天才作家!伊藤計劃とはどんな人?生涯・年表まとめ【死因や名言、作品についても紹介】

性格は完璧主義者のビビりだった..?

伊藤計劃の性格について、3つ年下の妹は「凄く慎重で完璧主義。人の評価をとても気にするビビりだった」と答えています。慎重で完璧主義な一面は作品から、ビビりな一面は前述の部誌のエピソードからも読み取ることができるでしょう。

創作活動には人一倍熱かった

しかしそんな慎重さの一方で、伊藤の創作活動への情熱は異常なほどに熱く、彼は晩年「僕は両足を失ってでも生きたい。書きたい物がまだまだたくさんある」と、病床の中で創作への情熱を口にしたとのこと。慎重でありながら、創作に対しては何処までも情熱的な人物だったことが伝わります。

実際、彼の処女作である『虐殺器官』は、9か月間の治療の終了と同時に執筆を開始し、僅か10日間で書き上げた作品なのだそう。文庫本換算で約400ページの作品を10日で書き上げ、しかもその作品が高い評価を得る辺り、伊藤計劃が創作活動に対し、熱すぎるほどの情熱を燃やしていたことが、皆さんにも伝わってくれるのではないでしょうか。

伊藤計劃の死因は?

伊藤計劃の死因は肺ガン。伊藤の体に巣食ったガンは、寛解と再発と転移を何度も繰り返し、その闘病生活は8年にも及んでいたようです。

長きにわたって闘病生活を強いられた

伊藤を侵していた病魔は「ユーイング肉腫」というガン。骨に発生する珍しい形のガンで、滅多に転移することが無い代わりに、転移してしまえば手の施しようがないガンでした。その病巣は伊藤の右足の神経を侵しており、手術によって病巣を取り除くと、伊藤の右足は「ただそこにぶら下がっているだけ」になってしまったそうです。

そうして一度は病魔との戦いを乗り越えた伊藤ですが、2005年には左右の肺にガンが転移していることが発覚。2006年には肺の一部を切除し、以降はほとんど入退院を繰り返す生活を送ることになります。その頃の伊藤の様子は、ブログ『伊藤計劃:第弐位相』に細かく記され、彼の(少なくとも表向きは)明るい入院生活を覗き見ることができます。

病状の進行を止めることができず

そして2009年。この時期になると、伊藤の体には6か所にガンが転移しており、もはや寛解どころか手すら付けられない状況に。病状の悪化と、それに伴う治療の激化で食欲も失くしていた伊藤でしたが、ある日、夕食が好物のカレーであることを母から聞かされると、「じゃあ食べてみる」と数口を食べ、そのままその日のうちに、眠るように息を引き取ったのだそうです。2009年3月20日、享年は34歳でした。直接の死因は、再発した肺ガンであるとされています。

伊藤計劃と『PSYCHO-PASS』の関係

重厚かつ繊細な世界観で人気を博すアニメ・『PSYCHO-PASS』シリーズにも、実は伊藤計劃の影響があるようで…?

『PSYCHO-PASS』シリーズと言えば、若者を中心に多くの世代から人気を集める、SFクライムアクションアニメです。満たされているが故にどこか閉塞感のある社会の描写や、ユートピアとディストピアの本質などを描く作風からは、どこか「伊藤計劃らしさ」を感じる方も多いことでしょう。

とはいえ、『PSYCHO-PASS』の初回放送は2012年10月。伊藤計劃の夭折からは年単位で時間が経過しているため、実のところこの作品自体に「伊藤計劃がクリエイターとして参加していた」という事実はありません。

しかしその一方で、『PSYCHO-PASS』の脚本を担当していたシナリオライター・虚淵玄が、かなり熱狂的な伊藤計劃ファンで、その作品からかなり影響を受けている人物だということはご存知でしょうか?

虚淵玄は、『魔法少女まどか☆マギカ』『Fate/Zero』などの脚本を担当した、重々しく物悲しい作風に定評があるシナリオライター。

虚淵氏は、デビュー当時から伊藤計劃作品の熱心なファン。それもシナリオライターとしてのデビュー後も、伊藤計劃との対談の機会を「恐れ多いから」と断ってしまうような、心酔していると言えるレベルの大ファンだったというのです。

実際、『PSYCHO-PASS』の中に登場する槙島聖護(まきしましょうご)というキャラクターが、作中で伊藤計劃の作品を愛読、紹介していたり、『Project:Itoh』と『劇場版PSYCHO-PASS』がコラボしていたりと、虚淵氏のリスペクトあっての伊藤計劃と『PSYCHO-PASS』の関係性は、客観的にもかなり多く見受けられます。

主観的な、それこそ『PSYCHO-PASS』作中の用語であったりセリフ回しであったりも含めれば、そのリスペクトを示す部分はより多く見受けられることでしょう。皆さんも是非、そう言った部分を探してみていただき、伊藤計劃という作家の影響の大きさを実感してみてほしいと思います。

作家「円城塔」と多くの共通点が見られる?

