対馬悠介が大学中退から事件を起こすまでの経緯
ここからは、対馬悠介が大学の中退から事件を起こすまでの経緯を解説します。
- 大学退学後はナンパ師を名乗る
- 職を転々とする
- 勝ち組女性にコンプレックスを抱く
- 事件の数ヶ月前に生活保護へ
経緯①:大学退学後はナンパ師を名乗る
大学卒業後も対馬悠介はナンパを繰り返しており、自らを「ナンパ師」と名乗っていました。ただ対象年齢は女子高生や女子中学生と低く、同世代の女性に声をかける事はほとんどありません。
成功率は数%と低かったものの、成功すればホテルに連れ込む事もありました。対馬悠介は大学時代に彼女がいたので、ロリコンだったわけではありません。
大学時代に女性からバカにされ、大学を中退する中で、同世代の女性にコンプレックスを抱くようになった可能性があります。
経緯②:職を転々とする
大学中退を経て対馬悠介は、様々な仕事を転々とします。梱包会社や物流倉庫、温泉旅館の住み込み従業員の東村山のパソコン工場など、わかっているだけで30程。しかしどの仕事も長続きせず、長くて2年。短いと1ヶ月ほどで辞めていました。
ただ20代の間は、フットサルをしている事を友人に話すなど、ある程度充実した生活を送っていました。前述した通りナンパも続けています。
ちなみに対馬悠介が30歳の頃に、母親は再婚しました。実家暮らしの対馬悠介ですが、アパートで一人暮らしをせざるを得なくなりました。30歳を過ぎれば周りは正社員になり、家庭も持ち始める頃です。
この頃から、対馬悠介は精神的に追い詰められていきました。
経緯③:勝ち組女性にコンプレックスを抱く
対馬悠介は取り調べの際に、「6年ほど前から幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」と供述しています。
事件を起こした時の対馬悠介の年齢は36歳。やはり30歳を過ぎた事、母親の再婚で一人暮らしを始めた事が彼の心理状態に影響を与えた可能性はあります。
対馬悠介は年齢を重ねるにつれ自暴自棄になり、数年前から計画を構想していました。2年前には自殺を考え、牛刀を購入。結局、自殺は痛そうという理由から諦めており、大量殺人を起こす方向に考えをシフトしていきます。
ただサラダ油の発火点は300度であり、電車を放火させる事はできません。ネット上では笑い話にされていますが、仮に対馬悠介がガソリンを携帯していれば、大惨事になっていた事は間違いありません。
経緯④:事件の数ヶ月前に生活保護へ
対馬悠介は事件の数ヶ月前に派遣のパン工場を退職し、生活保護を受給し始めます。川崎の25000円のアパートの一室で引きこもり始めました。事件の1週間前には自宅でボヤ騒ぎが起きており、既に何かしらの異変が起きていた可能性があります。
またこの頃には万引きで生計を立てていました。事件当日も、新宿のスーパーで万引きをしているところを女性店員に気づかれ、警察から注意を受けています。
万引きが発覚したのはこの時が最初で、対馬悠介は女性店員を逆恨みしました。女性店員を殺害するため店に行くものの、既にお店は閉まっており、電車内の勝ち組に見える女性に標的を変えました。
小田急線刺傷事件が起きたのは、その日の20時30分ごろ。万引きがバレて逆恨みし、見ず知らずの女性に殺意を抱く。対馬悠介は実に身勝手な人間と言えるでしょう。
対馬悠介に懲役19年の判決が言い渡される
2023年7月14日、対馬悠介に懲役19年の判決が言い渡されました。東京地裁は「走行中で逃げ場のない電車内で、無差別に乗客を次々に襲ったもので非常に悪質」と述べています。
殺人未遂の懲役の相場は5〜7年なので、大量殺人を計画していた事が加味されたのでしょう。対馬悠介は精神疾患だったという説もありましたが、「責任能力はある」と判断されたようです。
ただネット上では「絶対に再犯する」という意見が大勢を占めています。出所はずっと先ですが、対馬悠介は更生しているのでしょうか。