明治時代ってどんな時代?出来事や年表、重要人物、文化などをご紹介

明治時代の文化

文明開化

文明開化期の横浜港

日米修好通商条約締結により、各港から西欧人が往来するようになったことで、急速に日本にも西欧文化が入り込むようになりました。中でも、1871年に出された「断髪令(だんぱつれい)」を契機に、散切り頭姿の庶民が急速に増えました。その盛況ぶりは、「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」と、当時の流行歌にもなるぐらいのものでした。

また、芸術分野においても様々な面で西欧文化の影響を受けることとなりました。舞台芸術では、歌舞伎が注目され、河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)による新作が公演されるなど、精力的に動いておりました。また、現代劇を中心とした「新派」では、川上音二郎(かわかみおとじろう)が「オッペケペー節」と呼ばれる歌を歌い、日本の欧化主義を皮肉ったことで、民衆から爆発的な支持を受けました。

明治を代表する画家「高橋由一作 鮭」

美術分野では、工部美術学校が開校。お雇い外国人であるアントニオ・フォンタネージなどによる西洋美術教育が始まるなど美術分野の西欧化を政府は推進しました。その反面、それまで主流であった日本絵画などは旧弊(古いしきたりによる弊害)的なものとみなされ、海外へと流出するという危機に陥るなど、極端な状態になりました。

この状態を危うんだ政治家の佐野常民(さのつねたみ)は1879年に日本美術を保護するための団体である「竜池会(後の日本美術協会)」を立ち上げ、伝統美術の保護や日本美術を貿易品とする博覧会などを開催するといった役割を果たしました。

明治後期にはお雇い外国人のアーネスト・フェノロサや岡倉天心(おかくらてんしん)など日本美術を育成するための機関として東京美術学校、日本美術院などを設立します。その中から横山大観(よこやまたいかん)や下村観山(しもむらかんざん)といった西洋画の画法を取り入れながら独自の民俗美術を形成した「日本画」などが誕生しました。

日本画の代表的人物「横山大観作 屈原」

また、江戸期に流行していた錦絵などは、明治期にも戊辰戦争などを描いた「戦争画」や東京各所の変わりゆくさまを描いた「各所絵」などが人気を集めました。しかし、風俗を乱すものとして「春画」は取り締まられるようになり、明治末期ごろには海外へ美人画の一つとして多くが流出することとなりました。

近代文学の誕生

近代小説の父・坪内逍遥

明治初めごろは、西洋文化が輸入されたことにより、西洋の学問書などを翻訳し紹介するというケースが多く見られました。代表的な作品として福沢諭吉の「学問ノススメ」、中江兆民(なかえちょうみん)がルソーの「社会契約論」を翻訳した「民約訳解(みんやくやくかい)」などがあります。

そして、1885年に出版された坪内逍遥(つぼうちしょうよう)の「小説神髄(しょうせつしんずい)」が出発点となり、日本の近代文学が幕を開けることになります。この「小説神髄」は、小説を書くにあたって重要なことが論じられています。例えば、小説とはどういう芸術なのか、小説のテーマにすべきことは、といった内容が書き記されています。

ここからは、近代文学において代表的な人物を数人ご紹介いたします。

近代小説の先駆け・二葉亭四迷(ふたばていしめい)

近代小説の先駆け・二葉亭四迷

二葉亭四迷こと本名長谷川辰之助は、東京都出身の作家です。「二葉亭四迷」という名前はペンネームで、作家を志した時に反対した父親から「くたばってしまえ」と言われ、これをペンネームにした、という俗説があることで有名です。

代表作には坪内逍遥の「小説神髄」に影響を受けて創作したとされる「浮雲」、独自の小説評論である「小説総論」などがあります。またロシア語にも長けていたことからロシアの作家であるツルゲーネフやトルストイ作品を翻訳したという近代文学史初期に活躍した作家です。

明治のベストセラー作家・尾崎紅葉(おざきこうよう)

一時代を築いた作家・尾崎紅葉

尾崎紅葉、本名・尾崎徳太郎は東京都港区芝出身の作家です。1885年頃には山田美妙(やまだびみょう)、石橋思案(いしばししあん)らと共に文学結社「硯友社」を設立し、江戸時代頃の作品をモチーフにした「擬古典主義(ぎこてんしゅぎ)」という作品を生み出しました。代表的な作品として挙げられるのが「金色夜叉」などです。

同時期に活躍した幸田露伴(こうだろはん)と合わせ、「紅露時代(こうろじだい)」という文学史における一時代を築きました。また、弟子には幻想小説の第一人者である泉鏡花(いずみきょうか)、心境小説という新境地を開拓した徳田秋声(とくだしゅうせい)などがおります。

詩人から小説家へ鮮やかな転身・島崎藤村(しまざきとうそん)

元新聞記者でもある島崎藤村

島崎藤村、本名島崎春樹は岐阜県出身の作家です。同人誌『文学界』に参加し浪漫派詩人として様々な詩を掲載、後に詩集である「若菜集」を出版。その後、小説家へと転身し、「破戒」などの作品にてヨーロッパなどで流行していた「自然にあるがままの物をそのまま描く」といった「自然主義文学」というジャンルを明治後期に流行させました。

日本を代表する近代文学者・夏目漱石(なつめそうせき)

旧千円札の顔にもなった夏目漱石

夏目漱石、本名夏目金之助は東京都牛込出身の作家です。元々は正岡子規(まさおかしき)が主宰する同人誌「ホトトギス」への寄稿のみだったのですが、東京帝国大の英語講師などを務めた後、朝日新聞へ入社し、本格的な専業作家へと転身しました。

代表作には「吾輩は猫である」「坊ちゃん」などがあります。また、「三四郎」「それから」「門」の前期三部作と、「彼岸過迄」「行人」「こころ」の後期三部作など幅広い作風の作品を残し、近代日本文学を象徴する一人です。

1 2 3 4 5 6

5 COMMENTS

コメントを残す