フランス革命によって起こった4つの変化
今までフランス革命の背景や主だった事件を解説しましたが、次にフランス革命とはどういった市民運動だったのかを解説していきます。多くの犠牲により、フランスという国はまったく違う国にアップデートされていきました。そんなフランスの変化を見ていきます。
1.絶対王政から立憲君主制へ
フランスはアンシャン=レジームによる絶対王政を敷いていましたが、1789年に国民三部会が第一・第二身分と第三身分が議決方法で悶着し、第三身分は「国民議会」を行うことを宣言しました。
議場の使用を認めない国王に対して1789年の6月に、憲法制定まで解散しないと「球戯場の誓い」を行っています。7月にはパリの民衆が立ち上がりバスティーユ牢獄を襲撃し、革命へと転化しました。緊迫した情勢の中で8月には「封建的特権の廃止」を決議し、「人権宣言」を行っています。
この時はパリは立憲君主制、穏健な共和制、急進的な共和制と対立していました。また亡命貴族の国外からの反革命の動きが強まり、それらと手を結んだルイ16世は国外逃亡を図って失敗し、国民への支持を失いました(ヴァレンヌ事件)。
そして1791年に立憲君主制の元で制限選挙が行われ、一院制からなるフランス最初の「1791年憲法」が制定されることとなります。この時点では、立憲君主制の体裁を取ることとなりました。
2.立憲君主制から共和制へ
1791年憲法に基づき立法議会が成立すると、立憲君主制維持を主張する「フイヤン派」と共和制実現を図る「ジロンド派」の対立が深まっていきます。ジロンド派は革命干渉軍に対する戦争を主張してオーストリア・プロイセンとの戦争に踏み切りました。
この戦争はフランス革命戦争といわれ、1814年までヨーロッパを巻き込む戦争に発展していきました。フランス革命戦争は序盤、プロイセン軍に劣勢を余儀なくされます。そんな中全国から義勇軍が集結し、テュイルリー宮殿の国王を襲撃する事件が起き、立憲議会は王権を停止しました。
男性普通選挙が行われ、一回目の国民公会が招集された日に、フランス軍もヴァルミーの戦いでプロイセン軍に勝利して劣勢を挽回することができました。その翌日には王権停止から正式に王権廃止を決定し、第一共和制が開始されることとなります。同時に革命干渉軍との戦闘も続行されていきました。
3.急進的共和制へ
1793年に国王ルイ16世の処刑が執行されると、反発した諸外国とフランスは緊張状態になります。この頃は各地で農民反乱も相次いだために革命を防衛し共和制を推進するために、反革命派を裁く「革命裁判所」が設置されました。
これ以上の革命を望まないジロンド派は、地域分権的な連邦主義を主張しましたが、ジャコバン派がパリへの中央集権を求めて対立していくこととなります。そして最終的に権力を握ったのはジャコバン派のロベスピエールで、急進的な共和制を進める「恐怖政治」を進めることとなりました。
ロベスピエールは革命の執行委員として公安委員会を抑え、反革命の取り締まりを実行し王党派・立憲君主派の残党・ジロンド派を次々にギロチンにかけ恐怖政治を断行しました。それだけでなく他の派閥を排除し独裁体制を強めて、最高存在の祭典を主催し、革命精神の徹底をはかっています。
しかし強引な革命の強要は次第に民衆の支持を失っていき、1794年のテルミドールのクーデターでロベスピエールは捕えられ、ジャコバン独裁政権は倒れることとなりました。
4.総裁政府から統領政府へ
恐怖政治が終わった頃には、革命干渉軍の攻撃も収まり民衆は安定を望むようになり、財産の安定と自由競争の経済を目指していました。ジャコバン派政権の時に実現した土地の私有化が進み、特に地主や自営農民が安定を望んでいたのです。
1794年にジャコバン派政権の代わりに、穏健な共和派の「テミール派」が主導する総裁政府が成立しました。1795年には私有財産の不可侵を謳った「1795年憲法」が交付されます。そんな中、保守化した農民や都市の小市民の支持を受けて、軍人のナポレオンが登場します。
ナポレオンはイタリア遠征やエジプト遠征で名声を高めた後、1799年のブリューメル18日のクーデターで総裁政府を倒します。その後統領政府を樹立し、自ら統領となり将来の独裁、皇帝の道を開いていきました。ナポレオンが帝政を敷くまでがフランス革命と定義されています。
フランス革命の主要人物を紹介
たった10年間でフランスという国は、大きく様変わりしていきました。革命は多くの人物が登場しては消えていき、目まぐるしい時代だったといえるでしょう。そういった時代を翻弄し、翻弄された主要な人物を紹介していきます。
