フランス史を物語る建物
ノートルダム大聖堂は建設されてから現在まで、フランスの歴史を物語る建物として知られています。上記で紹介したフランス革命以外に、19世紀に起こったパリ改造*や第二次世界大戦などフランスの歴史的な出来事の多くに関係しているからです。
それでは、なぜノートルダム大聖堂はこれら多くの歴史的な出来事に関わっているのでしょうか?それには、ノートルダム大聖堂が建てられいる場所が深く関わっています。
パリのノートルダム大聖堂は市内の中心を流れるセーヌ川にあるシテ島に建てられました。シテ島は「パリ発祥の地」とも呼ばれるほど古い歴史を持ち、パリ市内の中心に位置している島です。
そんな場所に建設されたノートルダム大聖堂は、建立から否応なしにフランス市民の目に留まる建造物になりました。
フランス革命後は街の中心地にある大聖堂として市民の破壊活動に遭い、19世紀のパリ改造では衛生的な場所へ変化を遂げる様子を目の当たりにします。第二次世界大戦後は勝利を祝う式典がノートルダム大聖堂で行われました。
シテ島に建つ巨大で美しい大聖堂である、ノートルダム大聖堂。嬉しい時もつらい時もフランスの中心からパリの街を見ていたのです。
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ノートルダム大聖堂を象徴する3つの特徴
200年近い歳月をかけて建設されたパリのノートルダム大聖堂はゴシック建築で作られており、初期のゴシック建築における傑作とされています。全体的な装飾は名前の由来にもなった聖母マリアが中心です。
聖母マリアが天国にあげられる聖母被昇天の様子やキリストを中心とする聖人たちが、大聖堂の外観や内観といったあらゆるところに描かれています。
優美かつ複雑な建築様式とローマ・カトリック教会として申し分のない装飾。これらを著名な建築家たちが長い年月をかけて作り上げたのです。
①外観は「白い貴婦人」
ノートルダム大聖堂の建設は、1163年に司教モーリス・ド・シュリーによって開始されました。外観の色合いが白く、ノートルダム(我らが貴婦人)という名前から「白い貴婦人」とも呼ばれています。
建設当時はローマ風の建築様式であるロマネスク様式が盛んだったため、大聖堂の一部はロマネスク様式の面影があります。のちに合理的な構造を持つゴシック建築に変化しました。
つまり、ノートルダム大聖堂はロマネスク様式からゴシック様式への移り変わりを表す貴重な建築物となったのです。
外観の特徴としては、白という色合いだけではありません。天井と外壁を支えるフライング・バットレス、3つの正面玄関も非常に特徴的です。
特に正面玄関は左側から聖母マリア、キリストの最後の審判、聖アンナの門を丁寧に表現した装飾が施されています。そして、その上には28人の王たちの彫像が並んで参拝者たちを見下ろしているのです。
また、作品『ノートルダムの鐘』のモチーフとなった鐘もノートルダム大聖堂の外観を彩っています。鐘は10個あり、最も大きな鐘は直径約2.6mで重さ約13トンです。
正面の双塔も特徴的であり、そのテラスには魔除けとして悪霊を追い払うとされる怪獣キマイラが安置されています。ノートルダム大聖堂の外観は、ただ美しいだけでなく気高く美しい教会堂の威厳を表現しているのです。