ノートルダム大聖堂とは?特徴から火災の原因、現在まで簡単に解説

ノートルダム大聖堂の歴史【簡単年表】

1163年「ノートルダム大聖堂 着工開始」

司教モーリス・ド・シュリーの彫像
出典:Wikipedia

12世紀後半のフランス、国王ルイ7世が統治していた頃にローマ教皇であるアレクサンデル3世によってノートルダム大聖堂を建設するプロジェクトが始まりました。建築工事を指揮したのは司教であるモーリス・ド・シュリー。彼は1196年に死去しましたが、オドン・ド・シュリーが後を継ぎました。

1345年「ノートルダム大聖堂 完成」

主祭壇を安置する空間である「内陣(ないじん)」や中央の通路である「身廊(しんろう)」、バラ窓や正面玄関など様々な場所の建築を200年近くかけて行い、ようやく完成。巨大で美しい大聖堂が誕生しました。

1789年「フランス革命」

貴族や高級聖職者が支配する社会が崩壊し、民衆が権力を握ることになったフランス革命。この出来事によって、ノートルダム大聖堂の存在は以前よりも人々に顧みられなくなっていきます。

1793年「市民による破壊活動」

人々の思想は信仰から破壊活動に移り変わった

科学や理性に基づく自由思想が広まったことで、人々の信仰心が薄まっていきました。その結果として、遂にノートルダム大聖堂での破壊活動が始まったのです。彫刻の頭部が切り落とされたり装飾を削り取る行為が増加し、ノートルダム大聖堂は廃墟となりました。

1831年「『ノートルダムの鐘』が出版」

作家ヴィクトル・ユゴーによって小説『ノートルダム・ド・パリ」が出版。社会の弾圧によって愛し合う者たちが引き裂かれる様子を感情的に描いた作品です。フランスの人々はノートルダム大聖堂を舞台に描かれた物語に惹きつけられました。

1845年「ノートルダム大聖堂 修復開始」

小説『ノートルダム・ド・パリ』の出版がきっかけとして、ノートルダム大聖堂の復興運動が開始。1843年にフランス政府が全体の修復を決定し、1845年から建築家ラシュスとヴィオレ・ル・デュクの指揮に基づいて修復作業が始まりました。19年後に修復は完成します。

2013年「着工850周年プロジェクト開始」

夜のノートルダム大聖堂の様子

1163年の着工から850年が経ったことを記念して広場や照明の改修工事のほか、新しい鐘の設置やオルガンコンサートなどが開かれました。フランス大統領やパリ市長などの支援のもと開催され、多くの人がノートルダム大聖堂の記念日を祝ったのです。

2019年「大規模な火災が発生」

フランスの象徴ともいえるノートルダム大聖堂ですが、2019年に大規模な火災に見舞われました。原因は未だ不明のままです。テロという説もありますが、定かではありません。現在、ノートルダム大聖堂は2024年の復活を目指して再建中です。

1 2 3 4 5 6

コメントを残す