古代エジプト文明とは?文字や川の特徴と歴史、遺跡に加えて人々の生活まで解説

エジプト文明の特徴

古代エジプトの神権政治

強大な神権政治

エジプトではファラオと呼ばれる王が君臨していました。このファラオは神の化身とされ、ファラオの放つ言葉は絶対でした。こういった政治を「神権政治」と言います。

他に神権政治が行われていた文明としてメソポタミア文明が挙げられます。しかしメソポタミア文明の神権政治とエジプトの神権政治は違いがあります。

メソポタミア文明では「王は神の代弁者」とされていたのに対し、エジプト文明では「王=神」としていたのです。この考え方の違いがピラミッドや神殿など大規模建造物に表れています。

ナイル川の恩恵

エジプトの中心には1本の大河が走っています。この大河が「ナイル川」です。

ナイル川はヴィクトリア湖から流れる白ナイルとエチオピア高原から流れる青ナイルがスーダンのハルツーム付近で合流し、砂漠地帯であるエジプトを流れ、地中海へと注がれます。現在のカイロを起点として、ナイル川の北部を下エジプト、南側のアスワンまでを上エジプトと呼んで区別していました。

ナイル川の氾濫:ナイル川は特定の時期になると氾濫し、周辺一体に豊富な栄養分を持つ土壌を運んだ。

そしてこのナイル川がエジプトの砂漠地帯を流れたことで、肥沃な土壌と豊富な水源を与えました。エジプトで灌漑農業が成立したのも、このナイル川の恩恵があったからこそと言えるでしょう。はるか昔、ギリシアの歴史家であるヘロドトスはこのような言葉を残しています。

エジプトはナイルのたまもの

ヘロドトス:古代ギリシアの歴史家、生没年不詳

もちろん、ファラオによる安定した統治やエジプト人の団結力が文明を発展させていったことは間違いありません。しかしエジプトが大きく発展できた裏には、影の立役者であるナイル川の存在があったのです。

古代エジプト文字

エジプト文明の言語『ヒエログリフ』

壁画として刻み込まれたヒエログリフ

神聖文字ヒエログリフ)とは、壁画や「死者の書」、石碑などに用いられた絵文字です。この文字は宗教儀式だけではなく法律や売買契約、結婚の契約にも用いられました。それだけ、重要な文字だったということがわかります。

「死者の書」の一例

ヒエログリフが最もよく残されているのが「死者の書」です。「死者の書」は死者が死後の世界に旅立つときに持つとされる書でパピルスとよばれる紙に記されました。「死者の書」には故人を守る呪文や、生前の行いに対する弁明などが書かれています。

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解読の手掛かりとなった「ロゼッタストーン」

大英博物館に展示されているロゼッタストーン

ヒエログリフ解読のカギとなったのは「ロゼッタストーン」でした。「ロゼッタストーン」はナポレオンのエジプト遠征の時に発見されます。この石はプトレマイオス朝時代の碑文に一部で、ヒエログリフ、デモティック、ギリシア文字が書き込まれていました。

フランスのシャンポリオンは3つの文字が同じ内容であると推測し、ヒエログリフの解読に成功します。シャンポリオンによる解読によって、今までよくわかっていなかった古代エジプト文明の研究が大いに進みました。現在、「ロゼッタストーン」はイギリスの大英博物館で展示されています。

エジプト文明の宗教

古代エジプトの神々

エジプト文明では非常に多くの神が信仰されていました。そして、信仰される神は時代や王朝でも変わっていきます。

紀元前3150年頃、メネスが国家を統一し、第1王朝を開いた時には死者の神であるアヌビスや書記と学問の神であるトト、運命を司る神プタハなどが信仰されていました。第2王朝になる頃には、狩猟や戦争の神ネイトや守護神ウアジェトが出現するようになっていきます。また第1王朝時代にはすでにオシリスとイシス、ラーに対する信仰が存在していました。

宗教儀式も盛んに行われていました。第1王朝時代前半では王や貴族が死亡した際、埋葬の際に次の世界で主人に付き添い仕えることができるよう、女性や召使いも一緒に埋葬されました。第2王朝を迎えるころには女性や召使いではなく、人形や模型を入れるようになり、埋葬方法にも変化がみられるようになりました。

古王国時代に入ってからピラミッドの建造が始まり、ピラミッドに埋葬された王は「死亡した後永遠の命が与えられる」という思想が確立しました。そのためピラミッドの近くには王のための神殿や町が作られ、多くの人々が葬祭や供物のために住むようになりました。

この頃からエジプトでは王家の者を対象に遺体を「ミイラ」にする儀式が導入されるようになりました。ミイラが出来上がると、そのミイラに対し「開口の儀式」というものが行われていました。

特注の棺桶:中にミイラが保管されている。

この開口の儀式を行う事で、死者の魂は再び体内に入り、生きている時と同じように活動できると信じていました。儀式は基本的に王家の者を対象としていましたが、儀式を行うにはお金がかかり、次第に財力をもつ貴族たちも儀式を導入するようになっていきました。

中王国時代になると都がテーベに移ったことで、テーベの守護神であったアメンを王朝の守護神とし、アメン神殿を建造しました。この神殿は宗教の中心地となり、後にエジプト最大の神殿となりました。

アメン神殿
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