1893年 – 21歳「「文學界」文士との交流、一葉の文学の進化」
「文學界」への執筆、経済的窮状
「うもれ木」に才能を見出した平田禿木は、一葉に「文學界」への寄稿を依頼しました。これを機に一葉と「文學界」周辺の文士らとの交流が始まります。
しかし、一葉の経済的な窮状は一向に改善されず、友人にもまとまったお金を借りている状態で、一葉は日記に「我が家貧困ましにせまりて今は何方より金借り出すべき道もなし」と書き記しています。もちろんこのころの一葉は「文學界」周囲の人々から執筆依頼があり原稿料を手にすることができましたが、まだ筆が遅く、多くの作品を書くことはできませんでした。
下谷区竜泉寺町で商売を始める
1893年7月1日の日記に一葉は「人常の産なければ常の心なし」つまり定収入がない人間には心の安定はないと書き記し、「文学は糊口のためになすべきもの」ではなく心の赴くままに書くべきなので、これからは「糊口的文学」つまり金儲けのために書くことはやめて、商いをしようと決心を述べています。
一葉親子は下谷区竜泉寺町に引っ越し、間口二間の長屋で荒物屋兼駄菓子屋を開業しました。竜泉寺町は俗に大音寺前と呼ばれ、遊郭・吉原と隣り合う町、周辺は貧しい人々が多く暮らす土地柄でした。一葉一家はここで主に子供相手に細々とした商売を行いました。
一度は小説で身を立てることを諦めた一葉のもとに平田禿木が訪れ、原稿を依頼します。それに応え一葉は「琴の音」を執筆しました。またこのころ萩の舎で一葉と同門だった人々が家塾を開くことを聞き、隠しきれない嫉妬の感情を日記に記しています。
文筆で身を立てる決心をし、久佐賀義孝との交流が始まる
このころ一葉は、久佐賀義孝という人物を訪ねています。一葉の日記によると「学あり力あり金力ある人によりおもしろくをかしく(中略)世のあら波をこぎ渡らんとて」とあり、久佐賀の財力に頼るため、つまり文筆を行うためのパトロンになってもらうことを頼むための訪問でした。
久佐賀義孝は、東京本郷区で顕真術会を創設し、占い、身の上相談、相場のコンサルティングを行う人物で、このころ盛んに新聞に広告を掲載していました。おそらく新聞広告で久佐賀を知ったと思われる一葉は、女の身で浮世で生きていくために相場をやってみたいと伝えました。
一葉に興味を持った久佐賀は、その後も一葉との交流を求めています。その久佐賀の好意を察知した一葉は、援助をして欲しいとダイレクトに頼みますが、交換条件として囲い者になることを提案され、憤慨した一葉はそれを断りました。
本郷区丸山福山町での生活
一葉は、この年の5月、竜泉寺町の店を閉じて、本郷区丸山福山町に引っ越しました。この丸山福山町の家で、「大つごもり」や「たけくらべ」などの名作が描かれることになります。「文学界」の平田禿木は、度々一葉の家を訪れ、原稿依頼をしました。それにより一葉は諦めかけていた文学の道に立ち返ることができました。
この家には、禿木の他にも馬場孤蝶や上田敏など「文学会」に関わる青年文士が集い、哲学や文学談義を行うなど、一葉と同世代で共に文学を志す面々との楽しい時間を送ることも度々ありました。
特に馬場孤蝶は度々一葉宅を訪れ、旅先からは必ず手紙を寄せるなど、一葉に敬愛の念とともに、特別な思いを寄せていた様も伺えます。一葉が没したのちも一葉に関する回想や随筆を多く執筆し、初めて一葉の日記を収録した「一葉全集」の刊行の編纂にあたったのも馬場孤蝶でした。
「大つごもり」執筆により作家として成熟する
1894年12月一葉は「大つごもり」を「文学界」に発表しました。「大つごもり」では幼少期から苦労し下女として働く女性を主人公に、女性が生きる下層社会の暮らしと、奉公先の裕福な上流家庭との暮らしぶりの違いをリアリティを持った筆致で描き出しています。
