フリーメイソンの歴史
中世 – 「実践的フリーメイソンの誕生」
中世ヨーロッパには、さまざまな職業の同業組合があり、フリーメイソンもその1つでした。こうした同業組合に加入できるのは、その職業に就いている人に限られます。フリーメイソンは石工職人の組合だったため、当然、加入しているのは石工職人でした。
ただ、他の組合と違い、石工職人は各地を転々と移動することが多かったため、よその土地からきた仲間を見分けるために秘密の合言葉や握手を用いました。
本来なら書類などで証明できれば良いのですが、当時の石工職人たちは全員が文字を読めたわけではなかったため、このような方法が採用されたのです。この頃の伝統は、石工組合から親睦団体にあり方を変えた後も残りました。
1717年 – イギリス「現在の原型となるフリーメイソンが誕生」
石工組合から親睦団体へと変異するきっかけとなったのが、1717年に誕生したグランドロッジです。
1717年、ロンドン市内に存在していた4つのロッジが居酒屋で会合を開き、「グランドロッジ」の設立が決定します。そして、グランドロッジを管理するグランドマスターを選出し、グランドロッジ制度が始まりました。
1721年 – イギリス「アンダーソン憲章の制定」
グランドロッジ制度が始まったはいいものの、1717年時点では明確な決まりがありませんでした。はっきりとしたルールが決まったのは、1721年のことです。
ジェームズ・アンダーソンにより、フリーメイソンのルール「アンダーソン憲章」が起草されました。憲章には、グランドロッジの権限が保証される条件や発祥起源、運営方法、道徳的な訓戒などがまとめられました。
1723年 – イギリス「古代派と近代派に分裂」
順調な歩みを見せるフリーメイソンでしたが、1723年に古代派と近代派に分かれてしまいました。
そのきっかけとなったのが暴露本です。暴露本が次々と刊行されたことにより、合言葉や儀礼が世間に広く伝わってしまいました。
この出来事は巷でブームとなり、部外者がロッジに出入りして勝手に食事をするようになったり、詐欺師などがデタラメな参入儀礼を行って、フリーメイソンではない人々から大金を騙し取ったりと無視できない事態を招いてしまいました。
危機感を抱いたイギリスのグランドロッジは、合言葉を変更。これが、伝統を守ろうとする保守派から非難されてしまいます。結果、フリーメイソンは古くからの伝統を守ろうとする古代派と、伝統を改ざんした近代派の2つの勢力に分かれました。
1733年 – アメリカ「大陸で初めて認証されたロッジが誕生」
2つの勢力に分かれたイギリスのフリーメイソン。一方、アメリカでは、このような争いはなく順調に組織は発展していきました。
1733年に初めてイギリスのグランドロッジから認証を受けたロッジがボストンに誕生。これを皮切りに各地に次々とロッジが設立されます。
一応、イギリスの争いの影響はあったのですが、アメリカでは特に気にしていなかったようで、近代派のロッジから認証を受けたロッジが古代派よりの活動をしていたこともありました。ただ、古代派の方が多かったようです。
というのも、近代派のロッジは貴族的で排他的な性質を持っており、またイギリスびいきの貿易商や行政官がグランドマスターだったという理由があり、独立へ向かっていたアメリカでは評判が悪かったようです。
1738年 – フランス「ローマ教皇が教皇勅書でフリーメイソンを排斥」
300年ほどの歴史を持つフリーメイソンを、最も長く批判し続けたのがローマのカトリック教会です。1738年代のカトリック教会は、宗教改革による混乱が落ち着いたばかりでした。
そのため、宗教に囚われず、教会の教えに真っ向から背く思想を持つフリーメイソンは目障りだったのです。特に決定的だったのが、騎士ラムゼイの講演でした。ラムゼイは演説で、
- フリーメイソンの起源は、中世の石工組合ではなく十字軍である
- フリーメイソンははるか昔、ソロモン第二神殿の建設に関わった
- フリーメイソンの目標は、世界をひとつの共和国とすることだ
と言ったのです。このときは根拠のない思いつきでしたが、ラムゼイの演説は後のフリーメイソンたちに影響を与えました。しかし、カトリック教会の考えと衝突する内容だったため、ローマ教皇の目に止まり、教皇勅書でフリーメイソンを排斥したのです。
とはいえ、当のフリーメイソンたちはあまり問題視していなかったようで、気にせずに活動を続けていました。
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1789年 – フランス「フランス革命とナポレオン戦争」
