「日中戦争が起きた原因は何?」
「日中戦争はなぜ長く続いたんだろう…?」
日中戦争とは、1937年に起きた中国と日本の戦争です。日中戦争と同時期には太平洋戦争も起きており、日本は中国と戦いながら、アメリカやイギリスとも戦争をしていました。
約8年間も続いた日中戦争ですが、なぜこの戦争は起きてしまったのでしょうか?この記事では日中戦争が起きた原因から長引いてしまった理由までわかりやすく解説していきます。
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
そもそも日中戦争とは?
日中戦争とは、日本と中華民国との間で起こった戦争です。1930年代初頭より、日本は中国への侵略を開始。そして1937年の盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)がきっかけで、全面戦争に発展していきました。
日本の侵略に対し、中国は当時内戦状態だった共産党と国民党が手を組み、徹底抗戦を続けました。そして戦争は長期化。そのため日本は国家総力戦を挑みます。しかし太平洋戦争が始まると、次第に後退を余儀なくされるようになっていきました。最終的に1945年の日本のポツダム宣言受諾により、中華民国が勝利しています。
詳しい内容は下記の記事を参照してください。
日中戦争の直接的な原因は「盧溝橋事件」
日中戦争の直接的な原因は「盧溝橋事件」です。事件の終息に向けて和平交渉を続けるも、和平は成功せず日中戦争の発端となりました。
事件の内容は、日本軍の夜間演習中に何者かが発砲したことから始まりました。事態を重く見た日本は、盧溝橋の中国兵士にすぐ撤退するように通知します。しかしその交渉中にも中国軍が日本軍に攻撃。そのため日本軍は盧溝橋を応戦して占拠し、盧溝橋の兵士に武装解除と軍の撤退を要求しています。
しかし中国政府は停戦協定の提示を拒否。そのため日中両国は戦闘に突入し、日中戦争へと発展していきました。
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日中戦争の勃発には様々な背景が
結局「盧溝橋事件」がきっかけで火ぶたが切って落とされた日中戦争ですが、戦争に至るまでに多くの戦争フラグがたっていました。そういった日中戦争が引き起こされた背景を紹介します。
1.日本は領土拡大を狙っていた
日本は日露戦争後、満州や内モンゴルを植民地にしようと考え始めました。辛亥革命が起こった後の中華民国は日本の動きを認めずに、権利を回復することを主張しますが、日本は聞く耳を持ちませんでした。日清・日露戦争で獲得した朝鮮半島や租借している関東州(大連)を足がかりに、中国大陸進出を狙いだします。
そこで1931年に関東州を管轄してた関東軍が、日本の南満州鉄道を爆破して攻め込み満州を占領。関東軍は中国東北部に「満州国」を建国しました。辛亥革命で退位していた清王朝最後の皇帝「愛新覚羅溥儀」を執政として建国された国でしたが、実際は重要なことは関東軍の許可がないとできない傀儡国家の誕生だったのです。日本本国では、犬養内閣は満州国を承認しませんでしたが、次に就任した斎藤内閣によって承認されました。
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2.中国での抗日運動が活発化していた
中国のほうは蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる中国共産党による内戦状態に陥っており、満州国まで手が回っていない状態でした。しかし1936年に蒋介石が張学良に、西安に監禁されてしまいます(いわゆる西安事件)。
張学良は父である張作霖が関東軍に殺害されたために、反日感情の強い人物でした。そのため国民党と中国共産党の内戦をやめさせて手を組み、抗日民族統一路線を打ち出し一大連合を組織していったのです。
抗日運動が激化するようになってから、日中の関係は冷え込み中国で日本人が殺される事件が多発し始めます。そんな中日中戦争のきっかけといわれる盧溝橋事件が勃発。しかしこの事件自体は停戦協定が結ばれて終わっています。
しかし同時期に上海で日本軍人が、中国人に25発弾丸を打ち込まれ後ろ頭が潰され、胴体に穴をあけられるといった陰惨な事件が起きました(大山事件)。そのために日本軍は和平交渉を打ち切って中国に侵攻を開始。泥沼の日中戦争が開戦されてしまったのです。
そもそも満洲の地域は、満洲民族の発祥・揺籃の地であり、純粋なるいわゆる漢民族(漢人)の父祖伝来の土地ではないです。満州王朝最後の宣統帝は、広州を根拠地とする漢人の蒋介石将軍率いる北伐国民党軍事覇権政権による満洲侵略からの防備のために日本軍と同盟した面も否定できないです。張作霖軍閥軍は、漢人を頭目とする非合法私的軍事集団であり、正式なる満洲民族の代表者ではないです。後の華北分離政策(外交交渉)も、北伐された旧北洋軍閥政権=北京政府(少なくとも北伐以前は当初は中華民国の正式なる代表政権)の再興を目的とする外交交渉でした。一方的なる日本軍による中国侵略との見解は、「北伐内戦」も知らない、司馬遼太郎氏、山岡荘八氏、森鴎外氏、吉川英治氏他の歴史文学も読んだ事もないような幼稚で浅い考えですね。