②内観はキリスト教の世界
ノートルダム大聖堂内は、外観よりも更にキリスト教の世界が広がっています。木々のように連なった柱の向こうに見える祭壇と金色に光る十字架。その真後ろにあるステンドグラスとバラ窓には、キリスト教の世界観が美しく描かれています。
また、聖堂内にはトリビューンと呼ばれる二階席があり全部で9000人もの人々を収容することが可能です。そのため、ミサ*を行う際には非常に多くの市民を集めることができます。
ゴシック建築ならではバラ窓は3つ存在しており、一つひとつが異なるデザインであることが特徴的ですね。
正面の奥にある北のバラ窓は中央の円に聖母マリアと幼いキリストが描かれており、南のバラ窓にはキリストの亡骸を抱く聖母マリアが描かれています。
そして、西のバラ窓の手前には巨大なパイプオルガンがあり時折コンサートが開かれていることでも有名です。ちなみに、バラ窓の下にあるステンドグラスは換気のための窓としても利用されていますよ。
③美しい美術品を多数収蔵
ノートルダム大聖堂は外観も内観と素晴らしいものですが、美しい美術品が多数所蔵していることでもしられています。
聖母子像や巨大な絵画作品。美術品とは少し異なりますが、雨水の落とし口にある彫刻ガーゴイルも特徴的ですね。ガーゴイルは外壁から離れているため、壁が侵蝕される恐れもありません。ノートルダム大聖堂の白く美しい外観は、こういった面からも守られているのです。
しかし、その中でも特に代表的なのは「聖遺物」です。聖遺物とは、キリスト教のカトリック教会におけるイエス・キリストや聖母マリアの遺品または聖人の遺骸や遺品のことを示しています。
ノートルダム大聖堂が所蔵しているとされる聖遺物は「いばらの冠」「聖ルイのチュニック*」「真の十字架*」などが有名です。特に、いばらの冠はキリストが処刑された時に身につけていたとされる貴重な冠になります。
ノートルダム大聖堂の修復にまつわる出来事
ノートルダム大聖堂は200年近くかけて建設されましたが、その後何度も修復を繰り返してきました。上記で述べた「フランス革命後の修復」のほか、「2013年の改修工事」「2019年からの再建活動」などです。
これら3つの修復をするにいたっては、きっかけとなる出来事がありました。ノートルダム大聖堂はフランスの歴史を見てきた建造物ですが、大聖堂自体にも深い歴史が刻まれているのです。
人気小説をきっかけに復興運動が始まる
最初の修復はフランス革命後に出版された、とある小説がきっかけでした。1831年にフランスのロマン主義作家ヴィクトル・ユゴーが書いた小説『ノートルダム・ド・パリ』です。
小説では15世紀のパリを舞台にした鐘つきと民衆、聖職者が登場。ノートルダム大聖堂は作品の主軸として使われており、物語は大聖堂の周囲や聖堂内で展開しています。
ユゴーは『ノートルダム・ド・パリ』を通じて、ノートルダム大聖堂という建築物の偉大さや素晴らしさを当時のフランス市民たちに教えたのです。その結果として、廃墟となっていたノートルダム大聖堂を復活させる復興運動が始まりました。
1843年にようやくノートルダム大聖堂の修復が正式に決まり、1845年から工事が始まったのです。小説と民衆の力によって、再びノートルダム大聖堂の活気が取り戻され始めた瞬間でした。