対馬悠介が中央大学へ進学するまでの経緯
ここからは、対馬悠介が中央大学に進学するまでの経緯を解説します。事件を起こすきっかけになる出来事が、幼少期に存在するかもしれません。
- 青森県から東京に移り住む
- 東京都立大学附属進学校に進学する
経緯①:青森県から東京に移り住む
対馬悠介は、1984年11月26日に青森県五所川原市で3人兄弟の長男として生まれます。五所川原市は父親の地元ですが、幼少期に母親の実家である東京都世田谷区に移り住みました。
幼少期の対馬悠介は、幼い弟2人の面倒をみる良い子だった様子。小学校の頃には、祖師谷FCというサッカーチームに所属し、チームのムードメーカー的な存在でした。クラスでも明るい人気者だったので、近所の人の評判は良かったようです。
ただ時期は不明なものの、両親は離婚しており、対馬悠介は母親に引き取られています。また小学校5年生の頃には「俺をキレさせたらやばいよ」と話した事があるそうです。明るく振る舞いつつも、心には闇を抱えていた可能性はあります。
経緯②:東京都立大学附属進学校に進学する
やがて対馬悠介は東京都立大学附属進学校に進学します。この高校の偏差値は60と、成績は優秀でした。ただ対馬悠介はガリ勉だったわけではありません。囲碁将棋部に所属していたものの、幽霊部員に過ぎませんでした。
部活には実質的に所属せず、友人とカラオケやビリヤードで遊ぶ日々を過ごしています。カラオケでは「19」などを歌いこなし、歌のうまさには定評がありました。また上半身裸でファミレスに行くなど、悪ふざけも好きだったようです。
高校時代の対馬悠介はいわゆる「チャラい」タイプでした。ただ、中学高校で彼女はいなかったようです。勉強も遊びもそつなくこなしつつ、やがて対馬悠介は中央大学土木学科に進学しました。
母子家庭でありながら私立大学に進学したあたり、対馬悠介の母親は、対馬悠介にしっかりと期待や愛情を持っていた事がわかります。