岡倉天心はどんな人?生涯・年表まとめ【思想や名言、作品も紹介】

岡倉天心(おかくら てんしん)は、明治から大正にかけて活躍した美術思想家です。明治維新・文明開化を経て急速な近代化を迎えた当時の日本では、ヨーロッパ美術の吸収に力を入れてばかりで日本美術が軽視されがちでした。天心はそのような状況をどうにかしたいと、「新しい日本美術」の創造に着手します。

また天心は「東京美術学校」の設立に携わり、校長として伝統的な日本美術ともヨーロッパ美術とも違う新しい美術教育を目指しました。東京美術学校の校長職を退いた後は「日本美術院」を設立し、横山大観・菱田春草らの師として近代日本美術の道を歩みます。

岡倉天心
出典:Wikipedia

1904年からは、アメリカ・ボストン美術館の東洋美術部に務め、アジアの美術品の収集や紹介に力を尽くしました。代表作「茶の本」が出版されたのはこの頃です。茶道を通して東洋思想を論じたこの本は1906年にアメリカで出版され、さまざまな言語に翻訳されて読み継がれています。

岡倉天心について、中学・高校の歴史の教科書で詳しく学ぶことはあまりありません。フェノロサとともに一瞬名前が登場するくらいではないでしょうか。けれども天心の日本美術への功績は大きく、現代の私たちが日本の美術品を鑑賞できるのは彼のおかげといっても過言ではありません。

この記事では、日本美術が大好きな筆者が岡倉天心の生涯や功績、代表作「茶の本」などをご紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

岡倉天心とはどんな人物か

名前岡倉天心(本名:覚三)
誕生日1863年2月14日
没日1913年9月2日(享年52歳)
生地武蔵国横浜
没地新潟県赤倉温泉にある
自身の山荘
配偶者岡倉元子
埋葬場所東京都豊島区・染井墓地

岡倉天心の生涯をハイライト

岡倉天心
出典:10MTV

岡倉天心は1863年、横浜に生まれました。実家が貿易商店だったため天心も小さなころから英語を習っていて、欧米の人々と互角に渡り合えるほど堪能でした。また、9歳のときに預けられた寺の住職が、天心に漢学の基礎を教え込んでくれたことも後の仕事に大きく影響しています。

1875年に開成学校(現在の東京大学)に入学し、恩師となるアーネスト・フェノロサと出会います。その3年後には3つ年下の女性と結婚し、大学卒業後は文部省に就職。文部省に務めていたときは、フェノロサとともに古社寺や日本の伝統美術の保存に努めたり、美術教育の視察にヨーロッパを訪れたりしていました。

1890年、天心は27歳で東京美術学校の校長になり、今までの日本美術ともヨーロッパ美術とも違う、新しい日本美術の創造を目指しました。しかし、このような教育方針は保守派の人々や西洋化を目指す文部省の意向には合わず、1898年に天心は校長職を追われることとなります。

平櫛田中は天心生誕100年を記念して銅像「五浦釣人」を制作した
出典:フォートラベル

校長を退いた天心は、ともに退職した横山大観、下村観山、菱田春草らとともに「日本美術院」という研究機関を立ち上げました。けれども経営はなかなかうまくいかず、天心はアメリカ・ボストン美術館の中国・日本美術部に招かれ、東洋美術の収集などをするようになります。日本とボストンを往復する生活を送りながら、1906年には日本美術院を茨城・五浦(いづら)の地に移し「六角堂」を建てました。

同じく1906年にニューヨークで出版したのが代表作「茶の本」です。この著作で天心は、茶道を禅や道教、華道などとの関係から広く論じました。その後もボストン美術館の東洋部長として活躍し、1913年、天心は52歳で生涯を終えました。

岡倉天心の代表作「茶の本」

1906年に岡倉天心がニューヨークで出版した代表作「茶の本」は、彼が「日本文化の真髄」ととらえた茶道を、欧米の読者にわかりやすい解釈で丁寧に論じた著作です。全編を通して英語で書かれたこの本では、茶道を「総合芸術」ととらえることにより、そのなかに貫かれる「茶の心」「茶の哲学」の重要性を訴えました。

「茶の本」は次のような構成になっています。

  • 第1章 人間性の一碗
  • 第2章 茶の流派
  • 第3章 道教と禅
  • 第4章 茶室
  • 第5章 芸術の鑑賞
  • 第6章 花
  • 第7章 真の茶人とは

英語が堪能で、海外での生活も経験していた天心だったからこそ「茶の本」を単なる日本礼賛にとどめることなく今でも世界各地で読み継がれる名著にできたといえます。

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