エリーザベト(オーストリア皇后)とはどんな人?生涯や関連作品を紹介

エリーザベトの功績

功績1「オーストリア=ハンガリー帝国の二重帝国親善に貢献したこと」

当時オーストリア帝国とハンガリー帝国と違う民族で連立した国家だった

宮廷嫌いで皇后の責務を放棄し続けたエリーザベトが、唯一興味を抱いたのがハンガリーだったといいます。そのためにハンガリー語を勉強し、皇帝とハンガリー貴族の通訳が出来るほどだったそうです。そしてハンガリーが自治権を得ることが出来るように、夫に働きかけたといいます。彼女の働きかかけもあり、1867年にハンガリーの自治権が認められ、ハンガリー王国が出来たのでした。

ハンガリーでは今でもエリーザベトのグッツが沢山お土産品として販売されている

姑のゾフィー大公がマジャル人(ハンガリー人)嫌いなのも、エリーザベトのハンガリーへの興味に拍車をかけたといわれています。侍女もマジャル人で固めて、娘にもハンガリー語を教えたそうです。そうした姿勢もあり、今でもエリーザベトはハンガリーで絶大な人気があるのです。

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功績2「皇后とは思えぬ親しみで病院を慰問したこと」

慰問の時に病人の手を取り励ましたという

エリーザベトは積極的に病院の慰問しています。その時に彼女は、死を間近にした人の手を握って励ましたそうです。患者は驚き、そして感激し涙を流したといいます。

20世紀にイギリスのダイアナ皇太子妃が、エイズやハンセン病患者と握手したことに皆が「皇太子妃でありながら」と驚き賞賛しました。20世紀でさえ王族に感染が懸念される病院で、患者と接触ということは考えられない時代でした。

「困った皇后」のエリーザベトが今も人気の理由の一つなのかもしれない

そのように考えると、エリーザベトの行動は時代を先取りしており、「親しみやすい王族」の前身だったのかもしれません。

エリーザベトの残した言葉

15歳という若さで結婚が決まり不安が大きかったことだろう

「結婚というものは不合理な制度。15歳の子が身売り同然に嫁がされる」

エリーザベトが結婚の前に、漏らした言葉といわれています。彼女は家族にも不安で仕方がないと話していたといい、ドイツで気ままに暮らしていたのに突然歴史あるハプスブルク家に嫁ぐということには戸惑いがあったのでしょう。しかし生涯宮廷生活には馴染めませんでしたが、夫婦仲は良好だったというのが不幸中の幸いといえます。

新しい精神治療法にも非常に興味を持っていたという

「気づかなかったのですか?」

これは生涯、精神疾患に悩まされたエリーザベトが、自分の為の精神病院を作ろうというアイデアを面白がり言った言葉です。エリーザベトは新しい精神治療に興味を抱いていたといいます。窮屈な生活で「対人恐怖症」になってしまったり、「黄金の檻」と揶揄される宮殿が如何に彼女を苦しめていたかわかるエピソードです。

ルドルフ皇太子の遺体

「もっと愛情を注いでやれば良かった」

息子ルドルフ皇太子が亡くなったときにいった言葉です。二人は離れて育ったために、どこかわだかまりがずっとあったといいます。しかし突然の死にエリーザベトはショックを受け、息子と疎遠になっていたことを非常に悔いたと伝わっています。

エリーザベトの人物相関図

ミュージカル「エリザベート」の相関図 引用:梅田芸術劇場
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