1567年 – 24歳「家名を「徳川」と改める」
この年、家康は朝廷から本姓を藤原氏であるとされ、同時に従五位下三河守に叙任されることになりました。
そしてそれとほぼ同時期に、彼は自身の家名を「徳川」へと変更。この改姓は家臣団の統率のためだったと言われており、複雑な手続きの末に行われた政治的なものだったようです。
1568年~1582年 – 25歳~39歳「織田・徳川同盟としての戦い」
織田信長の同盟相手として
今川や武田との小競り合いが起こる中、家康は信長の同盟相手として数々の戦にも参戦。姉川の戦いや長篠の戦などで活躍し、信長の同盟相手の筆頭として信頼を受けるようになりました。
そして一方で今川との戦線も幾度かの膠着を経ながらも継続。天下を取るための大きな一手に出ることはできず、家康はここでも耐え忍ぶ形で多くの戦を行うことになっていました。
三方ヶ原の戦い
この頃に起こった家康の中でも最も影響の大きかった戦が、1573年の三方ヶ原の戦いでしょう。徳川軍の大敗北に終わったこの戦いは、家康にとって非常に大きな影響を残しました。
兵力の状況や策略など、ほとんど全ての要因で完全に手玉に取られた家康は、敗北して逃走する際にあまりの恐怖で脱糞してしまったとも伝えられています。
とはいえ、その姿を肖像画に残させて戒めとしたり、武田信玄を恨むのではなく師として尊敬の念を持ったりと、この頃の家康は着々と、後の大物らしい性質を見せ始めています。
本能寺の変
同盟相手として信頼し合い、天下に王手をかけた織田信長が突如として本能寺で討死。家康もまた後ろ盾を失った危険な状態に陥り、一時は信長の後を追って自害しようとするほどだったと言います。
しかし家臣である服部半蔵らの説得で何とか持ち直した家康は、信長不在で荒れ始めた旧織田領の平定を開始。この結果として彼は、5か国の支配権を有する大名として天下に名を轟かせることになりました。
1584年 – 41歳「小牧・長久手の戦い」
総評するに「織田信長の跡継ぎ争い」と呼ぶべき戦となった小牧・長久手の戦いでは、家康は秀吉と対立し、互いにしのぎを削ることになりました。
この戦いは次第に「どれだけ同盟相手を揃えられるか」という外交戦の様相を呈し始め、最終的には全面的な衝突もなく和睦。互いに痛み分けとなる形で終戦を迎えることになりました。
しかし和睦交渉は秀吉に有利な形で進んでいき、同時に家康が頼りとした雑賀衆や土佐の長曾我部らは続々と秀吉に臣従。これによって家康は、またも長い忍耐を迫られることになりました。
1586年 – 43歳「豊臣政権への服属」
豊臣政権への臣従
この頃になると、秀吉は家康を服属させるために様々な手段を画策。家康は服属を拒み続けていましたが、秀吉が実妹である朝日姫を家康に娶らせたことで状況は一変しました。
家康は大阪城に出向き、多くの大名の前で豊臣政権への服属を宣言。家康はこの時、秀吉の陣羽織を所望し、「秀吉に二度と陣頭指揮を執らせない(二度と戦を起こさない)」として忠誠を誓ったと言われています。
豊臣の家臣として
秀吉と義兄弟の関係となっていた家康は、その有能さもあって政権下で瞬く間に力を付けていきました。
小田原征伐では自身の城を前線基地として提供し、自身も豊臣の先鋒として活躍。また、太閤検地に先駆けて寺領における大規模な検地を実施。領内の実情把握などの政治家としての手腕も発揮しました。
江戸への移封
寺領の検地をおこなった家康でしたが、直後に伊達を筆頭とした東北への警戒のために、関東への移封を命じられてしまいます。
これによって石高だけで見れば大幅な加増を受けたことになりましたが、実際は反豊臣が根強い関東の領地であることや、そもそも安定していた北条の統治方法を無闇に崩せないなど、家康は一気に窮地に追い込まれたと言えるでしょう。
1598年 – 55歳「崩壊する豊臣政権」
豊臣秀吉の死
家康は病に倒れた秀吉から、五大老の一人に任命を受けることになります。そして秀吉の死後、五大老は即座に朝鮮からの撤退を宣言。
しかし秀吉の遺言で政治を託された家康は、次第に「政権を乗っ取ろうとしているのでは」と疑念を抱かれることになり、図らずも豊臣政権崩壊の遠因のような存在になってしまいました。
政権の重鎮たちとの対立
「秀頼が成人するまでの間、政治を任せる」という秀吉の遺言に従った家康の行いは、同じ五大老だった前田利家や、五奉行の一人だった石田三成らによって次第に「専横」として咎められるようになってしまいます。
そんな中で家康は、利家との和睦や、政権内で孤立を深めていく三成を庇い立てすることで自体の収束を企図。利家との関係は実際に収束しましたが、三成との関係は悪化の一途をたどっていき、もはやどうしようもない火種となってしまいました。
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