小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

音楽史とは?西洋クラシックから日本まで年表順でざっくり解説!

ピアノの発展とヴィルトゥオーゾ

スタインウェイ製グランドピアノとラフマニノフ

産業革命による技術の発展は、そのまま楽器の進歩に大きな影響を与えました。それまでのピアノは宮廷の室内で使用されることを想定して作られていましたが、数千人を収容する大きなコンサートホールでの演奏が一般化していくと、ヘンリー・W・スタインウェイによって音響工学を駆使した大音量のグランドピアノが作られました。

スタインウェイ製のピアノは現在でもコンサートホールで使用されており、ピアノ製造の世界的なスタンダードとなりました。

フランツ・リストのコンサートの様子。さながらアイドルのような人気だったことが伺えます。

また、この当時は大衆を卓越した演奏技術で魅了する演奏家に人気が集まりました。超絶技巧を持った演奏家は「ヴィルトゥオーゾ」と呼ばれ、彼らの華やかな姿を見るために連日コンサートホールに人が溢れていたことが当時の絵画などによってわかっています。

ヴィルトゥオーゾと呼ばれた人物には「ピアノの詩人」とも呼ばれたフランツ・リスト、ヴァイオリニストで作曲家のニコロ・パガニーニなどがいます。

フランツ・リスト「ラ・カンパネラ」
パガニーニ「24のカプリス」:極めて高度な演奏技術を必要とするヴァイオリンの難曲です。

古楽の復興、音楽院の設立、「音楽評論」の登場

19世紀になると、古い音楽について勉強しようという新しい動きも出てきました。代表的なのはメンデルスゾーンによるJ.S.バッハの「マタイ受難曲」再演・復興が挙げられます。それまでは「音楽家にとっての専門書」のような存在であったバッハが、広く一般的に知られるようになりました。

またメンデルスゾーンは音楽院を設立し、演奏家や作曲家になるための勉強が体系的に行えるよう環境を整えました。音楽を専門的に学ぶ高等教育機関としての音楽学校が誕生したのはこの頃だといわれています。

メンデルスゾーン 「ヴァイオリン協奏曲」

後期ロマン派音楽:1850年~

19世紀後半になると、産業革命以降の社会的、政治的、経済的な変化がヨーロッパに定着しました。クラシック音楽は爛熟期を迎え、大規模で大編成な「楽劇」「交響詩」などが書かれました。

この時代に活躍した音楽家

リヒャルト・ワーグナー:1813年~1833年

ロマン派のオペラを集大成したのがリヒャルト・ワーグナーです。彼はオペラを音楽、文学、演劇、美術を一緒にした総合芸術として完成させたため「楽劇王」とも呼ばれています。

ワーグナー《ワルキューレ》「告別と魔の炎の音楽」

後期ロマン派音楽:1804年~

ロマン派音楽のもう一つの大きな特徴は、特定の国々で民族音楽などと結びついた芸術音楽の様式・国民楽派が登場し、ロシアやチェコ、フィンランドなどの作曲家たちが楽壇に登場します。

ロシアの国民楽派:1804年~

ロシアではミハイル・グリンカを皮切りとして、ロシア5人組(ミリイ・バラキレフ、ツェーザリ・キュイ、モデスト・ムソルグスキー、アレクサンドル・ボロディン、ニコライ・リムスキー=コルサコフ)などが国民楽派で代表的な人物です。

同じロシアのピョートル・チャイコフスキーは国民楽派的な趣向を持ちながらも、西洋的、アカデミックな趣向も取り入れ、あくまでも中立な作風を貫きました。

Tchaikovsky: Swan Lake – The Kirov Ballet:チャイコフスキーは「白鳥の湖」「くるみ割り人形」などバレエ作品を多く作曲しました。

