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【年表付】オードリーヘップバーンはどんな人?映画やファッション、名言を紹介

オードリーヘップバーンにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「『ジジがいるわ!』作家の一目ぼれで主演に大抜擢」

『ジジ』のポスター

ブロードウェイで上演された舞台「ジジ」の主演が決まったのは、オードリーがフランスで映画の撮影に臨んでいるときでした。ちょうどそのころ、「ジジ」を書いたフランス人作家シドニー=ガブリエル・コレットは主演となる女優を探していたのです。

フランス・リヴィエラで撮影に参加していたオードリーを一目見たとき、思わずコレットは「ジジがいるわ!」「私のジジを見つけたわ!」と口にしたそうです。オードリーはコレットのイメージどおりだったのでしょう。オードリーはここで初めての主演を掴みました。

都市伝説・武勇伝2「ティファニー本店前にデニッシュをもった女性たちが殺到」

ニューヨーク・ティファニー本店

「ティファニーで朝食を」の冒頭には、オードリー演じるホリー・ゴライトリーがニューヨークのティファニー本店の前でデニッシュにかじりつく場面があります。その影響からか映画公開後、ティファニー本店の前にはデニッシュをもった女性たちが殺到したそうです。今でいう「聖地巡礼」のようなものですね。

ティファニーは宝飾品店であって、もちろんイートインスペースなどはなかったのですが、映画の人気に押され、2017年にはブランド初のダイニング「ブルーボックスカフェ」をオープンしました。ティファニーブルーで彩られた店内では、クラシックなアメリカの料理を堪能することができるそうです。

オードリーヘップバーンの年表

1929年 – 0歳「波乱に満ちた幼少期」

赤ちゃんのころのオードリー

ベルギー・ブリュッセルに生まれる

1929年5月4日、オードリーヘップバーンはベルギーの首都・ブリュッセルに生まれました。父親はオーストリア=ハンガリー帝国ボヘミア出身のジョセフ、母親はオランダ貴族の血筋をもつエラです。両親は再婚同士で、エラにはオードリーの異父兄になる2人の息子がいました。

オードリーの出生名は「オードリー・キャスリーン・ラストン」といい、ヘップバーンという名前は後から母親が付け足したものです。母・エラは家系図マニアで、夫・ジョゼフの血筋にスコットランド女王メアリの3番目の夫ジェームズ・ヘップバーンの末裔を発見したことから自分たちにも「ヘップバーン」という姓を足したのだそうです。高貴な家系であることを証明したかったのでしょうね。

父親が失踪

両親はイギリス・ファシスト連合の活動に関わっていた

オードリーが3歳のころ、両親はイギリス・ファシスト連合に参加するようになりました。イギリス・ファシスト連合はそのころイギリスにあったファシスト政党です。さらに父・ジョゼフは過激なナチズムに染まっていき、オードリーが6歳のときには家を出ていってしまいます。

1939年に両親は離婚、オードリーは父親のいない少女時代を過ごすことになりました。けれども女優として有名になった後の1960年代、オードリーは赤十字社の活動を通してスイスで父親と再会しました。オードリーは1980年に父親が亡くなるまで経済的な援助を続けています。

バレエを習い始める

父親が出ていった後、母・エラとオードリーはエラの故郷であるオランダ・アーネムに引っ越しました。そして2年後にオードリーはイギリス・ケント州に渡り、エラムという村の小学校に入学します。ここで彼女はバレエと出会いました。

バレエにオードリーは魅了され、バレリーナを目指すようになりました。父親が出ていった寂しさや母親の厳しさなどを埋めてくれたのがバレエだったのかもしれません。

1939年 – 10歳「第二次世界大戦中の厳しい生活」

母・エラと写る若き日のオードリー

オランダに移り住む

イギリスの学校で過ごしていたオードリーでしたが、第二次世界大戦が始まる直前の1939年にオランダに戻ります。その前に起こった戦争・第一次世界大戦でオランダは中立国だったので、起ころうとしている戦争でも安全だと考えられたのです。

1939年からオードリーは地元の音楽学校・アーネム音楽院に通い、普通科目のほかにバレエの授業をとっていました。11歳のときには母親とともに慈善ミュージカルに出演しています。

