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音楽史とは?西洋クラシックから日本まで年表順でざっくり解説!

中期バロック・器楽曲の発展:1620年ごろ~1680年ごろ

この時期は器楽曲も大きく発展しました。イタリアではアルカンジェロ・コレッリがヴァイオリン・ソナタやトリオ・ソナタの様式を確立し、アレッサンドロ・ストラデッラによってコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)と呼ばれるソロとオーケストラの総奏が交互に繰り返される形式も同時期に生み出されました。

「コンチェルト・グロッソ」の生みの親・ストラデッラ :破天荒な人生を送り、後世ではオペラの題材にされました。

ドイツでは「パッヘルベルのカノン」で有名なヨハン・パッヘルベルや、ディートリヒ・ブクステフーデなどがオルガン曲などを多く作曲しました。

ストラデッラ 協奏曲ニ短調
ブクステフーデ 前奏曲 ト短調 BuxWV149

後期バロック:1670年ごろ~1750年

ヴィヴァルディ(1678年~1741年) 後期バロックのイタリアの作曲家・ヴァイオリニスト

アントニオ・ヴィヴァルディは「コンチェルト・グロッソ」の様式を独自に用い、ソロの部分と合奏部分のコントラストを更に明確にしました。またあの「四季」でもみられるように急-緩-急で展開する3楽章形式の協奏曲形式が確立され、この影響は19世紀以降の音楽にわたるまで広く影響を与えました。

また、イタリアではドメニコ・スカルラッティやジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージなどはいち早くホモフォニー様式という「メロディ+伴奏のシンプルな演奏様式」を取り入れていました。そのため活動した年代的にはバロック時代ではありながら、様式的にはほぼ次の時代の古典派様式とも言えるような楽曲が生み出されています。

一方イギリスでは植民地経営で市民が豊かになり、他の国よりいち早く劇場やコンサートホールなどの文化施設が一般市民にも開かれていました。娯楽として外国のオペラが人気を博し、G.F.ヘンデルのオペラなどがロンドンで流行しました。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (1685年~1759年)オラトリオ「メサイア」などを作曲。

ドイツではゲオルク・フィリップ・テレマンがイタリア風の音楽やフランス風の音楽を取り入れて独自に融合させ、幅広いジャンルの音楽を作曲しました。

このように後期バロック音楽は、継続的に発展を遂げながらも少しずつ新しい時代を感じさせる動きがありました。しかしその中に存在していた異質な人物についても触れておかなければいけません。

この時代の有名音楽家

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ:1685年~1750年

日本では「音楽の父」とも呼ばれているバッハ

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは生涯に1000曲以上作曲したバロック時代最後の巨匠です。協奏曲や室内楽などはテレマンなどの当時のヨーロッパの最先端の様式を踏襲しながらも、バロック時代初期のようなポリフォニー音楽(多声音楽)的な楽曲も多く制作しています。

当時の人々からすると「バッハという人は、古いやり方で曲を作る人だな」という印象だったかも知れません。しかし初期バロックから後期バロックまでの様式を熟知して曲を作っていたバッハは、後世の私たちからすると「バロック時代を大きく網羅してまとめあげた人」という見方ができます。彼の没年である1750年がバロック音楽の終わりであると一般的に考えられています。

J.S.バッハ「ミサ曲ロ短調」

この頃の日本の音楽

安土桃山時代から江戸時代にかけて

この頃の日本の音楽史も、生き生きとした動きが見られます。室町時代初頭には観阿弥・世阿弥親子によって能が大成されました。能は元々曲芸などから発展した「猿楽」をベースとした総合芸術で、美術、演劇、踊り、音楽の要素が含まれます。

安土桃山時代には出雲阿国という男装の巫女が踊った「かぶき踊り」が全国的に流行し、様々な変遷を経て江戸時代に「歌舞伎」として発展しました。

バッハやヘンデルの時代は日本では江戸時代に当たりますが、この時代は鎖国によって日本独自の文化が強く現れました。また階級制度が強固になるのと同じくして、音楽も次第に「雅楽は公家の音楽」「能は武士の音楽」「三味線や琴は庶民の音楽」などど音楽のジャンルも階級別に分類されました。

加えて音楽家たちにも階級意識が定着し、演奏者の序列や家元制度などが一層厳格に扱われるようになりました。現代でも琴や三味線などは流派によって奏法などが違いますが、このような排他的な意識が多彩な流派を生み出したと言えるようです。

古典派音楽:1730年頃~

知性や理性を重視する啓蒙時代が訪れると、音楽でも楽曲全体のバランスや、無理のない理性的な展開が重視されるようになり、ソナタ形式などの形式的な音楽が発展しました。また「グレゴリオ聖歌」から続く「教会旋法」という調性からはじめて離れ、音楽として機能的な響きを追求するようになりました。

大貴族のお抱え音楽家として活躍し、「交響曲の父」と呼ばれたハイドンや、「神童」として名高いモーツァルト、そして音楽史の大きな分岐点ともいえるベートーヴェンなどが代表的な人物です。

この時代の有名音楽家

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト:1756年~1791年

モーツァルト この肖像画はモーツァルトの死後に想像で描かれました。

モーツァルトは当時の「ギャラント様式」や「ロココ様式」の流行を反映した軽やかで愛らしい楽曲を多く作曲しました。またオペラにおいても、現在でも人気のある作品を数多く生み出しています。

