アンネ・フランクとはどんな人?生涯・年表まとめ【死因や日記、隠れ家も紹介】

1944年 – 14歳「ゲシュタポに逮捕され、強制収容所に送られる」

ヴェステルボルグ強制収容所跡

1944年の8月に、隠れ家にゲシュタポが押しかけ隠れ家の住人8名と、協力者2人が逮捕されました。ユダヤ人だった隠れ家メンバーの8名は、オランダ北東のヴェステルボルグ強制収容所に送られています。ここは他の絶滅収容所に輸送するための中継ぎの収容所で、他の収容所に比べると待遇は比較的良い所でした。

ここで、アンネとエーディト・マルゴーは電池の分解作業に従事しています。この時に親しくなった生存者によると、「アンネとマルゴーはいつもお母さんのそばにいました。『アンネの日記』ではアンネはお母さんを手厳しく批判していますが、ちょっとした反抗期だったんじゃないでしょうか。収容所ではお母さんの腕にしがみついていました」と証言しています。しかしその生活も長く続かず、9月に絶滅収容所アウシュビッツへ搬送されることになったのです。

アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に収監される

アウシュビッツ強制収容所の囚人たち

1944年9月に隠れ家住人8名は、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所に到着しています。この時に、「動労可能」と「非労働可能」と選別されますが、隠れ家住人は全員労働可能に選別されガス室送りを免れています。

アウシュビッツでは囚人番号を左腕に入れますが、アンネの正確な囚人番号はわかっていません。おそらくA25060からA25271までの間のいずれかの番号であったといわれます。ビルケナウ収容所に入れられたアンネとマルゴーとエーディトは固まって暮らしており、まもなくシラミやダニに悩まされ、傷口は化膿しました。母はできる限り娘たちに食料を分けていたといいます。

1945年 – 15歳「ベルゲン・ベルゼン強制収容所で死去」

ベルゲン・ベルゼン強制収容所の写真

ソ連赤軍がポーランドに迫ってきたために、強制収容所撤収の一環としてアンネとマルゴーがベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送されることになりました。母のエーディトだけがアウシュビッツに残っています。これが母子の最後の別れとなりました。

アンネは、ベルゲン・ベルゼン強制収容所でファン・ペルス夫人と再会しています。そして学生時代の親友のハンネとも再会しました。ハンネとアンネは、有刺鉄線越しに数回あったといいますが、2月末ごろからアンネを見なくなったといいます。

ベルゲン・ベルゼン跡地に立つアンネの墓碑

アンネとマルゴーはチフスに感染しており、栄養失調の状態で病になすすべもありませんでした。2月の末か3月の頭に先にマルゴーが寝台から落ち、意識が戻らず亡くなります。その後気を落としたアンネは姉の後を追うように、2,3日後に息を引き取りました。享年15歳でした。

アンネ・フランクの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

増補新訂版 アンネの日記 (文春文庫)

日本語版「アンネの日記」は、この文庫が一般的です。細かな点も改訂されており、アンネの日記を読みたいならこの本を買えば間違いない1冊です。

角川まんが学習シリーズ まんが人物伝 アンネ・フランク 日記で平和を願った少女

アンネ・フランクの人生を漫画で読むことができるので、さらっと読めるのが魅力です。活字よりも漫画が読みやすいという人におすすめです。

アンネの童話 (文春文庫)

アンネが作った童話が読めます。アンネの才能を感じることができます。子供に読み聞かせるのも、自身で読むのもどちらも大丈夫な一冊です。

おすすめの動画

【10分で見る!】アンネフランク|悲劇の少女の物語

アンネ・フランクのことを10分間で凝縮して説明されています。良くまとめられていますので、アンネのことを知りたい人には最適な動画です。

おすすめの映画

Anne Journal

ジャイアンツで有名なジョージ・スティーブンス監督と、「瞳が綺麗」ということで、1万人の候補から選ばれたミリー・パーキンスが演じるアンネの生涯の映画です。非常に見ごたえがある内容となっていますので、アンネをあまりよく知らない人でも、楽しめる映画です。

おすすめドラマ

アンネ・フランク

アンネ・フランクの人生を描いたテレビドラマです。強制収容所でのエピソードなどで、残酷な表現があるために苦手な人は注意が必要ですが、アンネの人生が映像化された作品ですので、アンネに興味がある方は是非見てほしいドラマです。

関連外部リンク

アンネ・フランクについてのまとめ

いかがでしたでしょうか?筆者は小学生の時に「アンネの日記」に出会い、アンネの住人が父のオットーしか助からなかったということに驚いたことが非常に印象に残っていました。それからドイツの歴史を調べて、「なぜこういうことが起こったのか?」「戦争とは?」と考えていますが、複雑な事情が絡み合っており、一口にこれだという答えは見つかっていません。

ただ一つ言えることは、追い詰められたドイツ国民の集団ヒステリーの被害者が「ユダヤ人」であり、世界でも類を見ない「民族を絶滅させる」という政策が起きたという事実です。人が同じ過ちを繰り返さないためにも、この記事をみて一人でも、アンネ・フランクをより知って、「アンネの日記」に興味を持っていただけたらこれ以上嬉しいことはありません。

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