この頃の日本の音楽

現在の旧東京音楽学校本館および奏楽堂

日本では鎖国時代が終わり、明治維新などを経て急激に西洋化がはじまりました。東京藝術大学・音楽部の前身である東京音楽学校が1887年に創立され、西洋音楽の普及・そして同時に日本古来の音楽の保護や研究が同時に行われました。

また明治時代になると学制が発令され、ようやく音楽教育が広く一般的に行われるようになりました。

滝廉太郎 花:滝廉太郎はメンデルスゾーンの設立したライプツィヒ音楽院に留学しました。

近代音楽:1880年ごろ~

この時代から、それまでの「長調・短調」といった調性から逸脱して、新しい響きの楽曲が生まれました。偶然のように同時期に各国でこのような調性からの逸脱が始まったのは、クラシック音楽で出来ることが臨界点に達した証でもあり、これらの音楽不思議で不穏な響きは、20世紀以降の不穏なヨーロッパ情勢、ひいては忍び寄る世界大戦の時代への予感を、僅かに予感していたとも言えるともいえるでしょう。

この時代に活躍した音楽家

アルノルト・シェーンベルク:1874年〜1951年

シェーンベルク

アルノルト・シェーンベルクはウィーンで活躍した作曲です。当初ロマンティックで甘やかな作風でしたが、1908年ごろから徐々に無調による「表現主義」と呼ばれる作風に至りました。また「十二音技法」という作曲技法を生み出し、一見感覚的で即興的にみえる無調音楽でもロジカルに作曲できるように体系が整っていきます。

シェーンベルク 月に憑かれたピエロ

ロシアの近代音楽:1902年〜

またロシアでも同時期に調性から逸脱する動きがありました。アレクサンドル・スクリャービン(1872年〜1915年)は初期こそショパンの影響を受けたピアノ作品を生み出していましたが、20世紀に突入した辺りでフロイトの心理学や、現代の大衆的オカルティズムの原型とも言える「神智学」の影響を受け、自身の精神世界を表現するために、従来の「長調・短調」という枠を取り外して独自の神秘的な作風に辿り着きました。そしてスクリャービンらに影響されたイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882年〜1971年)が登場します。

1913年に上演されたストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」では、不協和音や変拍子を多用した楽曲の強烈さや、土俗的なバレエの振付、ダンサーの奇抜な衣装なメイクがセンセーショナルすぎたため、観客が騒然となりました。しかしその後の音楽界やバレエ界において多大な影響を与えたと言われています。

「春の祭典」初演時の貴重な写真

フランス印象派:1890年頃〜

印象派の絵画・モネ「印象・日の出」

フランスではサン=サーンス、フォーレなど作曲家たちが、フランス独自の音楽様式を確立していました。それらの音楽観を引き継ぎながらも全く新しい語法を生み出したのはドビュッシーであり、ラヴェルと共に「印象派」と呼ばれました。絵画や情景などからインスピレーションを受けて作曲された「標題音楽」も充実していきます。

ドビュッシー 「月の光」
ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」

この頃の日本の音楽

宮城道雄

大正時代となると日本人がようやく洋楽を理解し消化しはじめた時期でもあります。反面、伝統音楽を忘却しかけた状態となり、ロシアや北欧諸国などのように「国民楽派」などの創造には至りませんでした。

しかし、宮城道雄によって日本の伝統音楽は新しい段階を迎え、洋楽の中から伝統音楽に融合できる部分を取り入れるようになります。これは新日本音楽と呼ばれました。

また滝廉太郎の後を受けて山田耕筰、藤井清水などが日本の芸術歌曲の発展に貢献しました。

宮城道雄 春の海 :お正月になるとよく耳にする楽曲です。
山田耕筰 赤とんぼ:山田耕筰は現「NHK交響楽団」の前身「日本交響楽協会」を設立しました。

現代の音楽:1950年〜

二度の世界大戦は、音楽界にも大きな打撃を与えました。もちろん戦時中に亡くなった音楽家もいれば、戦争の混乱によって楽譜や資料なども多く紛失しました。

第二次世界大戦中には音楽の中心地の一つであるオーストリアがドイツに併合され、ドイツ語圏ではユダヤ人の作曲家の作品が無かったことのようにされたり、ワーグナーの楽曲がナチス・ドイツのプロパガンダに利用されたりと、現代にも根を下ろす深い問題を生み出しました。

