平塚らいてうとはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や功績、作品や出版した青鞜などの雑誌について紹介】

1971年 – 85歳「平塚らいてう死去」

らいてうの墓

平塚らいてう死去

1970年頃かららいてうは自叙伝の作成に取り掛かるとのの、胆嚢・胆道癌を患うようになります。その後も口述で作成を続けるものの、1971年5月24日にらいてうは85歳で死去しました。

なお、自叙伝「元始、女性は太陽であった」は支援者の手によって1973年に完結。最後の言葉はこのように締められています。

途中、どんなに困難に試されることがあろうとも、わたくしは永遠に失望しないでしょう

平塚らいてうの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

元始、女性は太陽であった―平塚らいてう自伝

らいてうの自叙伝です。この記事で引用した文章の多くはこちらの自叙伝から引用しています。らいてうの行動理念や生き様を学びたい時に選びたい一冊です。塩原事件や青鞜の一件等、小説のように読めてしまいます。

『青鞜』の冒険 女が集まって雑誌をつくるということ

らいてう達が青鞜を立ち上げた事は有名ですが、その行程や掲載内容についてはほとんど語られる事はありません。この本は青鞜の歩みについて掘り下げられており、一枝達らいてう以外の女性達の足跡も分かります。

雑誌を刊行する苦労、そして達成感等、彼女達の冒険心が伝わってくる一冊です。

平塚らいてう/萱野茂:女性・先住民の権利をもとめた人びと (非暴力の人物伝)

らいてうの思想や生涯について子供向けに書かれた本です。らいてうについて知りたいけど、活字は大変。そんな人にオススメの一冊です。ちなみに同書で紹介された萱野茂はアイヌ人の為に人生を捧げています。

女性、そして先住民の権利を求める事は当時の日本ではとても大変な事でした。それがよく分かる一冊です。

おすすめの動画

声でつづる 昭和人物史【 平塚 らいてう 】

らいてうが1954年2月のNHKのラジオ放送に出演した肉声です。青鞜を立ち上げた経緯等がらいてうによって語られています。当事者から話を聞くことでよりリアリティがありますね。

らいてうの肉声も貴重なので是非聴いてみてください。

【中学 社会】 大正③ ~ 労働争議、平塚らいてう、関東大震災等の大正時代を3分で!【3分で歴史】

大正時代における労働争議等の経緯について分かりやすくまとめられています。当時は部落問題に対する全国水平社等、デモクラシーが大きく躍進した年だった事が分かりますね。

【高校生のための倫理】大正時代の思想(日本思想)

倫理の学習を想定した動画ですが、吉野作造や美濃部達吉等、学生時代に習った思想家や学者達の事を一気に復讐できます。私達が当たり前に感じている事や社会の制度も彼らの手によって生まれた事が良く分かる動画です。

おすすめドラマ

今のところ平塚らいてうを主人公にしたドラマは放送されていません。ただらいてう自身は朝ドラ等に何回か出演しています。

連続テレビ小説 あさが来た 完全版 DVDBOX3

2015年に放送された朝ドラであり、主人公の白岡あさは教育者の広岡浅子をモデルにしています。らいてうは日の出女子大学の学生として登場。あさを超える事を宣言する等、芯の強いキャラクターでした。

学生時代のらいてうを演じた大島優子

ちなみにらいてうの初登場はドラマのラスト2週目です。これは次クールの「とと姉ちゃん」の布石とも言えました。副主人公の花山伊佐次のモデルは花森安治と言い「暮らしの手帖」の初代編集長だった人物です。

花森は自身の思想の出発点として、らいてうを挙げています。あさが来たのらいてうの登場は、らいてうに対するリスペクトの意味も込められているのかもしれません。

連続テレビ小説 とと姉ちゃん 完全版 DVD BOX3

あさが来たの次クールの朝ドラであり、主人公の小橋常子は「暮しの手帖社」創業者の大橋鎭子がモデルです。らいてうはこちらにも登場するものの、学生ではなく、戦後に登場。大御所の評論家として一目置かれる存在でした。

戦後のらいてうを演じた真野響子

2つのドラマを経て、らいてうは学生から熟年期へと人間的に大きく成長しています。2つのドラマを見比べるのも良いかもしれませんね。

関連外部リンク

平塚らいてうについてのまとめ

今回は平塚らいてうの生涯について紹介しました。紹介した後に言うのも気が引けますが、らいてうの人物像は記事を書いた後でも伝えきる事は出来なかったと考えています。

実はらいてうが残した功績はそれ程多くありません。青鞜は家庭生活の為に一線から退き、新婦人協会も途中で脱退。平和活動も大局的に見れば安保闘争等に敗れています。何をしたのかと言えば、実は紹介しにくい人物なのです。

それでもらいてうが注目されるのは、明治という時代の中で、女性として葛藤や理念を主張した事でしょう。倭寇に憧れた少女が世論に対して声を上げ、それに賛同した人がたくさんいた。それだけで大きな意味があると思います。

今回の記事を通じてらいてうに興味を持っていただけたら幸いです。

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