この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
25位:「暁に祈る」事件
第二次世界大戦が終結した1940年代後半に起きた、ソ連軍の日本人捕虜の収容所において、日本人捕虜の間で起きたリンチ事件です。モンゴル人民共和国にあるウランバートル収容所で、ソ連軍から日本人捕虜の隊長に任命されていた池田重善元曹長が、労働のノルマを果たせなかった隊員にリンチしを指示していました。被害者は30名程度といわれています。
池田はノルマを果たせなかった隊員を外の棒に縛り付けており、明け方には死亡ないしは瀕死の隊員がまるで「暁に祈る」ようだといわれていました。冷戦下ということもあり物証を得るのは難しかったものの、世間の激しい批判を受け、逮捕・起訴されています。池田は無罪を主張していたものの、1958年に懲役3年が確定し、1960年に模範囚で出所しました。
異常な環境で権力を握る者と吊せという熱狂、そしてどうにか機能した適正な手続とでもいうべきか。
「明け方、力尽きて細い最後の声をあげる」極寒の夜、木にくくりつけて…日本の民族性も語られた「鬼畜リンチ事件」
“第一報”めぐり揺れた「暁に祈る」事件 https://t.co/UxztsgXgRB— MMatsunaka (@mana613) April 4, 2021
24位:四日市ジャスコ誤認逮捕事件
2004年に三重県四日市市で起きた誤認逮捕により、68歳の男性が死亡した事件です。四日市市のジャスコのATMコーナーで、子連れの女性が「泥棒!」と叫び男性を犯人扱いしました。この騒ぎを聞きつけて男性は店員たちに押さえられ、駆け付けた警察官2名に後ろ手に手錠をかけられうつぶせに押さえつけられています。
男性は冤罪を訴えるも耳を貸さず、ストレスにより心肺停止してしまうも、それでも警察官は男性を押さえつけていたそうです。男性はそのまま緊急搬送され、死亡が確認されています。後に冤罪が判明するも、その時泥棒と訴えた女性はその場を離れており、防犯カメラに姿が残っていますが現在も行方はわかっていません。
23位:姫島村リンチ殺人事件
1962年に大分県の離島である姫島村で、村民39名が2名の兄弟をリンチし殺害する事件が起きています。被害者の兄弟は1956年に姫島村に戻ってきて、映画館やパチンコ店を営んでいましたが、暴力団と付き合いがあり島の人に迷惑をかけていました。兄弟の被害者は100名以上にも上っていたそうですが、兄弟が村議会議長の親戚だったためにもみ消されていたそうです。
しかし兄弟は村の青年団ともめ事を起こし、メンバー9人にけがを負わせてしまいます。そのため青年団39名は兄弟を公園に呼び出し、こん棒で殴るなどし死亡させてしまいました。この事件で39名のうちの15名が起訴され、一番重い罪だった人の判決は懲役2年であり、多くは執行猶予付きの判決となっています。事件を起こしたきっかけは被害者にもあり、懲罰目的であり殺意がなかったためでした。
22位:サンシー事件
1879年に沖縄県の宮古島で起きた、島民が役所の通訳していた下地仁屋利社(シモジジンヤーリシャ)を殺害した事件です。被害者が琉球処分後の新体制に「サンシー(賛成)」して起きた事件といわれています。この頃明治政府は琉球王国を廃止し、沖縄県を設置しました。そのため朱里から20名の役人が宮古島に来ていましたが、宮古島で「日本政府に従わない」といった血判状が作られている状況だったといいます。
下地は日本の警察の通訳をしていましたが、血判状にサインしていました。そのため暴徒となった住民が派出所に押し入り、下地を誘拐し殺害しています。事件では13名が逮捕され、6名に実刑判決が下されました。
宮古島博物館。3枚目はサンシー事件 pic.twitter.com/Yf1syadalB
— 川西まどか (@Happy_Kawanishi) July 18, 2019
なんかイカ臭い下半身
なんかイカ臭い
ダ
なんかイカ臭い
いかれてんのか?
匿名とか恥ずかしあだしてんじゃね〜よ殺すぞ!
俺は秋葉原で第二の加藤智大になる男になるおとこだ!!
いかれてんのか?
ガチだったらやめてくださいお願いします。もう誰にも悲しんでほしくないんです。お母さん、お父さん、家族、友達、いなくなったら嫌ですよね。僕は救えませんでした。相談になら乗りますだからどうか命あるものを虐げないでください。
コンちゃっちゃ
あーあ
そうですね
絶対に一位はコンクリ事件だと思いました。ですが、どれも凶悪ですね