3.日本軍部の暴走が起きていた
1930年頃には、日本は右傾化していき軍部の力が強まっていました。1931年の満州事変は、軍部が中央政府に許可なく事件を起こし、満州を占領した事件です。しかし結局満州を占領できたから良いかと関係者を罰せられる事はありませんでした。
そして自分勝手な侵略行為を行った軍部は、罰せられるどころか英雄視されていき、あの人が大丈夫だったからと後に続こうといったような風潮すらあったといわれています。そして戦争することにより、予算が貰えて権益も得られるために軍部はすぐ戦争を仕掛けるようになっていきました。
当然政治家は軍部を注意しますが、暴走を止めようとした政治家は五・一五事件やニ・ニ六事件で暗殺されてしまいました。そのため命が惜しい政治家は、軍部に逆らえなくなっていきます。そして元軍人の斎藤実が内閣に就任すると、政党に関係なく人材を登用する挙国一致内閣を推進しました。そして内閣は軍部よりの人選になり、軍部の影響は益々強くなっていったのです。
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日中戦争が泥沼化した3つの原因
1937年に勃発した日中戦争は、最終的に1945年に日本が無条件降伏するまでの8年間にも及ぶ長期戦争となっていきました。どうして日中戦争は長期戦争へと発展してしまったのか?主な原因を紹介します。
1.中国が「持久作戦」をとったため
まず中国側が徹底した「持久作戦」だったことが原因の一つです。中国は民間人の格好をしてひそかに武装化するという「ゲリラ作戦」を取っていました。そして日本に主要都市を占領されても、撤退して抗戦を続けていたのです。
日本側としてはある程度打撃を与えて、講和や降伏などの動きに持っていく計算をしていました。しかし中国側は撤退して抗戦を繰り返していき、終わりどころがなく続いていったのです。そして日本側もゲリラ戦慣れておらず短期戦ばかりだったため、十分な準備が出来ていたとはいえず、補給を軽視した影響が出始めました。そして焦った日本軍は攻撃を過激にしていき、後の「南京事件」へと繋がっていったのです。
2.蔣介石が米・英を味方につけたため
内乱状態が続く中国が8年の戦争に持ちこたえられた理由は、アメリカやイギリスなどの強国の援助があったためといわれています。そのため日本もアメリカとイギリスが蒋介石を支援している限り、降伏はしてこないだろうと考えます。そして、いわゆる「援蒋ルート」と呼ばれる米・英が中国に物資を支援するための輸送路を断つために、当時フランス領だった仏領インドシナを占領。
これが日米・日英関係を悪化させ、結果的には太平洋戦争にまで発展することとなったのです。その背景には、アメリカにとって日本が勝利して中国にこれ以上利権を増やされると、商売上都合が悪いといった事情もあったようです。また蒋介石の妻がアメリカで演説をし、アメリカの世論は「日本=悪」というイメージが定着していったといいます。
日本側としても、戦争のきっかけは中華民国側から日本側への唐突な武力行使によって始まったため、アメリカやイギリスが中国を支援することを不満に感じており、米・英に対する反感に繋がっていきました。
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3.和平交渉に失敗したため
日中戦争が勃発した盧溝橋事件からおよそ5か月後の1937年12月に、ドイツを仲介して和平交渉が行われていました(トラウトマン和平工作)。この頃は南京を占領した1か月後であり、上海の陥落も目前に迫っていた頃でした。結果は戦争を終わらせる可能性があったものの、途中で交渉を打ち切ってしまっています。
ドイツは日本とも同盟国であり、中国とも友好関係を結んでいたために、仲介に名乗りをあげたのです。ドイツとしては、日本とソビエトを挟み撃ちにしたいという思惑もあり、日中戦争を早く終わらせたかったためといわれています。
交渉は行われましたが、交渉途中に戦闘が激化。日本側は中国側への要求に、賠償金の負担を付け加えたりと条件が大きく変えていきました。それに対しての中華民国からの返答が無かったために、1938年に和平交渉を打ち切っています。この和平打ち切りは首相・近衛文麿と外相の廣田弘毅・陸相の杉本元、海相の米内光正の4相が取り決めました。
この時、陸軍参参謀次長・多田駿は和平打ち切りを反対しており、昭和天皇に上奏(意見)することを考えていたといいます。しかし政府と海軍・陸軍省が阻み、強行しました。つまり日中戦争の泥沼は、満州事変のような陸軍だけの暴走ではなく、むしろ政府や海軍が後押しして突き進んだ側面を持っているのがわかるのです。
そもそも満洲の地域は、満洲民族の発祥・揺籃の地であり、純粋なるいわゆる漢民族(漢人)の父祖伝来の土地ではないです。満州王朝最後の宣統帝は、広州を根拠地とする漢人の蒋介石将軍率いる北伐国民党軍事覇権政権による満洲侵略からの防備のために日本軍と同盟した面も否定できないです。張作霖軍閥軍は、漢人を頭目とする非合法私的軍事集団であり、正式なる満洲民族の代表者ではないです。後の華北分離政策(外交交渉)も、北伐された旧北洋軍閥政権=北京政府(少なくとも北伐以前は当初は中華民国の正式なる代表政権)の再興を目的とする外交交渉でした。一方的なる日本軍による中国侵略との見解は、「北伐内戦」も知らない、司馬遼太郎氏、山岡荘八氏、森鴎外氏、吉川英治氏他の歴史文学も読んだ事もないような幼稚で浅い考えですね。