1789年のフランス革命と言えば、フリーメイソンとが黒幕だったとする陰謀論があります。実際にどうだったのかというと、革命を裏で操ることなど不可能な状態でした。
というのも、フランスに点在する個々のロッジ内には、革命賛成派や反対派、穏健派、急進派、保守派、無関心派などなど、多くのスタンスが混在していました。そのため、フランス革命を起こすには組織としてまとまりがなかったのです。
確かにフリーメイソンの基本理念とフランス革命は相性が良かったため、革命で活躍するフリーメイソンが多かったのも事実です。ですが、それは個人の意思によるもので、フリーメイソンは組織としてフランス革命に参加していたわけではありません。
組織的に活動をしてはいませんでしたが影響がなかったわけではなく、600軒あったロッジが18軒まで激減。絶滅の危機にひんしましたが、ナポレオンの手助けによりフリーメイソンは復興できました。
ナポレオンはフリーメイソンではありませんでしたが、彼らを助けてカトリック教会と牽制させる目的があったようです。
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1809年 – イギリス「2つの派閥が和解」
古代派と近代派に分裂していたフリーメイソン。しかし、両者の違いは一般のフリーメイソンからするとどうでもよいことでした。
1809年に普及ロッジと名付けられた組織が設立され、近代派と古代派の儀礼をそれぞれ実演。両者の違いについて話し合うことになりました。すると今まで争っていたことが嘘のように、近代派の役職者は古代派のシステムが優れていることを認めたのです。
こうして普及ロッジは、近代派と古代派の制度や儀礼を統一し、1813年にイングランド連合グランドロッジが設立されました。
1790年代〜 – 「アメリカで州ごとにグランドロッジが設立される」
1790年代のアメリカは独立戦争を終え、イギリスとの絆が断ち切られた状態でした。そのため、各地のグランドロッジは地方のグランドロッジから独立したグランドロッジへの昇格を考え始めていました。
地方グランドロッジから独立したグランドロッジへの転換は、ほとんとの州で滞りなく進み、1800年初頭には13州すべてが独立したグランドロッジとなりました。
簡単に言うと、アメリカでは州ごとに独立したグランドロッジが設置されており、それらのグランドロッジをまとめる機関がないということです。アメリカという一つの大国に、小さな国がぎっしり詰め込まれているようなイメージがわかりやすいかもしれません。
フリーメイソンの現在
1800年以降も、いくつかのトラブルがありながらもフリーメイソンは発展し続けました。現在では、フリーメイソンは親睦団体・慈善団体として社会的に高い評価を得ています。
ところが1950年を過ぎたころから会員数が徐々に減少。アメリカでは会員数の減少を食い止めるために説明会を開いて数百人単位の新規入会を行うようになりました。結果は成功で、会員数は持ち直しているようです。
日本のグランドロッジでも、月に1度無料説明会を行っていますが、会員数の減少に歯止めがかかりませんでした。しかし、2006年に映画『ダ・ヴィンチ・コード』が上映されてからは入会希望者が増加。
ただし、人脈作りや秘密結社というイメージを期待して入会し、期待と違うとわかって退会する人が多いそうです。
フリーメイソンの関連書籍
フリーメイソン 秘密結社の社会学
フリーメイソンとはどんな組織なのか、23の疑問に社会学者が回答するという内容の本です。フリーメイソンを理解するのに必要な知識も含めてわかりやすく解説しています。そのため、初めてフリーメイソンに触れる方におすすめの本です。
真説 フリーメイソン大百科(上巻)
タイトルの通り、フリーメイソンについて全般的に、詳しく解説した本です。組織の成り立ちや理念、文化、陰謀論などこの一冊を読めば確実にフリーメイソンに詳しくなります。フリーメイソンについて深く知りたい方におすすめの本です。
フリーメイソンをよく知れるおすすめ本8選【解説本からフィクションまで】
フリーメイソンに関するまとめ
フリーメイソンについて紹介しましたが、いかがでしたか?
陰謀論の主役として持ち上げられることの多いフリーメイソンですが、その実態は秘密を持った親睦団体ということがわかりましたね。活動内容も、社会福祉や親睦を深めるイベントなど、平和で有意義なものでフリーメイソンへのイメージがガラリと変わったかと思います。
本記事が、フリーメイソンを理解する助けとなったのなら幸いです。長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。