井原西鶴とはどんな人?生涯・年表まとめ【代表作品や名言、俳句・小説も紹介】

1684年 – 43歳「近松門左衛門と浄瑠璃での一騎打ち」

近松門左衛門の浄瑠璃が大坂で名乗りをあげると、西鶴も負けじと対抗

道頓堀 竹本座跡地

1684年の2月に道頓堀の竹本座で義太夫が旗揚げ興行を行い、「世継曽我」という出し物を発表しました。この「世継曽我」を書いたのが杉森信盛、のちの近松門左衛門でした。近松の書いた新鮮な内容と持ち前の美声で大坂の評判をかっさらうことになります。

一方、宇治加賀掾も道頓堀で浄瑠璃を打つことを決定しますが、その新作を矢数や「好色一代男」で名をあげた西鶴に依頼することになりました。負けず嫌いの西鶴は腕をふるって「暦」という出し物を書き上げます。そして、それに対抗して義太夫・近松グループも「賢女手習并新暦」を催すことになります。

現代の人形浄瑠璃の様子

結果は、義太夫や近松の美声が大坂人の好みとマッチしていたため、こちらのグループが大入りを勝ち取ることになるのでした。しかし、西鶴もただで負けたわけではなく、出し物の内容は筋が通っていて、題目の質では上回っているという評判を勝ち取ることになるのです。

1688年 – 47歳「『日本永代蔵』、その続編『甚忍記』執筆など旺盛な制作活動を展開」

「日本永代蔵」の発表

現代語訳版 日本永代蔵

1686年から1687年にかけては「男色大鑑」、「本朝二十不孝」、「懐硯」、「武道伝来記」、「西行選集抄」などを次々に発表していき、まずまずの売り上げを記録します。そして、1687年9月より「日本永代蔵」の執筆に取り掛かりました。才覚と勤勉と始末でのし上がる目前の大坂商人を描き、金銭が全ての世の中とそれに振り回される模様をしたためるのです。

1688年1月に「日本永代蔵」を発表すると、その続編となる「甚忍記」に始まり、「武家義理物語」、「嵐無常物語」、「色里三所世帯」、「好色盛衰記」、「新可笑記」、「本朝桜陰比事」、「一目玉鉾」など数多くの作品を手がけていきました。一年のほとんどを執筆作業に費やし、多忙を極めましたが、作品の量に対し、質の方はあまり良いものではありませんでした。

松尾芭蕉が「奥の細道」の元となる奥州旅へ、西鶴は俳諧では芭蕉に負けたことを認める

奥の細道 出発時の様子

1689年には松尾芭蕉が別離の句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を詠むとともに「奥の細道」の元となる奥州旅へと出かけました。この年に芭蕉の代表作となる数々の名句が生まれたのです。「夏草や兵どもが夢のあと」、「閑けさや岩にしみいる蝉の声」、「荒海や佐渡によこたふ天河」などがその代表です。

芭蕉が奥州旅を終えて大坂を経て江戸へと帰ると、芭蕉の評判が徐々に上がっていきます。その際に西鶴を訪ねた芭蕉の弟子、宝井其角も「芭蕉は全身が俳諧だ」と称し、西鶴はこれに対して反論ができませんでした。ついには「俳諧ではあいつ(芭蕉)に負けたか」と心の中で感じるようになるのでした。

1691年 – 50歳「『世間胸算用』の執筆」

西鶴の代表作である「世間胸算用」の執筆を行う

世間胸算用の1ページ

当時の寿命と言われた50歳を迎えた西鶴は俳諧や浮世草子などの創作に力を入れていきますが、世間の評判は少しずつ落ち目となっていきます。また、西鶴の一番弟子でもある団水らとも価値観がかみ合わなくなり、だんだんと孤独を感じるようにもなっていきました。

その中で、のちに西鶴の代表作として語り継がれる「世間胸算用」の執筆を開始しました。世間が繁栄する中で、逆に増加してきた貧しい人たちの惨めさをしたためていったのです。しかし、「世間胸算用」は西鶴本人が思うほどに出版屋の評判が良くなく、その評価通りにあまり売れずに終わってしまうのでした。

同年には松尾芭蕉が膳所の菅沼曲水という人物に手紙を書き、その内容の中に風雅を志す者の心得を示します。その上で、「点付けで稼ぐのは下等の俳諧師だ」として、暗に西鶴のことを批判する文章を残しました。

1693年 – 52歳「『西鶴置土産』を途中にして、52歳で帰らぬ人に」

自身の死期を悟り、辞世の句を遺して息を引き取る

井原西鶴の墓 大阪府大阪市中央区 誓願寺

西鶴が51歳の時には男手一つで育ててきた盲目の娘が亡くなります。西鶴は妻と子に先立たれるという寂しい境遇に立たされることになりました。その後も創作に関してはいつも通りに行っていきましたが、いよいよ自分にも死期の訪れを感じるようになっていくのです。

1693年5月に最後の作品となる「西鶴置土産」に取り掛かりますが、7月頃には体力の衰えを感じるようになり、15話までで中断となってしまいました。そして、同年9月9日(旧暦8月10日)、辞世の句「浮世の月見過しにけり末二年」を遺して帰らぬ人となりました。

井原西鶴の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

好色一代男 まんがで読破

井原西鶴の代表作品「好色一代男」をまんがで紹介した作品となっています。1人の男が自由気ままに愛欲に溺れていく様を鮮やかに描き出したいます。実際の作品よりも内容が省略されていますが、初めて読む方や大まかなあらすじを知りたいという方にはおすすめです。

新版 日本永代蔵 現代語訳付き

西鶴が生きた江戸時代に、本格的な貨幣経済を迎え、金銭欲に振り回される人々の悲喜こもごものシチュエーションを細かく描写した作品となっています。現代語訳にわかりやすく翻訳されているため、昔の言葉を知らない方でも容易に読むことができる一冊です。

世間胸算用 現代語訳・西鶴

大晦日に借金を返済しなければならない、亭主、女房、質屋などそれぞれの境遇を表現豊かな文章で記しています。江戸時代の大衆がどのように暮らしていたか、金銭の回り方はどのような感じだったのかが読み取れる作品となっています。

井原西鶴についてのまとめ

今回は井原西鶴について紹介しました。

井原西鶴は元禄文化の代表的人物でありながら、その生涯は謎に包まれている部分が多くなっています。そのような中でも、松尾芭蕉・近松門左衛門とのライバル関係や菱川師宣との強力タッグなど、この時代の主要人物との関わりが深かったことを読み取ることができました。

この記事を参考にさらに井原西鶴に興味を持っていただけると幸いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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