音楽史とは?西洋クラシックから日本まで年表順でざっくり解説!

近代音楽:1880年ごろ~

この時代から、それまでの「長調・短調」といった調性から逸脱して、新しい響きの楽曲が生まれました。偶然のように同時期に各国でこのような調性からの逸脱が始まったのは、クラシック音楽で出来ることが臨界点に達した証でもあり、これらの音楽不思議で不穏な響きは、20世紀以降の不穏なヨーロッパ情勢、ひいては忍び寄る世界大戦の時代への予感を、僅かに予感していたとも言えるともいえるでしょう。

この時代に活躍した音楽家

アルノルト・シェーンベルク:1874年〜1951年

シェーンベルク

アルノルト・シェーンベルクはウィーンで活躍した作曲です。当初ロマンティックで甘やかな作風でしたが、1908年ごろから徐々に無調による「表現主義」と呼ばれる作風に至りました。また「十二音技法」という作曲技法を生み出し、一見感覚的で即興的にみえる無調音楽でもロジカルに作曲できるように体系が整っていきます。

シェーンベルク 月に憑かれたピエロ

ロシアの近代音楽:1902年〜

またロシアでも同時期に調性から逸脱する動きがありました。アレクサンドル・スクリャービン(1872年〜1915年)は初期こそショパンの影響を受けたピアノ作品を生み出していましたが、20世紀に突入した辺りでフロイトの心理学や、現代の大衆的オカルティズムの原型とも言える「神智学」の影響を受け、自身の精神世界を表現するために、従来の「長調・短調」という枠を取り外して独自の神秘的な作風に辿り着きました。そしてスクリャービンらに影響されたイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882年〜1971年)が登場します。

1913年に上演されたストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」では、不協和音や変拍子を多用した楽曲の強烈さや、土俗的なバレエの振付、ダンサーの奇抜な衣装なメイクがセンセーショナルすぎたため、観客が騒然となりました。しかしその後の音楽界やバレエ界において多大な影響を与えたと言われています。

「春の祭典」初演時の貴重な写真

フランス印象派:1890年頃〜

印象派の絵画・モネ「印象・日の出」

フランスではサン=サーンス、フォーレなど作曲家たちが、フランス独自の音楽様式を確立していました。それらの音楽観を引き継ぎながらも全く新しい語法を生み出したのはドビュッシーであり、ラヴェルと共に「印象派」と呼ばれました。絵画や情景などからインスピレーションを受けて作曲された「標題音楽」も充実していきます。

ドビュッシー 「月の光」
ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」

この頃の日本の音楽

宮城道雄

大正時代となると日本人がようやく洋楽を理解し消化しはじめた時期でもあります。反面、伝統音楽を忘却しかけた状態となり、ロシアや北欧諸国などのように「国民楽派」などの創造には至りませんでした。

しかし、宮城道雄によって日本の伝統音楽は新しい段階を迎え、洋楽の中から伝統音楽に融合できる部分を取り入れるようになります。これは新日本音楽と呼ばれました。

また滝廉太郎の後を受けて山田耕筰、藤井清水などが日本の芸術歌曲の発展に貢献しました。

宮城道雄 春の海 :お正月になるとよく耳にする楽曲です。
山田耕筰 赤とんぼ:山田耕筰は現「NHK交響楽団」の前身「日本交響楽協会」を設立しました。
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3 COMMENTS

Michie

西洋音楽の歴史を、グレゴリア聖歌から、ルネッサンまで一気に聞かせていただきました。
学生の頃講義で習いましたが、メロディの流れがこのように変化していったのか!と納得。大変勉強になりました。グレゴリア聖歌とお経が似ているというのは全くその通りだと思います。人間の願いは共通なのですね。

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