伊藤計劃と関係の深い人物として真っ先に挙げられるのは、筆者としてはやはり、作家の円城塔であると思います。

伊藤と円城は、共にデビュー作で「小松左京賞最終候補」にノミネートされ、ハヤカワJコレクションから作品が刊行。「ベストSF2007」の国内篇で伊藤が1位、円城が2位を取るなど、作品同士の関わりはもとより、共に1970年代前半の生まれであることや、「小説ではない文章で」文章執筆に慣れていたことなど、人物としても非常に多くの共通点が見受けられる二人です。

円城塔

なにより、伊藤計劃の作家としてのデビューには円城塔が深く関わっており、円城が伊藤に対して「僕は作品を早川に送ったんですが、伊藤さんもどうです?」と誘ったことがデビューのきっかけとなっていたことを、伊藤が対談で明かしています。伊藤はそのエピソードに関し、「円城さんのことは恩人だと思っています」と口にしており、彼らの関係と友情は、伊藤の生涯を通じて続きました。

また円城は後に、早逝した伊藤が残した30ページほどの原稿を引き継ぎ、『屍者の帝国』と言う作品を刊行しています。伊藤計劃と円城塔の共著として発表された『屍者の帝国』は、伊藤計劃らしさと円城塔らしさが見事に混ぜ合わされた本格SF作品として、多くの読者から高い評価を受けています。

伊藤は小島秀夫との親交も深かった

小島秀夫

円城塔との関係が有名な伊藤計劃ですが、『メタルギアシリーズ』の制作者である小島秀夫と親交があったことも有名です。

元々伊藤の方が、小島の最初の作品である『スナッチャー』の大ファンであり、伊藤は自身のことを「コジマ原理主義者」と自称していました。事実、伊藤の処女作である『虐殺器官』の原型となったのは、小島の処女作である『スナッチャー』の二次創作小説であるとも言われています。

そんな伊藤と小島の出会いは「東京ゲームショー98春」でのこと。『メタルギアソリッド』のブースで、伊藤は小島に新作トレーラーの感想を熱心に語り、コジマの方も熱心なファンとして伊藤のことを記憶したそうです。その後も伊藤は小島にファンレターや自作の同人誌を送り続け、ファンとクリエイターとしての交流が行われていました。

二人の出会いのきっかけとなったのは「メタルギアソリッド」

その関係性の変化の過程は本人たちしか知り得ませんが、少なくとも2001年時点では、入院した伊藤を小島が見舞う程度には親密な友人関係を築いていたようです。また、小島は見舞いの際に、社外秘であった新作『メタルギアソリッド2』のカットシーンを持参。それを見た伊藤は「ゲームが完成するまでは死にません」と口にしたという話も残っています。

その後、伊藤が『虐殺器官』によって作家デビューを果たすと、小島は伊藤に、開発中の新作『メタルギアソリッド4』のノベライズを依頼します。それを受けた伊藤は、メタルギアソリッド4のノベライズを「ゲームのノベライズ」ではなく、「再読可能な小説」として執筆しました。提出された作品の出来栄えには小島も舌を巻いたようで、以降の『メタルギア』のノベライズについても、伊藤に依頼したいと考えていたようです。

しかし、伊藤は再び病床に伏してしまいます。

伊藤の病状は思わしくなかった

その病状は重く、小島が見舞いに訪れても、伊藤は虚ろな表情のまま、殆ど返事もない状態だったとのことです。しかし、そんな伊藤を見かねた小島が、構想中の新作『メタルギアソリッド ピースウォーカー』について話し始めると、伊藤は生気を取り戻し、「完成するまで頑張ります」と口にしたというエピソードが残っています。

そんな小島の訪問からひと月が過ぎた頃、残念なことに、伊藤は眠るように息を引き取ってしまいました。伊藤の死の翌年に発売された『メタルギアソリッド ピースウォーカー』のエンディングクレジットには、「この『PEACE WALKER』を伊藤計劃氏に捧ぐ」というメッセージが収録されています。

伊藤計劃が影響を受けた・与えた人物

黒沢清

伊藤は他にも、「贔屓の映画監督」として黒沢清、押井守、リドリー・スコット、デヴィッド・フィンチャーの名を挙げており、特に黒沢清の映画作品から強い影響を受けたと、インタビューやブログなどで度々口にしています。

伊藤に影響を与えた黒沢清

伊藤の作品だけを読んでも、黒沢清作品のような「乾ききった恐ろしさ」や、押井守作品のような「近未来的でサイバーチックな世界観」、彼ら全員に共通する「映像的な視点から成る文章表現」などに、その影響を垣間見ることができるでしょう。

黒丸尚

他にも、後のトピックで解説する”独特の文体”については、黒丸尚(くろまひさし)という翻訳家の影響を受けていることを、後のインタビューで明らかにしています。

吉上亮など気鋭の作家たちに影響を与えた

彼は黒丸の文章について「とにかく読みやすくてカッコよかった」「小説のすごさに、文体から入った」と口にしており、その強い影響を窺い知ることができます。

反対に、伊藤計劃が影響を与えた人物というと、それはこの記事全てを埋め尽くしても足りないほど多く、とても絞り切れません。筆者泣かせではありますが、彼が今も尚、多くのSF作家から多大な尊敬を集めていることが、それだけでも読者の皆様に伝わってくれると思います。

伊藤の死後に刊行された、『伊藤計劃トリビュート』と言う短編集だけを見ても、吉上亮(よしがみりょう)、長谷敏司、草野原々(くさのげんげん)、伏見完(ふしみたもつ)、柴田勝家(しばたかついえ)などの気鋭の作家たちが名を連ねています。伊藤計劃の名は彼の死後も尚、燦然とSFの文壇に輝き続けているのです。

1 2 3 4 5 6

1 COMMENT

匿名

扱うジャンルがSFである限りは彼の扱った意識や死の概念、SF的ガジェットもやがては古びていくかもしれません。
しかし、彼の特異なリーダービリティだけは現代の日本SF界における一つの到達点だと思っているのでこれからも読者を獲得し続けるんだろうと思っています。
蠱惑的と表現される乱歩の文体がそうであるように。

片手間で終わっていない素晴らしいまとめだと思いました。お疲れ様でした。

返信する

コメントを残す