ドイツ占領下で厳しい生活を送る

爆撃によって破壊されたオランダ・ロッテルダム

多くの人の予想は外れ、オランダは第二次世界大戦でドイツに侵攻を受けて占領下となりました。「オードリー」というイギリス風の名前は危険だと考えた母親は、オードリーに「エッダ・ファン・ヘームストラ」という偽名を名乗らせました。

1944年にオランダでは大飢饉が発生、それでも物資の補給路はドイツ軍によって断たれたままでした。多くの人が命を落とし、オードリーたちも雑草を食べて飢えをしのいでいたといいます。戦時下でオードリーは栄養失調状態に陥り、オランダが解放されたときにも貧血や黄疸にかかっていたそうです。

そのような状態だったオードリーを救ったのが、後年彼女が親善大使を務めることになるユニセフの前身・連合国救済復興機関(UNRRA)でした。この原体験があったことで、晩年のオードリーは貧しい子供たちに援助する活動に打ち込むようになります。

1948年 – 19歳「ミュージカル女優として歩み始める」

バレエのレッスン中のオードリー

端役で映画デビュー

戦後、オードリーは母とともにアムステルダムへ引っ越し、オランダのバレエ界の第一人者であるソニア・ガスケルのもとでレッスンを再開します。1948年には『オランダの7つの教訓』で初めて映像作品に出演しました。オランダ航空のキャビンアテンダントという端役でしたが、この観光PR映画はオードリーのデビュー作として知られています。

ミュージカル女優としてデビュー

ミュージカル『ソース・タルタル』の仲間たちと

1948年にオードリーは母とともにイギリスに渡り、世界的に有名な舞踊家マリー・ランバートの主宰するバレエ団に学び始めました。それまでバレリーナのなかでも花形を務める「プリマ・バレリーナ」を目指してきたオードリーですが、170センチの身長が高すぎることと戦争中の栄養失調で細すぎることを理由に、師であるランバートからプリマになることは難しいといわれてしまいます。

オードリーはバレリーナになることを諦め、舞台に出演するようになりました。『ハイ・ボタン・シューズ』『ソース・タルタル』などの舞台に出演するうち、フリーランスの女優としてイギリスの映画俳優リストに登録されました。1950年からは映画にも出演し『素晴らしき遺産』『若妻物語』などに端役で登場しています。

1951年 – 22歳「『ジジ』『ローマの休日』の主役に大抜擢」

『ジジ』を演じるオードリー

舞台「ジジ」の主役に抜擢

1951年に、オードリーはブロードウェイの舞台「ジジ」の主役に選ばれました。映画の撮影でフランス・リヴィエラを訪れていたところ、「ジジ」の原作者であるフランス人小説家シドニー=ガブリエル・コレットに気に入られたのです。

「ジジ」は独身貴族で贅沢な暮らしをしているガストンと、後に社交界の花となる無邪気な少女・ジジのラブストーリーです。それまで端役ばかり演じていたオードリーでしたが、いきなり掴んだ主役の座をしっかり演じ切っています。

映画「ローマの休日」の主役を勝ち取る

『ローマの休日』のワンシーン

「ジジ」への出演が決まったころ、オードリーは無名の女優を探していたウィリアム・ワイヤー監督の目に止まりました。彼女の出世作で永遠の名作「ローマの休日」は、「ジジ」の千秋楽を待って撮影が始まりました。名こそ知られていなかったオードリーでしたが、映画が公開されるや否や一躍トップスターの座に躍り出ることになります。

1954年 – 25歳「1度目の結婚」

『戦争と平和』のときのオードリーとメル・ファーラー

共演したメル・ファーラーと結婚

「ローマの休日」以降、さまざまな映画の主役を務めるようになったオードリーでしたが、人気絶頂の最中に結婚します。相手は舞台「オンディーヌ」で共演した俳優メル・ファーラー。12歳年上で3度の離婚歴があるファーラーとの結婚に周囲は大反対しましたが、オードリーは意志を貫きました。

