第二次世界大戦の原因やきっかけは?当時の各国の状況も詳しく紹介

日本の場合

軍部の暴走が始まる

日本は軍部の力が強くなっていった
出典:Wikipedia

第一次世界大戦が終戦した頃から、日本は軍部が政治家の意見を聞かず暴走していき、「軍国主義」へと突き進んでいきました。

1930年代、日本の軍部は東郷平八郎元帥を担ぎ上げて、軍部内の穏健派を攻撃。そのため穏健派の人物は更迭され、陸海両軍は軍内強硬派によって掌握されてしまいます。そして、1931年に関東軍(日本陸軍の一部)は、「満州事変」と呼ばれる柳条湖事件をきっかけに満州全土を武力制圧する事件を起こしてしまいました。

若槻内閣は軍部を止めるよう模索するも力及ばず総辞職した
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満州事変の時、内閣に就任していた若槻内閣は、関東軍にこれ以上事件が大きくならないように「不拡大方針」を表明します。しかし大日本帝国憲法では内閣が軍の作戦行動を阻止することができないために、意思を「表明」することしかできませんでした。

しかし、軍部は一切表明を無視。そればかりか関東軍は、朝鮮の駐屯軍に増援を依頼したりしています。この時「対欧米協調外交」を目指していた若槻内閣は、軍部の暴走を止められなかったために総辞職してしまいました。

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傀儡国家「満州国」を建設する

満州国皇帝「愛新覚羅溥儀」
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満州を制圧した日本軍は、「満州国」を建国します。清朝最後の皇帝となる「愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)」を執政し、満州国は日本人・漢人・満州人・朝鮮人・蒙古人の五族が協力する「五族協和」を目指し、王道楽土の国を目指すとしました。

しかし満州国の実権は日本に握られていました。軍事は関東軍が支配し、皇帝の溥儀も日本の許可がないと何も決められない状態だったのです。このような実情から、満州国は日本の傀儡国家といって差支えのないものでした。

国際連盟に対する不満

国際連盟の総会の様子
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国際連盟の発足時、アジアで唯一の列強だった日本は、常任理事国の一国でした。しかし関東軍が建国した「満州国」が発端で、最終的に国際連盟を脱退してしまいます。

1931年に満州国が建国されてから、反発した中国(現在の台湾)が国際連盟に提訴したのです。その要望を受け、イギリスの「リットン調査団」を満州に派遣しています。結果リットン調査団の報告は、「日本の満州への特殊権益は認める」というものでしたが、「日本に満州を返還するように」という調査報告をしています。

演説する松岡洋右外交官
出典:ゆかしき世界

そして1933年にリットン調査団の報告書を元に、国際連盟総会が開かれました。ここで「満州国を認めないか」を審議しますが、参加した国の審議の結果は、賛成が42国、反対1国(日本のみ)という結果だったのです。このため外交官・松岡洋右は国連の決定を受け入れることができないと演説し、議会を退席しています。

実は脱退を宣言した松岡洋右は、脱退の後に非常に後悔していたといいます。しかし日本に帰ってきてみると、日本では国民に拍手喝采で出迎えられています。

国際連盟脱退を報じる新聞
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そこからもわかるように、世論も軍国主義に傾いてきていました。そして総会の2か月後に、日本は正式に国際連盟の脱退を表明。戦争への道を突き進んでいくこととなったのです。

日中戦争泥沼化

日中戦争の中国兵
出典:Wikipedia

日本が国際連盟を脱退後、1937年に盧溝橋事件を発端として日中戦争(支那事変)を開始。中国と全面戦争しますが、日本の予想以上の抵抗に戦闘は長期化。日本は国家総力戦で挑みますが、なかなか勝負がつきませんでした。

そのために、日本は中国を援助するアメリカやイギリスの輸送路を遮断したいという考えが出るようになります。これが日本の第二次世界大戦に参戦する1つのフラグです。

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ABCD包囲網による経済困窮

日本は東南アジアの石油や天然資源がとても欲しかった

日本が第二次世界大戦に突入する理由の一つに、日本が東南アジアの石油や天然資源を欲していたことが挙げられます。そのために日独伊三国同盟を結び、ドイツに降伏していたフランス領インドシナ半島を占領し、資源を確保しようとしました。

このことに反発した東南アジアに植民地を持つアメリカ・イギリス・オランダが、“ABCD包囲網”と呼ばれる石油を輸出しない経済制裁を行います。

ABCD包囲網の図
出典:ええランチ探検隊

これにより、日本の石油はあと半年で尽きるという程に追い詰められたのでした。日本は世界恐慌の影響で経済はひっ迫し、そのため領土と資源を求めて戦争をしかけ、その結果経済制裁を受けて更に厳しい状況となってしまったのです。

太平洋戦争に突入

アメリカの真珠湾を攻撃、太平洋戦争へと突入した
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結局日本はアメリカの挑発を受け、アメリカに奇襲攻撃。1941年に太平洋戦争に突入することとなりました。この頃ヨーロッパではドイツが破竹の勢いで進軍し、イギリスが窮地に立たされアメリカの参戦を切望していました。そのためアメリカも第二次世界大戦への参戦タイミングを図っていました。

クアラルンプールで戦う日本軍、西洋植民地に侵攻した
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そして日本の方も当時アジアの権益はイギリスとフランスが握っており、ドイツがイギリスとフランスに勝利をしたら、その二つの領地を得る事が出来ると目論んでいました。そして経済制裁により石油も止められ、結局早期講和を目標に“太平洋戦争”を開戦し、第二次世界大戦に参戦したのです。太平洋戦争突入により、ドイツとイタリアも日独伊三国同盟により宣戦布告。世界を巻き込んだ世界大戦と発展していきました。

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第二次世界大戦の原因に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?今回第二次世界大戦の原因に焦点を置いた記事の執筆を通じて感じていることは、結局各国が“自国ファースト”を掲げた結果起きた戦争だと感じています。大きくは経済政策が遠因であり、国家間の弱肉強食の結果が第二次世界大戦だったのではないでしょうか。

しかし結局戦争という解決法は、多くの人命を失い焦土と化してしまうものです。何も残る解決法ではなくこれから人類が戦争という手段で、物事を解決することが無いように願う次第です。第二次世界大戦を教訓に、世界が助け合いながら進んでいかなければならないと感じることができます。この記事を読んで、第二次世界大戦とはこういう戦争だったんだと知っていただいた人がいたら光栄に感じます。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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3 COMMENTS

匿名

とても分かりやすかったです!
できれば、戦後の日本について紹介してくれませんか?

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匿名

資本主義はいずれああなる、市場をもとめて拡張する。日本も三菱の経営のために海外拡張してた。そしてドイツを破ったのはソ連だった、まるで社会主義が資本主義より優越というイメージできた。だから世界の社会主義を封じるため、冷戦を進める米国の一部。日本も実際戦後は冷戦植民地となったわけだ。<ポツダム宣言>に戦後日本の新政府の成立のあと連合国名義で駐在する占領軍全部撤退と明記したが。ルーズベルト大統領は冷戦する気なく、ソ連の配慮してたと考える。しかし戦後まで生きられなかった。

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