これまでの一葉の作品は没落した家のお嬢様を主人公にすることが多く、少女趣味的なロマンティシズムが漂っていましたが、「大つごもり」以降の作品では、王朝文学の流れをくむ古典的で雅やかな文体を用いながらも、社会構造の矛盾や犠牲を強いられ下層に生きる人々を写実的に描く批評性を兼ね備えた小説へ成熟を遂げて行きました。
1896年 – 24歳「奇跡の14ヶ月と一葉の死」
「たけくらべ」を発表する
1895年1月30日「文学界」25号から37号まで、一葉の代表作「たけくらべ」が連載されました。「たけくらべ」の舞台は「大音寺前」、つまり一葉が荒物屋兼駄菓子屋を営んでいた下谷竜泉寺町です。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」という有名な書き出しからはじまる「たけくらべ」は吉原の「大門」周辺に暮らす子供達の生き生きとした姿を映し出すと共に、いずれそれぞれが決められた人生を歩んでいくことになる哀しみや、子供という時代と決別する切なさが美しく情緒的に描かれています。
主人公の美登利は吉原の花魁の妹で、子供達のグループで女王的な存在の14歳の少女です。彼女は寺の長男藤本信如に淡い恋心を抱きますが、真如は仏門に入るために街を去り、ちょうどその頃初潮を迎えた美登利は、姉同様、吉原の店に上がる日が近付きます。一生を仏門に捧げる真如と遊郭で生きる美登利は、これから先、相入れることがない世界で行きていくことになるのです。
子供の時間の終焉を描くことで、運命に抗えずに生きて行くしかない人々の悲哀、封建的な社会構造を鋭く抉り出した作品でもありました。「たけくらべ」は、一葉自身が生活に困窮し、竜泉寺町での商い生活を余儀なくされたからこそ描くことができた作品だと言えるでしょう。
最下層に生きる女性への眼差しをもつ一葉の作品はさらなる進化を遂げる
一葉は自分が暮らす丸山福山町を舞台に「にごりえ」を執筆しました。日記によれば、丸山福山町の一葉の家の隣には「酒うる家あり。女子あまた居て客のとぎをすること歌ひめのごとく遊び女に似たり」とあり、酒場として酒を振る舞うだけでない怪しい商売が営まれて居ました。この周辺は、いわば場末の花街だったのです。
そうした花街の女たちから手紙の代筆を頼まれることが多かった一葉は、彼女らの生き様を間近かに感じることができたと思われます。「にごりえ」は新開の銘酒屋の酌婦お力を主人にした作品です。客の痴情から死に追いやられていくお力を通して、酌婦という社会の最下層で生きる女の姿、彼女らを取り巻く現実を鋭くえぐり出した作品でした。
奇跡の14ヶ月
丸山福山町に転居した後の一葉は、花が一気に咲き乱れるように、優れた作品を続々と描きました。のちに一葉研究者が「奇跡の14ヶ月」と呼ぶ時期が到来です。
「大つごもり」「たけくらべ」「軒もる月」「経つくえ」「ゆく雲」「うつせみ」「にごりえ」「十三夜」「わかれ道」「この子」「裏紫」「われから」を執筆した1894年12月から1896年1月にかけての時期を指します。
1896年4月「たけくらべ」が「文藝倶楽部」に一括再掲載されたことをきっかけに、「めさまし草」で「たけくらべ」が取り上げられます。「めさまし草」とは、森鴎外・斎藤緑雨・幸田露伴の3人が中心的に発行していた雑誌です。創刊号ですでに一葉の作品の批評を行い、一葉を高く評価していましたが、1896年4月発行「めさまし草」に掲載された鴎外・緑雨・露伴の創作合評「三人冗語」において、「たけくらべ」が絶賛を受けます。
当時34歳、軍医でありながら東西の文学に通じ、自らも「舞姫」などのロマン主義的な作品を手がけ、すでに明治文壇の中心人物の一人であった森鴎外は「われはたとえ世の人に一葉崇拝の嘲(あざけり)受けんまでも、この人に誠の詩人という称をおくることを惜しまざるなり」と、一葉文学へのリスペクトを声高に語っています。