1950年代に出演した映画

先にご紹介した作品以外でオードリーが出演した映画は次のとおりです。

  • 麗しのサブリナ
  • パリの恋人
  • 昼下りの情事
  • マイヤーリング
  • 尼僧物語
  • 緑の館

どの役を演じるにしても役作りに余念がないオードリーでしたが、特に「尼僧物語」のときには修道院に数日間滞在したといわれています。この映画では心の葛藤に悩む修道女・ルークを演じ、英国アカデミー賞の最優秀主演英国女優賞を受賞しています。

1961年 – 32歳「『ティファニーで朝食を』が公開」

トールマン・カポーティ原作の「ティファニーで朝食を」

長男出産の3か月後には撮影

1960年、オードリーは長男・ショーンを出産しました。本当なら彼女はそのまま家庭で子供を育てたかったのですが、出産から3か月後には「ティファニーで朝食を」の撮影に臨んでいます。産後であることとこれまで演じてきた役柄や彼女自身とは大きく違った女性・ホリーを演じることに不安があったようですが、やはり見事に演じ切りました。

この映画の冒頭でオードリー演じるホリーがまとっているリトルブラックドレスはブランド「ジバンシィ」のもので、これまでで最も有名なドレスだといわれています。

1960年代に出演した映画

「ティファニーで朝食を」以外で1960年代にオードリーが主演した映画をご紹介します。

  • 許されざる者
  • 噂の二人
  • パリで一緒に
  • シャレード
  • マイ・フェア・レディ
  • いつも2人で
  • 暗くなるまで待って

西部劇「許されざる者」では、オードリーは落馬事故に遭い、背中を4カ所も骨折しています。さらにその事故の影響で、彼女は2度目の流産も経験しました。オードリーは深く傷つき、長男のショーンを妊娠したときには大事をとって1年間休業しています。

離婚と2度目の結婚

アンドレア・ドッティとオードリーヘップバーン

オードリーは1965年にスイス・トロシュナ村に家を買い、1967年からは家族との時間を大切にするために女優業を控えると決めていました。けれども、1968年にメル・ファーラーとは離婚してしまいます。彼女が次に恋をしたのは10歳年下のイタリア人精神科医アンドレア・ドッティでした。

1968年に出会った2人は急速に惹かれ合い、翌年1月には結婚しています。1970年には次男・ルカも誕生しました。

1975年 – 46歳「映画界へ復帰」

「ロビンとマリアン」で映画界に復帰

復帰から最後の映画出演まで

1975年、オードリーヘップバーンは8年ぶりに映画に出演します。ショーンコネリーと共演した「ロビンとマリアン」はロビンフットとその恋人・マリアンを描いた映画で、オードリーはマリアンを演じました。

オードリーは1989年、完全に女優を引退します。復帰からそれまでに出演した映画は次のとおりです。

  • 華麗なる相続人
  • ニューヨークの恋人たち
  • おしゃれ泥棒2
  • オールウェイズ

最後の映画出演作となった「オールウェイズ」はスティーブン・スピルバーグの監督作品です。彼の映画「E.T.」を観て感動したオードリーは、監督からオファーをもらったとき喜んで引き受けたといいます。

2度目の離婚と「最後の恋人」との出会い

オードリーは1982年、2番目の夫アンドレア・ドッティと離婚しました。ドッティはオードリーのことも前夫との子供・ショーンのことも大切にしていましたが、少々女性関係が激しい人物だったようです。家族としての形を残すため、オードリーはドッティと暮らした家の前に新しい家を建て、そこに息子・ルカと暮らしました。

別居を始めたのは1980年なのですが、オードリーはその年に「最後の恋人」となるロバート・ウォルダースと出会いました。2人はオードリーの離婚後に一緒に暮らし始め、彼女が亡くなるまで一緒に過ごしています。

1989年 – 60歳「ユニセフ親善大使への任命」

恵まれない国の子供たちと過ごすオードリー

ユニセフでの活動に打ち込み始める

1989年、オードリーは女優業の引退を表明します。前年の3月にはユニセフ親善大使の依頼が来ていました。オードリーは残りの人生を慈善活動に捧げることに決めたのです。

