明治天皇とはどんな人?生涯・年表まとめ【性格や家系図、偉大な功績やすり替え説、死因についても解説】

明治天皇の名言

明治宮殿豊明殿

世の中の人の司となる人の
身のおこなひよ正しからなむ

意味は「人の上に立つ者は、自身の行いが正しいかを常に自身で問わなければならない」という意味です。明治天皇は国の象徴としての規範を示す為、日常生活は質素を旨としました。

冬は寒くても火鉢一つ。夏は暑くても軍服を着用して政務に励んでいます。明治天皇は自分の行いを常に省みながら、人の上に立つ人物になれるよう努力を重ねていたのです。

卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表は出されず

伊藤博文が内閣を辞職する時に明治天皇が言った名言です。当時、天皇の退位は皇室典範により禁止されており、終身制でした。

明治天皇はどれだけ辛い事や、重責に押し潰されそうな時も、天皇という責務から逃れる事は出来なかったのです。そんな不安感等の本音がつい出てしまったのではないでしょうか?

家富みてあかぬことなき身なりとも、人の務めに怠るなゆめ

意味は「どれだけ家が富んで財産を築いても、この世における自身の務めを怠ってはいけない」という意味です。明治天皇の在位中に日本は列強の一角になりましたが、やがて太平洋戦争に至ってしまいます。

慢心しない事を強く訴えた明治天皇の言葉は、後の日本を暗示していたのかもしれません。

明治天皇にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「詠んだ詩は9万首?文化的素養に溢れていた」

明治天皇御製の和歌

孝明天皇の指導もあり、明治天皇は和歌に対する深い素養がありました。生涯に詠んだ歌は実に9万首であるとされ、戦争に対する悲しみや憂いを込めた歌も残しているのです。

明治天皇は「日本の残すべき文化は残し、海外の取り入れるべき文化は取り入れる」という柔軟な思考を持っていました。和歌や蹴鞠等の日本の古き良き伝統を絶やさぬよう、その保全に努めています。

ただ9万首を詠むには「5歳から1日16時間起きていて、3.5時間に1句詠む事になる」ので、かなり水増しされていという説もあります。実際、世の中に公表されている和歌は8900ほどです。

わかこころ およばぬ国の はてまでも よるひる神は まもりますらむ

あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな

ちなみに明治天皇の和歌は教訓などを説いた道歌がほとんどで、情感を詠んだ叙情的な作品は幼少期に多いです。和歌からも明治天皇が国を思う気持ちが伝わってきますね。

都市伝説・武勇伝2「実は戦争に反対していた?開戦前の明治天皇の真意」

日清戦争の様子

1894年に日本は清と開戦する事が決まります。その際に、伊勢神宮と孝明天皇陵に報告の勅使をする事が提案されますが、明治天皇はそれをキッパリと拒否。以下のように述べました。

―かくの如くもともと不本意ながらの儀なれば、おそれながら神明へ申上候事は、はばかるべし。―

何故明治天皇が戦争に反対したのかは不明です。清が明治天皇の敬愛する儒学を生み出した国だった。戦争は多くの命を失うし、多くの税金が垂れ流される等、様々な感情が渦巻いていた事でしょう。

勿論日露戦争の時も、明治天皇は戦争に反対しています。有名なのは日露戦争開戦時に詠まれたこちらの歌でしょうか。

よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ

意味は「四方の海にある国々は皆兄弟だと思っているのに、どうして波風が立ち騒ぐのだろうか」というものです。日本は日露戦争を経て満州の租借権を得た他、1910年には韓国併合が行われます。

2つの戦争を経て「偉大なる君主」と呼ばれた明治天皇ですが、その心のうちは平和という思いで溢れていたのです。

都市伝説・武勇伝3「明治天皇は別人だった?今なお囁かれるすり替え説」

明治天皇は大室寅之祐という人物だった?(証拠とされる写真は度々騒がれるフルベッキ写真)

偉大なる君主と称される明治天皇ですが、即位前後のあまりの性格の違いから、別人という説がまことしやかに囁かれています。父親である孝明天皇は病死ではなく毒殺で、睦仁親王(後の明治天皇)も暗殺されたというものです。

すり替わっていたのは長州藩に匿われていた大室寅之祐。南北朝時代に朝廷が二つに分かれた時、「北朝が正統」と決まるものの、長州藩は南朝の血を継ぐ者を匿っていました。その末裔が大室寅之祐だとされています。

天皇すり替え説の証拠と言われているものを列挙しましょう。

  • 即位した明治天皇は体格も性格も様変わりしていた
  • 乗馬の経験のない睦仁親王が、鳥羽伏見の戦いでは馬上で閲兵を行った
  • 高貴な身分の人達は利き腕が右利きになるように矯正されるが、明治天皇は左利きのまま
  • 明治天皇は北朝の人間にもかかわらず、1911年の帝国議会で「南朝が正統」という事が承認され、明治天皇も同意
  • 皇居には南朝の英雄・楠木正成の巨大な像がある

等です。その他、西郷隆盛が即位後わがままだった明治天皇に「そんなことではまた昔の身分に返しますぞ」と言ったともされます。また幕末を最後まで生き抜いた田中光顕も、すり替え説を主張しているのです。

維新志士最後の生き残りである田中光顕(1843〜1939年)

近年では大室寅之祐すり替え説はフェイクで、箕作奎吾なる人物が「本当にすり替わった人物」という説も提唱されています。本当にすり替えが行われたのなら、現在の日本がひっくり返る程の事態です。

陰謀論はいつの時代も囁かれるものであり、荒無稽と言えばそれまでです。今後も謎が解明される事はないでしょう。

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