フランスのノートルダム大聖堂は12世紀にパリ・シテ島で建設されたローマ・カトリック協会の大聖堂です。1991年にはユネスコの世界遺産に登録されました。
800年以上もの間パリの街を見守ってきたノートルダム大聖堂は、フランス人にとってかけがえのない建造物といえます。
とはいえ、「ノートルダム大聖堂」という名前が有名な一方で、特徴やその歴史を詳しく知らない方は多いはず。
そこで今回はノートルダム大聖堂の特徴から修復の経緯、現在の姿にいたるまでの歴史をまとめました。この記事でノートルダム大聖堂の理解が深まれば、これまでとは違った見方ができますよ。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。
ノートルダム大聖堂とは
ノートルダム大聖堂(Notre Dame Cathedral)は、聖母マリアを示すローマ・カトリック教会の大聖堂です。ノートルダム(Notre Dame)はフランス語で「我らが貴婦人」を意味しており、聖母マリアを指しています。
フランスの首都パリにあるノートルダム大聖堂*は12世紀ごろに着工し、200年近く経って完成しました。その後、幾度か修復を繰り返し、1991年にはユネスコの世界文化遺産に登録されています。
しかし、2019年に大規模な火災に見舞われ甚大な被害を受けました。現在もなお、再建作業が続けられています。
ノートルダム寺院との違い
ノートルダム大聖堂はノートルダム寺院とも呼ばれることがあります。しかし、建物そのものに明確な違いはありません。少なくとも、フランス・パリのノートルダム大聖堂においては表記が異なるだけで同じ建造物を指しています。
「大聖堂」とは司教*の椅子(司教座)を持つ聖堂を意味しており、「寺院」とは宗教的な儀式を執り行う場所のことです。
どちらかといえば、「大聖堂」のほうがキリスト教の教会というイメージが強いですね。そのため、誰かに聞かれた場合は「ノートルダム大聖堂」と答えるほうが良いでしょう。
フランス革命後に廃墟となる
12世紀に建設されてからフランスの人々に欠かせない建造物となったノートルダム大聖堂。しかし、一度だけフランス人の手によって破壊されたことがありました。きっかけとなったのは「フランス革命」です。
フランス革命では権力者の支配する社会が崩壊し、市民が権力を持つようになりました。その結果、フランス革命後には科学や理性に基つぐ自由思想者が増加。
彼らは宗教を批判し、キリスト教会であるノートルダム大聖堂にて無神論的な祭典「理性の祭典」を行いました。それだけでなく、大聖堂の扉や彫刻を破壊し始めたのです。
1843年、フランス政府によってノートルダム大聖堂の修復が決定されるまでノートルダム大聖堂は廃墟となっていました。