当時最悪の食糧状況にあったエチオピアやソマリアなど、彼女は多くの国々を訪れました。さまざまな国を訪れたオードリーが、言葉の面で困ることはありませんでした。彼女は英語やオランダ語、フランス語やイタリア語など、複数の言語を操ることができたからです。

多くの国々でオードリーは子供たちと過ごしたり、大統領に面会したりしました。子供たちは不思議なほどオードリーに懐いて、彼女についてまわったといいます。オードリーも、身体が洗えず子供たちにハエがたかっていても迷わず抱きしめ、愛を伝え続けました。

亡くなる4か月前にソマリアを訪れたオードリーは、それまでの国々を上回る悲惨な状況に心を痛めました。実は体調に違和感を覚えていたのですがそれを表には出さず、ソマリアから帰国後もヨーロッパ各国をまわるキャンペーンに参加しています。

1993年 – 63歳「死去」

オードリーが暮らしたトロシュナ村の家

結腸がんで死去

1992年10月に、オードリーは腹部に出来たがんが全身に転移していることを知ります。アメリカで開腹手術を2度受けたのですがもはやなすすべもなく、手術で体力を消耗したオードリーはベッドから起き上がれない状態になっていました。最後となるだろうクリスマスを家族で過ごすことに決め、友人ユベール・ド・ジバンシィが手配してくれたプライベートジェットでスイスに戻っています。

12月に当時のブッシュ大統領(パパブッシュ)はオードリーに大統領自由勲章を授与しました。本来ならばこの勲章は7月に与えられるのですが、オードリーが危篤状態であることとユニセフへの大きな貢献を考えて特別にこの時期に与えられたのです。

1993年、オードリーヘップバーンはがんによる多臓器不全のため63歳で亡くなりました。彼女の墓は終の棲家となったトロシュナ村を一望できる小高い丘の上にあります。

オードリーヘップバーンの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

オードリー・スタイル 飾らない生き方

映画のワンシーンや、写真家がとらえた素顔のオードリーなど、176点もの写真が収められた写真集です。巻末にはオードリーヘップバーンの大ファンだという小説家・綿矢りさのショートエッセイも収録されています。時系列順に写真が並んでいるので、オードリーがどのような活躍をしてきたか順を追って知りたい方にもおすすめです。

学習漫画 世界の伝記 NEXT オードリー・ヘプバーン 世界に愛され世界を愛した永遠の妖精

オードリーヘップバーンの生涯を漫画化した学習漫画です。「世界に愛され世界を愛した」という副題がいいですね。女優としての側面だけではなく、人間としてどのように生きたかが丁寧に描かれています。

オードリー・ヘップバーンの言葉

オードリーヘップーンが残した数々の名言を紹介している名言集です。仕事、恋愛、家族、人生…現代を生きる私たちにも重要なこれらのトピックに、オードリーの名言はヒントを与えてくれます。ティファニーブルーの装丁も可愛らしい1冊です。

おすすめの動画

その美しい容姿よりも輝く☆オードリー・ヘップバーンの言葉と人生

偉人の名言や雑学などを紹介している「ナマケアカデミー」というチャンネルです。10分程度の動画ですが、オードリーの名言がたっぷり紹介されています。オードリーがどんな人物だったか最初の数分で語られるのですが、彼女の魅力が伝わるように丁寧に解説されていてわかりやすいです。

ユニセフ親善大使オードリー・ヘップバーン 「子どもって、本当に素晴らしい存在」 /日本ユニセフ協会

日本ユニセフ協会の動画です。晩年のオードリーヘップバーンが話す姿をフルカラーで見られます。子供を抱き上げるオードリーの姿、そして語る言葉に胸をうたれる動画です。

関連外部リンク

オードリーヘップバーンについてのまとめ

オードリーヘップバーンについて、その生涯や名言、主演映画などをご紹介してきました。

彼女の生涯をたどると、どのようなときにも愛を忘れなかった人なんだな、と強く感じます。強い意志と愛で人生を切り開いたオードリーは、筆者の永遠の憧れです。あなたの目にはどう映りましたか?

この記事を読んだあなたが、オードリーヘップバーンの生涯に思いを馳せてくれたらとても嬉しいです。

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