しかし、この時すでに一葉の命のカウントダウンは始まっていました。
短い輝きと一葉の死
1896年の春、一葉の体には肺結核の症状が現れていました。4月には喉が腫れて治らなくなったり、7月には高熱が連日続くようになりました。終生日記を書き続けていた一葉ですが、その日記も7月で終わっています。8月に入って妹が一葉を駿河台の山龍堂病院に連れて行きましたが、「絶望的」との診断を下されます。
一葉の症状が悪化してから、斎藤緑雨は頻繁に樋口家を訪れていました。緑雨は森鴎外に頼み、東京帝国大学医科教授青山胤通による診察を取り計らうなど、一葉のために尽力しています。しかし青山が診察した時には一葉の病状はすでに肺結核の末期に至っていました。
こうして1896年(明治29年)11月23日、樋口一葉は24年の短い人生に終わりを告げました。小説家として、また一人の女性としてこれからますます輝いていくであろうという時期のあまりに早い死でした。
葬儀は11月25日に執り行われましたが、その葬儀はごく質素なものでした。
樋口一葉の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
文豪ブックス たけくらべ
樋口一葉の文体は言文一致体ではなく、古典的な和文脈の文体なので初めて読む人は、とっつきにくいかもしれません。これは上段が原文、下段が対訳になっているので、大変わかりやすく便利です。
樋口一葉 [ちくま日本文学013]
「たけくらべ」「にごりえ」「大つごもり」など樋口一葉の代表作と日記をまとめた文庫本です。井上ひさしの解説付き。代表作を一気読みできるので、一葉ワールドにどっぷり浸れます。
現代語で読むたけくらべ (現代語で読む名作シリーズ)
完全に現代語に訳した「たけくらべ」です。本当は一葉の文体を味わうのがおすすめですが、古典的文章を読むのは敷居が高いのものです。まずは、ストーリーを楽しんでから、原文にチャレンジするのも良いかもしれません。
おすすめ動画
樋口一葉・たけくらべ
「たけくらべ」原文の朗読です。雅な和文脈の文章は、本来は声に出して読んで聞いて楽しむものなので、上手な朗読で一葉の文体を味わってみるのもおすすめです。
大つごもり(樋口一葉) 朗読
「大つごもり」の朗読です。格調高い朗読で聞くと、今ひとつ意味のわからないところがあっても、日本語の響が楽しめます。
おすすめ映画
にごりえ
「十三夜」「大つごもり」「にごりえ」をオムニバス形式で映画化した作品です。キャストは文学座の久我美子・淡島千景・杉村春子。モノクロ映画が、一葉ワールドの叙情性を引き出します。
関連外部リンク
樋口一葉についてのまとめ
樋口一葉といえば、5000円札の肖像という印象が強いかと思います。短い人生の大半をお金がないことに苦しみ、一葉というペンネームにも、達磨太師が乗ったという葦の葉にかけて「お葦(銭)がない」という意味を込めた一葉でした。その一葉が紙幣の顔になったのですから、皮肉というほかありません。
一葉は近代文学の黎明期、まだ小説という形式について多くの作家が試行錯誤していた時代に職業作家として「小説」を書いた、数少ない女性の一人です。古典文学、和歌の素養をベースに、典雅な文体を用いながら、下層社会に生きる人々と彼らを取り巻く社会の矛盾を写実的にえぐり出しました。
自らも社会の諸矛盾と闘った24年の短い生涯は、鮮やかな花火のような輝きを放っています。言文一致の文体に馴染んでしまった私たちにとって、一葉の文体に壁を感じる人も多いかと思います。でも一度声に出して一葉の作品を音読し、その響きを味わってみることをおすすめします。
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