ルイ16世
ブルボン朝第5代のフランス国王であり、王妃は神聖ローマ帝国の王女マリー・アントワネットです。在位中に「フランス革命」が起こり、1792年に王権が停止し、翌年には処刑されています。フランス国最後の絶対君主にして、フランス最初の立憲君主制の王となりました。
後世の評価は「錠前づくりと狩猟に明け暮れた王妃に操られる無能な王」というイメージが定着していましたが、近年は国民に寄りそい、国民の良い支配者、理想的な王を目指した啓蒙君主であったと見直され始めています。ただし優柔不断な性格のために、国民の反感を買う結果となってしまったといわれています。
マリー・アントワネット
フランス国王ルイ16世の王妃であり、フランス革命で処刑されました。マリー・アントワネットは政治的教育を一切受けていなかったために、「世間知らずの王妃」として国民の憎しみを一心に買うこととなります。彼女の浪費癖が特に、火に油を注ぐこととなりました。
彼女の理念は「革命に対する憎悪・恐怖」「君主制は神聖にして犯すべからずという固定観念」であり、最後まで絶対君主制が正しいという考え方を崩すことはありませんでした。最終的に革命裁判により、贅を尽くした罪などで死刑判決を受け、断首台の露と消えていったのでした。
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マクシミリアン・ロベスピエール
フランス革命期に最も有力な革命家であり、有力な政治家でした。国民議会や国民公会の代議士として頭角を現し、共和主義が勢力をました1973年に公安委員会に入ってからは事実上の首班として活躍しました。
左翼のジャゴバン派の指導者として民衆と連帯した革命を構想し、共和制を守るために国王夫婦・政敵の静粛を断行し、恐怖政治を展開します。ロベスピエールは普通選挙を擁護した現在の民主主義の先駆け者ですが、時代を先取りしすぎた思想と強硬な政策が反発を招き、最後はギロチンで処刑されてしまいました。
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ナポレオン・ボナパルト
フランスの軍人で、後に皇帝になりました。フランス革命後の混乱を収束し、軍事独裁政権を樹立することとなります。フランス革命期は混乱によって人材不足のフランス軍で頭角を現し、外国の反革命軍を降伏させフランス軍の英雄として祭り上げられていました。
パリの王党派の「ヴァンデミエールの反乱」が起こったときに鎮圧に成功させて抜擢されています。その後総裁政府に重用され、海外でも遠征に成功し英雄視された後に、統領政治を築き自身が第一統領となりました。
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フランス革命の影響とその後
フランスでは多くの血と涙が流されましたが、革命により大きく変貌を遂げていきました。フランスという国は、革命後にどの様な国へと生まれ変わったのか、またどの様なことが起こったのかを見ていきます。
ナポレオン・ボナパルトの即位と失脚
フランスが統領政治となり、ナポレオンは皇帝となり「ナポレオン1世」として即位しました。軍事独裁政治を開始し、欧州全土への領土拡大を目指しますが、ロシア遠征に失敗し失脚します。彼は再起を目指してイギリスやプロイセンとの連合軍の間と、「ワーテローの戦い」を起こします。
しかし敗北してしまい、ナポレオンはセントヘレナ島へ流されそこで死去しました。その後何度もフランスは市民革命を重ね、現在のフランスとなったのです。
近代の出発点と評価される
フランス革命はアメリア独立革命と、イギリスの市民革命と並んで、世界的に変換していった時期といわれています。近代の出発点として重要な歴史的契機として評価されているのです。
長く聖職者と貴族が優遇され、庶民が税金を納めるアンシャン=レジームが崩壊し王政が崩れ、共和制へと変わりました。その後ナポレオンの政権の後に再び王政が戻ってきたりもしていますが、フランス革命で身分制度が崩壊した事は、民主主義への大きな第一歩となったのです。
人権という概念が生まれた
フランス革命により「人権」という概念が芽生え、奴隷制度が廃止となりました。フランスは奴隷貿易に深くかかわっており、植民地の現在のハイチ共和国は奴隷の労働で国が成り立っていました。
