和宮親子内親王とはどんな人?生涯・年表まとめ【死因や篤姫との関係も紹介】

1866年 – 20歳「夫家茂が薨去し出家する」

家茂薨去に伴い出家し「静寛院宮」と名乗った

1866年に長州征伐のために関西にいた家茂が体調を崩し、大阪城で薨去しました。和宮は家茂の症状が伝えられると、湯島の霊雲寺に病気平癒の祈祷を命じ、医師も蘭学医から漢方医に変えるよう手配し医師を3名大阪城に向かわせています。しかし甲斐なく家茂は帰らぬ人となりました。

大阪からの訃報が江戸に届くと老中は、和宮に次代将軍を誰にすべきか伺いを立てています。そして和宮の助言により次の将軍は徳川慶喜に決まったのでした。この年に和宮は落飾し、号を「静寛院宮」と改めています。僅か20歳で俗世を離れたのです。

兄・孝明天皇が崩御する

明治天皇になると佐幕派の朝廷が急速に討幕派となっていった

1866年の7月に家茂が薨去し、12月に出家しますが、12月25日に孝明天皇までもが崩御してしまいます。立て続けの死に毒殺説も流れていますが、真相は藪の中です。そして年若い甥の明治天皇が即位すると、佐幕派で占められていた朝廷が様変わりしています。

明治天皇は和宮へ京への帰郷を内旨していますが、交渉は進まずにいました。和宮は「攘夷のために下向したが、その甲斐も無くなった。これ以上、外国人が徘徊する江戸にいては朝廷の威信を汚すことになるので善処して欲しい」という要請しており、翌年には上洛するということで決着しています。

1868年 – 22歳「大政奉還に多大な貢献をする」

鳥羽・伏見の戦いで慶喜は敗退、賊軍という烙印を押されることとなった

1868年1月に鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争が起こり、敗れた徳川慶喜は江戸に帰ってきます。朝廷との和解を望んでいた慶喜は、和宮に和解を頼んでいます。慶喜は隠居と後嗣の選定、謝罪を和宮に伝奏を願っていますが、和宮は謝罪のみを引き受け、朝廷に嘆願書を送っています。

この時和宮は嘆願書を、かつての婚約者だった東征大総督の有栖川宮熾仁親王に送っています。嘆願書を渡す使者の役割を果たす橋本実梁に、直接宮に渡すように頼んだといいます。和宮の嘆願書に対して、新政府からの返答が「徳川の存続も可能」とあったために、幕府陣も安心して大政奉還を進めるに至り、西郷隆盛と勝海舟の間で江戸城の無血開城が成しえたのでした。

橋本実梁は和宮の従兄妹であった

この後和宮は橋本実梁に、徳川家の城地と禄高を家臣が養えるくらいの国替えを願う直書も提出しています。新政府は、徳川宗家の相続は許可しましたが、城地・禄高は先送りとしています。しかし5月に駿河70万石との通達がありました。

京都へ帰郷する

父帝・仁孝天皇陵

徳川家の処分が済んだ後、新政府は和宮に上洛を願い出るように促しています。しかし和宮は「仁孝天皇陵の参拝と徳川家寛典処分の御礼のため、上洛を願い出たいが、徳川家の経済状況や江戸の市民感情を考えると、こちらからは願い出かねる。適当な名目を立てて、朝廷から上洛を命じて欲しい」と返信しています。

そして朝廷から帰郷の命が出ても「徳川家の身の安堵を確認した上で」と延期をし、明治天皇の東京への行幸を見届けたうえで1869年に京へ帰着しています。この時に念願だった仁孝天皇陵の参拝も果たすことができました。

1877年 – 32歳「療養先の箱根塔ノ沢温泉で薨去」

箱根の塔ノ沢温泉、ここで地元民との交流もあったと伝えられている

生まれ故郷の京に帰った和宮ですが、明治天皇の勧めで1874年に東京に戻っています。麻布市兵衛町にある旧八戸藩主・南部信順の屋敷に居住し、徳川家や篤姫との交流もあったと伝えられています。しかし東京に戻ったころから脚気を患い、医師の勧めもあり箱根の塔ノ沢温泉に療養に行きました。

しかし療養先の箱根で体調が急変し、薨去しました。享年32歳でした。葬儀は当初神式を予定していましたが、生前の遺言である「家茂様の御側に葬ってほしい」という意志を尊重し仏式で行われ、家茂の眠る東京の増上寺に埋葬されています。

和宮の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

新装版 和宮様御留 (講談社文庫)

「和宮替え玉説」を生み出した小説です。現在でも舞台化されたりもしています。あくまでフィクションですが、そういった噂が昔からあったのだと興味深い内容です。事実今も改葬時の調査でも謎は解けず、今も謎のままとなっています。しかしそれも歴史のロマンを感じてしまう一冊ではないでしょうか。

幕末 戦慄の絆 和宮と有栖川宮熾仁、そして出口王仁三郎 (祥伝社文庫)

皇女和宮の左手はなぜ無くなったのか?実は明治天皇の秘密を知っていたから…噂される歴史を、正史とはかけ離れた内容でありますが、考察されています。都市伝説が好きな人は是非読んでみると面白い本です。

おすすめドラマ

NHK大河ドラマ 篤姫-総集編-DVD-BOX

天璋院篤姫が主人公の大河ドラマです。和宮も重要な役どころで登場します。幕末を女性の視点から見ることができる歴史好きには是非見てもらいたい大河ドラマです。

関連外部リンク

和宮についてのまとめ

いかがでしたでしょうか?幕末は激動の時代であり、多くの偉人が現れた歴史好きにはファンの多い時代ですが、皇族など公家の幕末という目線で見ても別の視点から歴史が見えてきて好きな時代でもあります。和宮は関東への結婚を嫌がっていたものの、最後は徳川の人間として尽力する姿が好き沢山調べていた女性だったので、今回執筆の機会を頂き嬉しく感じている次第です。

また色々な謎も多く持つ女性でもあり、今後わかったらいいなとロマンが尽きない女性とも感じています。そこが歴史のもどかしさでありロマンなのかもしれません。今回この記事で何か新しい事を知ったという人がいたら嬉しく思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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