第二次世界大戦の原因やきっかけは?当時の各国の状況も詳しく紹介

領土拡大と再軍備を強化する

ラインラントはドイツでも有数の産業地帯だった
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ヴェルサイユ条約で、ドイツは厳しい軍備制限下におかれていました。しかしドイツに対する過度な制限は、ドイツ国民の反感を強く買っていたのです。そのためヒトラーは首相になると、「再軍備」を強行しました。

そして、ヴェルサイユ条約でドイツ領内の非武装地帯と定められていたラインラントに、ドイツ陸軍は軍を進駐させてしまいます。これはイギリス・フランスが条約違反として攻めてくるかもしれないため、ヒトラーにとっては一種の「賭け」でしたが、両国の状況的に攻めてこないとヒトラーは予想していました。

ドイツ軍のグデーリアン将軍が、フランス軍が来るかは賭けだったと戦後証言している
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結果的に予想は的中し、ヒトラーはドイツ国民に絶大な人気を得ることに成功しました。フランスは、「ラインラントにドイツ軍が駐留したことを断固抗議し、対応は国際連盟の決定に従う」という方針を取ったのです。これはドイツに自信をつけさせることとなりました。

この時もしフランスがラインラントに軍を送っていたら、再軍備を始めたばかりのドイツ軍は負けて、ヒトラーも失脚し、第二次世界大戦は起こらなかったのではとまでいわれています。

領土を求めポーランド侵攻

独ソ不可侵条約締結の様子、犬猿の仲の両国が条約を結んだことに世界が驚愕した
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チェコスロバキアのズデーテン地方を併合したドイツは、次はポーランドにあるダンツィヒを奪い返そうと考えます。ダンツィヒはバルト海に面した海港都市でドイツの貿易港でしたが、第一次世界大戦の敗戦で領土を奪われ、ポーランド領になっている都市でした。

ポーランド軍、条約の一週間後にはポーランドへの侵攻が開始された
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結局1939年にドイツとソ連は「独ソ不可侵条約」を結びます。この条約は表向きは“お互い不可侵で”という内容でしたが、裏でポーランドの領地の取り分をソ連と取り決めていたのです。そして取り決め後、一週間後にはドイツはポーランドへ侵攻。第二次世界大戦が開戦となりました。

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イタリアの場合

独裁者ムッソリーニの台頭

ムッソリーニ政権の議会の様子
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第一次世界大戦が終戦した後のイタリアは、ベニート・ムッソリーニ率いるファシスト党が独裁政権を行いました。

ファシスト党は、ベニート・ムッソリーニが率いる王政を批判する左翼的な政党であり、1921年に結成された党でした。そして1922年に、黒シャツを着たファシスト党員4万人が「ローマ進軍」を決行。

ムッソリーニを迎えるファシスト党員たち
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この運動は成功し、ムッソリーニは国王から組閣を命じられて政権を奪取しました。ムッソリーニがイタリアの首相に就任したのです。

ムッソリーニは、「愛国心・戦争礼賛・偉大な国家イタリア」といったイタリア人の情緒的な愛国心を強調し、反対派の議員を徐々に追い込んでいきました。そして1926年には全ての野党を廃止、独裁政権を敷いたのです。

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領土を求めてエチオピア侵攻を行う

エチオピア戦争時のイタリア兵
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世界恐慌による不況の影響を受けたイタリアは、大規模公共事業で失業者の雇用を図るも、資源の乏しさから経済を持ち直すことができませんでした。そのため1935年に、新たな領土を目指してエチオピア帝国に宣戦布告しています。これは領土を拡大させて、経済を立て直す目的がありました。

しかしエチオピア帝国は国際連盟に加盟していたために、国際連盟から経済制裁を決議されてしまいます。最終的にエチオピア帝国を1936年に併合し、エマヌエーレ3世はエチオピアの王を兼ね、ローマ帝国以来だった「イタリアの帝国復活」を宣言しました。

エチオピア侵攻は結果的に世界に「危険なファシズム国家」として認識されてしまった
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しかし代償も大きく、エチオピア併合は世界から非難されました。そのためにドイツとスペイン戦争で提携を強めた上に、経済制裁が不服として1937年に国際連盟を脱退しています。これによりイタリアは、世界に「危険なファシズム国家」と印象付けさせることとなってしまいました。

当初は中立の立場だった

イタリア軍、イタリアはドイツや日本ほどの軍を持っていなかった
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イタリアは1937年に国際連盟を脱退したものの、第二次世界大戦への参戦は当初中立の立場をとっていました。ただしヒトラーはイタリアが参戦することを期待していましたが、イタリアとしては「しぶしぶ感」があったのは、ドイツは工業国なのに対し、イタリアは農業国な上にエチオピア侵攻で軍も疲弊していたからといわれています。

結局漁夫の利を狙って参戦

ベルギーに侵攻するドイツ軍、当初ドイツ軍は快進撃を見せていた
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イタリアが中立を保っている間に、ドイツはオランダやフランスに侵攻。予想以上の快進撃に、首相のムッソリーニは、フランスが占領されたことによりイギリスも早期講和に持ち込むだろうと予想し、フランスとイギリスに宣戦布告しました。

ヒトラーとムッソリーニ、親独路線のイタリアはやはり戦争を免れなかった
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ドイツ側についた理由は、ドイツ優位と見て“漁夫の利”を狙っての参戦だったといわれています。またそれ以外に、ドイツへの恐怖もあったといいます。ムッソリーニは周囲に、

「中立でとどまることができると信じているイタリア人はいるのだろうか?どうやって中立を保つか教えてもらいたい、イタリアが後退できないのは明らかであり、鋼鉄と呼ばれる条約に調印したことが、ドイツに侵略される際には最後の頼みの綱になるだろう」

と漏らしていたといいます。イタリアとしてもドイツに侵略されるかもしれない恐怖があり、参戦せざるえない状況となったのです。

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4 COMMENTS

匿名

資本主義はいずれああなる、市場をもとめて拡張する。日本も三菱の経営のために海外拡張してた。そしてドイツを破ったのはソ連だった、まるで社会主義が資本主義より優越というイメージできた。だから世界の社会主義を封じるため、冷戦を進める米国の一部。日本も実際戦後は冷戦植民地となったわけだ。<ポツダム宣言>に戦後日本の新政府の成立のあと連合国名義で駐在する占領軍全部撤退と明記したが。ルーズベルト大統領は冷戦する気なく、ソ連の配慮してたと考える。しかし戦後まで生きられなかった。

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匿名

とても分かりやすかったです!
できれば、戦後の日本について紹介してくれませんか?

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