当時はグルックという作曲家によって「オペラ改革」が行われていました。それまでは人気歌手による「歌優先・歌手ありき」のオペラが作られることが多かったのですが、グルックは歌手の人気や技量だけに頼らず、作品として総合的に面白い作品を目指して制作しました

クリストフ・ヴィリバルト・グルック(1714年~1787年) ドイツで生まれ、オーストリアやフランスで活躍しました。

モーツァルトもこのような作風に習い、ウィットに富んだ楽しいストーリーと、隅々まで豊かな音楽に満ち溢れたオペラを制作しました。「フィガロの結婚」「ドン=ジョバンニ」「魔笛」など、私たちにも馴染みのあるオペラ作品が多くあります。

Mozart – The Marriage of Figaro Overture (K.492) モーツァルト オペラ「フィガロの結婚」序曲

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:1770年~1827年

「楽聖」などとも称される

ベートーヴェンは西洋音楽史において極めて重要な人物の一人です。それまで音楽家の存在は「依頼された作品を作る雇われ人」でしたが、ベートーヴェンの存在によって、音楽家は「自らの意志で作品を作る、独立した一人のアーティスト」であるという認識が広まりました。

20代の頃のベートーヴェンはハイドンやモーツァルトなどの影響を受けた作風でしたが、フランス革命を経てどんどん変遷していく芸術の価値観や、難聴など自身の苦難を乗り越えようとする精神性の変化によって、ありのままの感情を発露するような独自の作風へと変化していきました。

そのためベートーヴェンは「古典派からロマン派への橋渡しをした存在」などとも言われています。音楽史的に作品や人物を考えるとき、「ベートーヴェンより前か、後か」というのはとても大きな分岐点なのです。

Beethoven – Symphony No. 5 (Proms 2012) 交響曲第5番「運命」

シンプルながら強烈なインパクトを持つ曲です。

この頃の日本の音楽

江戸時代後期の音楽について

この頃日本は江戸時代後期に当たります。当時専門的に音楽を学ぶには師匠に弟子として入門するほかの道は無く、師匠が伝える楽曲の正確な暗譜のみが求められました。

同時代に西洋音楽界で和声や音楽理論などに対する議論などが活発だったのとは対照的に、日本では一つの流派の型にはめ込む教育がされていました。そのため革新的な創作のための教育は皆無だったといわれています。

ロマン派音楽:1800年頃~

市民革命や産業革命による人々の暮らしの変化により、19世紀は音楽史にも大きな変化と進歩をもたらしました。一般に開かれたコンサートや演奏会が開催され、音楽院(音楽大学の前身)や音楽評論も誕生しました。私たちが「クラシック音楽」に持つイメージのものの多くは19世紀に生まれたといってよいでしょう。

初期ロマン派音楽:1800年~1830年

フランツ・ペーター・シューベルト (1797年~1828年):31歳で早逝しましたが、600曲以上の歌曲を作曲し「歌曲王」ともいわれます。

シューベルトなどはベートーヴェンと同年代に生まれており、作品を作った時期なども同じです。作風もお互いに影響を与え合ったりしているため、ベートーヴェン含めシューベルトやウェーバーが「後期古典派」なのか「初期ロマン派」なのかは、意見が分かれることが多いです。

その中でも、特にロマン派への時代の波において重要な作品は、モーツァルトのオペラの流れを汲んだウェーバーの「魔弾の射手」「オイリアンテ」や、シューベルトの歌曲などがあります。シューベルトでは「魔王」や「ます」「野ばら」が特に有名ですね。またロッシーニのオペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」なども初期ロマン派音楽の代表として挙げられることもあります。

ウェーバー「魔弾の射手」(対訳つき)
シューベルト「魔王」

死にゆく子と嘆く父、「死」の具現化である魔王との会話、そして物語の語り手役を歌手が一人4役で表現します。

盛期ロマン派音楽:1830年~1850年

この頃の重要な音楽家は、メンデルスゾーンショパン、リスト、シューマン、マイアベーア、ヴェルディなどです。

盛期ロマン派の人物については、項目に分けて説明したいと思います。

グランドオペラの流行

グランドオペラが多く上演されたパリのオペラ座

市民革命と産業革命により、裕福な庶民・ブルジョア層が誕生します。貴族のようにオペラ劇場に出入りすることはブルジョア市民の一ステータスとなり、ゴージャスな「グランドオペラ」が大流行します。

ジャコモ・マイアベーア

代表的な作曲家はジャコモ・マイアベーアやヴェルディで、「悪魔ロベール」や「ユグノー教徒」などが人気を博しました。グランドオペラの特徴としては大掛かりな舞台セットや大規模な合唱、バレエの挿入などが挙げられます。

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1 COMMENT

Michie

西洋音楽の歴史を、グレゴリア聖歌から、ルネッサンまで一気に聞かせていただきました。
学生の頃講義で習いましたが、メロディの流れがこのように変化していったのか!と納得。大変勉強になりました。グレゴリア聖歌とお経が似ているというのは全くその通りだと思います。人間の願いは共通なのですね。

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