣秀吉側室、初・後の京極高次正室、江・後に徳川秀忠正室)

信長亡き後、その後継者争いに名乗りを上げた柴田勝家も豊臣秀吉も、義昭に接近します。義昭が持つ人脈の広さ、政治的価値に魅力を感じたからでしょう。義昭は、豊臣秀吉と戦いを始めた柴田勝家に加勢するよう毛利に命じるも、毛利は様子見をして出兵しなかったため、柴田勝家は負けてしまいます。

豊臣秀吉

秀吉は、義昭の希望通り帰京させようとしていました。しかし、一番の懸念材料であった徳川家康が秀吉に屈服して以降は、秀吉がいわゆる天下人であり、義昭の将軍という存在価値は逆に邪魔なものでしかなく、義昭を京都に迎えようとはしませんでした。

将軍義昭の最後の仕事

豊臣秀吉と島津義久の和睦の様子

1585年頃から、豊臣秀吉は天下統一に向け九州制圧に乗り出します。しかし島津は最後まで抵抗します。そこで1586年12月、義昭は島津に対し、和睦を周旋するから受け入れるように伝えます。1587年3月、秀吉は島津討伐に向かう途中で義昭に対面しています。そして5月、島津は秀吉に降伏するのです。

1587〜1597年 – 51〜61歳「穏やかな晩年」

歴代の足利将軍の木像が並ぶ等持院

念願の帰京

本能寺の変以降義昭が住んでいたとされる津之郷には、義昭を祀る惣堂神社がある

島津の降伏が義昭の周旋の結果であったと秀吉は認め、1587年10月頃に義昭はようやく帰京しました。義昭は秀吉の臣下となり、1588年1月13日には秀吉に従って参内し、将軍の職を辞し、准三宮の位を授かりました。また、出家して昌山と号しています。

文禄の役

また、1592年3月には、秀吉は朝鮮出兵(文禄の役)の指揮のために九州へ出陣します。義昭もその出陣に従い、九州の名護屋まで行っている記録があります。

義昭の最期

1597年8月、義昭は病に倒れます。腫れ物が原因とも、高齢ながら名護屋まで出陣した疲れが死を招いたとも言われています。8月28日、ついに息を引き取りました。享年61歳でした。

足利義昭の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

将軍足利義昭ー信長を一番殺したかった男ー

足利義昭の生涯を凝縮して一冊にまとめて描いています。絵が可愛いので、日本史が苦手な人にもとっつきやすい作品です。漫画ではありますが、地図や写真も活用しながら説明されているので、勉強にもなります。特に義昭が将軍になった前後の行動は、あちこちへ行くため頭の中だけでは理解し辛く、地図で書かれるととてもわかりやすいです。

足利義昭をメインで扱う作品は意外と少ないので、そういう意味でも稀少であり、足利義昭についてのよく知らないという初心者にもぜひおすすめします。

信長と将軍義昭

織田信長と足利義昭の関係について、従来までは義昭は、信長による傀儡政権というイメージがついて回っていたように思います。しかし実際には、義昭は信長包囲網を形成しようとするなど、自分の意思で行動していることも多く、義昭はよくドラマなどで描かれるような単なる愚かな将軍ではなさそうです。

この本を読むと、それについての歴史的な説明が書かれていて納得できます。義昭が使えない将軍だというイメージを持っている人にこそ読んで欲しいです。また、織田信長を知る上でも足利義昭への理解は欠かせないこともよくわかります。

松本清張ジャンル別作品集ー武将列伝ー

ここに含まれている「陰謀将軍」という短編が足利義昭について描かれたものです。推理小説で知られる作家の松本清張によるもので、あとがきに著者自身が義昭好きであることを書いています。義昭の心情を丁寧に推測し、歴史的事実にきちんと沿う形で描いているので違和感がなく、逆に足利義昭という人間に興味を持たせてくれる、魅力的な短編です。

本当に義昭がこんな思いで行動していたのかどうかはわかりませんが、彼を理解するとっかかりの一つになると思います。短いので、手軽に手に取って読める点もおすすめです。

おすすめの動画

【漫画】足利義昭の生涯を簡単解説!【日本史マンガ動画】

足利義昭の生涯を、マンガを使って15分でわかりやすくまとめています。実際にこんな会話であったかどうかは別としても、足利義昭をよく知らない人にも理解しやすいように、ポイントを押さえている解説です。短い動画なので、これを見てから内容の濃い本などに手を出すのも良いですね。

