アンネ・フランクの名言
自分でも不思議なのは私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと
「アンネの日記」の中でも、最も有名な文です。ひどい目にあっても、「人間の本性はやはり善」というアンネの強さがにじみ出ます。そして私たちも、反省せねばならない言葉です。
私は、死んだ後でも、生き続けたい
アンネの強い心が見える言葉です。そして彼女は日記を通して死んだ後も人々の心の中で生き続けることとなりました。
苦しいことについては、私は何も考えない。だって、美しいことがまだ残っているんだから。
アンネはこの言葉のように考えて、つらい潜伏生活を乗り越えって言ったのでしょう。つらい時も前を向いて歩いて行ける言葉です。
アンネ・フランクの人物相関図
アンネ・フランクにまつわる都市伝説・武勇伝
沢山の小説を書いていた
アンネ・フランクは隠れ家に潜伏している間に、多くの小説を書き残しています。将来小説家になることを夢見ていました。これらは現金出納帳に書きつけられていたそうです。アンネが書いた作品は、「じゃがいも騒動」「悪者!」などのような身近な題材の作品から、「カーチェ」「管理人の一家」「エーファの見た夢」など幻想的な作品まで幅広く存在しています。
アンネ・フランクの生涯年表
1929年 – 0歳「ドイツのフランクフルトで生まれる」
アンネ・フランクは、ドイツ系ユダヤ人のオットー・フランクとエーディト・フランクの次女としてフランクフルトで生まれました。父は銀行業を営んでおり、比較的裕福な家庭でした。フランク一家はユダヤ系ではあったものの、あまりユダヤ教には熱心ではなかったといいます。
しかし世界恐慌の影響により、銀行業の経営が悪化し始めます。そして1932年ごろには、フランクフルトでもナチスの突撃隊の「反ユダヤ主義」のデモが頻繁に見られるようになったために、フランク夫妻は亡命を考えるようになっていきます。
1934年 – 5歳「一家でオランダに亡命する」
ナチスの台頭に危機感を感じた父オットーは、親戚と知人の紹介によってオランダに亡命し、新たにジャムのペクチン製造の会社を設立しました。オットーは信頼できる人を雇い、事業を何とか軌道にのせることに成功しています。まず半年後にエーディトと姉マルゴーが、そして1934年にアンネがオランダのアムステルダムに亡命してきたのです。
オランダに引っ越してきてアンネは、私立の「モンテッソーリ・スクール」に入学しています。姉のマルゴーは公立学校に通っていますが、アンネを私立に通わせたのは、アンネがおしゃべりで長い時間じっと座っていることが出来ない性分だったからだそうです。
父オットーが新たに会社を起業する
1938年に父オットーは「ペクタコン商会」というソーセージの香辛料を作る会社を設立しています。この会社の役員に、後に隠れ家の住人になるヘルマン・ファン・ペルスを迎えています。この頃からファン・ペルス家の家族ぐるみの付き合いなっていったようです。後にペクタコン商会の3階が隠れ家となりました。
1940年 – 11歳「オランダがドイツに占領される」
1940年にドイツ軍がオランダに侵攻し、一週間で占領してしまいました。占領後しばらくは、通常の生活を送っていましたが、徐々に「ユダヤ人迫害」が開始され始めます。占領の3か月後に「ドイツから移住したドイツ人は出頭せよ」という命令がオランダ在住のユダヤ人に下り、フランク一家は命令に従い出頭しています。
また1941年にはユダヤ人の映画館の利用や、公共施設の利用を禁止されてしまいました。この頃に、通っていた学校に通えなくなり姉のマルゴーとアンネは、「ユダヤ人中学校」に編入しています。翌年には外出の時にユダヤ人の証しである「ユダヤの星」を胸に付けることを義務づけられました。
誕生日に父オットーからサイン帳をプレゼントされる
1942年にユダヤ人は夜8時から早朝の6時までの外出を禁止されてしまいます。また非ユダヤ人の家を訪れたり家に招いたりも禁止されてしまいました。このことはユダヤ人の子供たちにとって、友達と遊ぶのに大きな影響を及ぼしたといいます。
暗いことが続きますが1942年のアンネの誕生日に、アンネは父オットーからサイン帳をプレゼントされています。それは全体に赤と白のチェックが入ったかわいらしいものでした。このサイン帳にアンネは日記を付け始め、後に「アンネの日記」として世に出るようになるのでした。
1942年 – 12歳「ナチスの迫害を逃れるために隠れ家に潜伏する」
1942年の7月に、姉のマルゴーに対してゲシュタポからの出頭命令が届きます。招集命令に危険を感じたオットーは、家族で隠れ家に潜伏することを決めます。出頭命令がきた翌日に、アンネたちフランク一家は、父の会社の3階にある隠れ家に潜伏したのでした。
フランク一家の他に、ファン・ペルス一家とフリッツ・プフェファーの8名がおおよそ2年間隠れ家の中で過ごすこととなります。潜伏期間中アンネは、オットーから貰ったサイン帳に日記を隠れ家での生活や人間模様を赤裸々に書きつけていました。