しかし1789年に「人権宣言」を受けて、奴隷たちが反乱を起こすこととなります。それによりフランス国家は「奴隷解放宣言」を行ったのです。奴隷制度を廃止したこともフランス革命の大きな功績といわれています。
フランス革命の簡単年表
1789年~1791年:フランス革命勃発
- 1789年1月:「第三身分とは何か」と題するパンフレットが作成され大きな反響を呼ぶ
- 5月:フランス政府の財政難により三部会が開かれる
- 6月:三部会解散し、国民議会発足。球戯場の誓いが行われる。
- 7月:バスティーユ牢獄の襲撃により革命が始まる(バスティーユ襲撃事件)
- 8月4日:封建的特権の廃止を定める
- 8月26日:人権宣言を行う
- 10月:ヴェルサイユ行進が行われ、議会もヴェルサイユからパリに移る
- 1790年7月:聖職者基本法が制定される
- 1791年6月:国王一家が逃亡するヴァレンヌ事件が起きる
- 7月:ジャン=ド=マルスの虐殺が起きる
- 9月:立憲君主制の元で1791年憲法が制定される
- 10月:立憲議会が成立する
1792年~1794年:共和制の急展開と恐怖政治
- 1792年:フランス革命戦争が起きる
- 8月10日:8月10日事件が起こりテュイルリー宮殿の国王が襲撃される
- 9月20日:国民公会が招集され、同日にヴァルミーの戦いでプロイセン軍に勝利する
- 9月21日:王政が正式に廃止され共和国となる
- 1793年1月:国王ルイ16世が処刑される
- 3月:フランス国内で反乱が相次ぎ、革命裁判所が設立される
- 6月:ロベスピエールが政権を握り独裁政治をすすめる
- 7月:1793年憲法が制定される
- 1794年7月:テルミドールクーデターによりロベスピエールが処刑され、ジャコバン政権は終わる
- 10月:総裁政権が成立する
1795年~1799年:総裁政権からナポレオン登場
- 1792年:1795年8月:1795年憲法が制定される
- 1796年4月:バブーフの蜂起など各地で反乱が相次ぐ
- 1799年11月:ブリュメール18日のクーデターが起こりナポレオンが総裁政府を倒す
フランス革命を題材にした作品
La Marseyers
18世紀のフランスで庶民的な主人公たちがパリに義勇軍として攻め込む内容です。1938年のフランスの映画ですが、フランス革命の映画といえばこれ!というような映画です。フランス革命に翻弄されながらも人間の自由を求めて戦う主人公たちの姿は圧巻で時代を越えて感動してしまいます。
マリー・アントワネットに別れをつげて
ヴェルサイユ宮殿で撮影された本格的な作品です。マリー・アントワネットの朗読係の主人公が、王妃から寵愛を受けるポリニャック夫人の身代わりを命じられてしまうという展開です。最後までどういった展開になるのかが読めずに楽しめる作品です。
物語 フランス革命 バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中公新書)
フランス革命の本では昔からある本です。バスティーユ牢獄襲撃からナポレオンが活躍するまで、フランス革命の紆余曲折を丁寧に描かれています。当時の考え方なども考慮した説明がされていたり、フランス革命の主要人物やその他の人物も丁寧に書いてあり楽しく読みことができます。
ベルサイユのばら 全5巻セット 化粧箱入り (集英社文庫(コミック版))
日本で「フランス革命」と「マリー・アントワネット」を有名にした漫画です。宝塚でも演じられ、アニメ化もしています。絵が典型的な「昔の少女漫画」の絵柄のために、最初は戸惑うかもしれませんが、読んでいるうちに世界に引き込まれてしまう魅力があります。フランス革命から興味をもった方も是非読んでみて間違いのない一作です。
フランス革命に関するまとめ
いかがでしたでしょうか?筆者は「ベルサイユのばら」が好きでフランスに現在でも憧れを抱いていますが、いざ執筆となると非常に複雑に紆余曲折してたくさんの人物も登場するため、好きな気持ちは強いのですが、書きたいことも多く纏めるのに苦労しての執筆となりました。
今回執筆の機会を頂き、改めて筆者自身もフランス革命を一から調べなおして再認識することができました。沢山の血と涙を流した「フランス革命」があるから、今の世界があるのかもしれません。それだけの熱量がある市民革命を、この記事を読んで学びにして頂いた方がいたら非常に光栄に思います。長い記事にお付き合いいただきありがとうございました。
めちゃめちゃわかりやすかったです!