特別展:室町将軍ー戦乱と美の足利十五代ー

2019年に九州国立博物館で開催された、室町将軍にスポットを当てた展覧会です。足利義昭の書状や、洛中洛外図屏風も展示されていました。

何より、等持院に並んでいる歴代の足利将軍坐像が勢揃いしているのが圧巻です。等持院でも見られますが、場内があまり明るくないため、ここまではっきり一つ一つを見るのは難しいです。そういった意味でも貴重な映像です。

「麒麟がくる」第28回「新しき幕府」

戦国時代を専門にしている小和田哲男教授が、大河ドラマ「麒麟がくる」の史料的解説をしています。ドラマを見るだけではなく、実際に史料ではどう書かれているのか、その歴史的背景と共に説明されているので、深い理解が得られます。

おすすめのアニメ

信長の忍びー伊勢・金ヶ崎編ー

重野なおきの原作は4コママンガで、今もヤングアニマルに連載中です。アニメも原作に忠実でショートストーリーが続いていきます。短い分テンポがよく、デフォルメされたキャラクターたちのギャグ要素も敷居を低くしてくれており、誰にでも見やすい歴史アニメです。

主人公は伊賀の忍びである千鳥で、信長に仕えています。足利義昭も若干鬱陶しいキャラクターで登場します。話の流れは史実に沿っていて、通史の勉強にもなる作品です。

信長協奏曲

石井あゆみの原作漫画は第57回小学館漫画賞少年向け部門を受賞しています。そしてこの作品は2014年、フジテレビ開局55周年プロジェクトでアニメ・実写ドラマ・映画に展開されました。実写ドラマ・映画は話数が少ないので設定の違うところもありますが、アニメは笑えるシーンも多く、原作の雰囲気を忠実に再現しています。

主人公は現代を生きる高校生サブローです。偶然タイムスリップした戦国時代に出会った織田信長が、自分とそっくりな容貌をしていたことがきっかけで織田信長の代わりに戦国時代を生き抜いていくストーリーです。足利義昭は歴史上の設定のまま登場します。

おすすめドラマ

麒麟がくる

NHK 大河ドラマ『麒麟がくる』

2020年度のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」は明智光秀が主人公ですが、足利義昭役には滝藤賢一が好演していますね。純粋に民の安寧を願っていて、将軍という立場もそれを叶えるためと考えており、織田信長とは理想とする社会が違うことを鮮明に伝えてくれています。

これまでの戦国時代を描く大河ドラマでも足利義昭は登場することは多々ありましたが、今回は戦国大名の中でも特に義昭と関わりが深い明智光秀が主人公なので、これまで以上に義昭の登場も多くなることでしょう。

功名が辻

2006年NHK大河ドラマ「功名が辻」で描かれたのは山内一豊と妻の千代の物語です。この中では足利義昭を三谷幸喜が演じていました。三谷幸喜自身、もともと足利義昭が好きだったということで、なんとも憎めないキャラクターになっていて話題になりました。

また、明智光秀を坂東三津五郎が生真面目に苦悩する様子を見事に演じていたので、その二人の関係性がとても良かったです。

軍師官兵衛

2014年NHK大河ドラマは黒田官兵衛(如水)について描かれましたが、ここでは吹越満が足利義昭を演じていました。吹越版の義昭はかなりコミカルで、重々しい雰囲気のドラマの中で肩の力を抜かせてくれるような、楽しい場面になっていました。

義昭の、足利将軍家というプライドを保ちたいがために選ぶ行動が、客観的に見るとなんとも可笑しく、だんだんと可哀想な人という印象にもなりました。義昭は本当にこんな人だったのではないか?と思ってしまうような、魅力的な義昭像を見せてくれました。

関連外部リンク

足利義昭についてのまとめ

足利義昭という人は、日本史を俯瞰で見た時に、大きな功績を残した人だと痛感します。義昭の行動が、平和な時代を迎えるための歴史の流れを加速させたからです。

確かに、天下をまとめあげたのは織田信長であり豊臣秀吉でした。歴史上異例とも言える長く平和な江戸時代を迎えることができたのは、徳川家康の入念な仕込みがあったからです。しかし、結果的にではありますが、彼らを歴史の表舞台へ引っ張り上げたのは足利義昭でした。彼がいなかったら、信長はもうしばらく中部地方の一大名に過ぎなかったかもしれないのです。

武功をあげれば出世できる戦国時代は、上昇志向の人間には魅力的な時代だったでしょうが、普通に暮らしたい庶民にとって、応仁の乱以降戦が続いていたことは迷惑でしかなかったはずです。早く戦がない世の中がきて欲しいと願っていたでしょう。

そんな庶民を救ったのは足利義昭でした。室町幕府最後の将軍にふさわしい仕事を成し遂げた人物だと思います。

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