戦後のクラシック音楽については、ポピュラー音楽との台頭も相まってまとめることはとても難しいです。愛好家のためにハイカルチャー的、あるいはサブ・カルチャー的に徹する傾向もあれば、ポピュラー音楽に積極的に迎合する傾向もあります。

この時代に活躍した音楽家

ジョン・ケージ:1912年〜1992年

晩年のジョン・ケージ

ジョン・ケージはアメリカで活躍した作曲家です。シェーンベルクに2年間師事し、1940年代にグランドピアノの弦に異物を挟んで打楽器のような音を変化させる「プリペアド・ピアノ」を考案しました。またハーバード大学の「無響室」に入り無音の空間の中で自分の体内の音を聞いた経験から「4分33秒」という楽曲を生み出しました。

この「4分33秒」とは曲の演奏時間である4分33秒の間、演奏者が全く楽器を弾かず最後まで沈黙を通す楽曲です。悪ふざけとも捉えられることが多いこの曲ですが、聴衆が自ら発する音、ホールの内外から聞こえる様々な音を意識させるための意図があり、また、コンサート会場が一種の権力となっている現状に対しての異議申し立てでもあるのです。

ジョン・ケージ「4分33秒」

その頃の日本の音楽

昭和になると日本では戦争が激しくなるにつれて、音楽を奏でたり勉強したりすることは「贅沢なこと」であり、露悪的なことと見なされました。また、政府の政策によって外国文化を見下し、自国の文化を盲目的に尊ぶ風潮がありましたが、一方で音楽教育の教材はほとんど洋楽であるという矛盾を抱えていました。

戦後国内が落ち着気を取り戻すにつれてようやく日本の伝統音楽への再認識の声が高まりました。最近では邦楽・洋楽という観念を打ち破る作品が生み出され、また芸術音楽とポピュラー音楽の融合も積極的にされています。世界的に見ても日本の音楽は独自性の強い歴史を持ち、また独自の発展を遂げているといえるでしょう。

武満徹 ノヴェンバー・ステップス

和楽器とオーケストラを融合させた楽曲。保守的な日本の音楽界では不評でしたが、ストラヴィンスキーに評価され世界的な好評を得るようになりました。

もっと音楽史を知りたいあなたにおすすめの書籍

執筆にあたって、参考とした書籍をご紹介します。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書) 岡田 暁生

今回通史を執筆するにあたり、沢山参考にさせていただきました。時代ごとに著者が変わる音楽史の本が多い中、こちらは一人の筆者が中世から現代までを全てに渡って執筆されています。

そのため史観にブレがなく、時代ごと分断されている感覚もなく、著者のユーモラスな文体も相まって楽しくあっという間に読み終わる一冊です。

決定版 はじめての音楽史: 古代ギリシアの音楽から日本の現代音楽まで 片桐 功

こちらは実際に音楽系の高校などでも教科書として使用されており、20年以上に渡って何度も改訂されているロングセラーです。

どうしても「教科書感」は否めませんが、図説が多くわかりやすいことと、日本の音楽史についても西洋音楽史と同じくらいの質量で書かれているため独自性があります。クラシック音楽がお好きな方は、一冊家にあると辞書的に使えてとても便利な一冊です。

音楽史に関するまとめ

私たちがクラシック音楽と呼ぶ「西洋芸術音楽」の歴史について、筆者自身勉強中の身ながらも愛情を込めて執筆させていただきました。こうして歴史を通して振り返ると、その時代の人々の雄叫びが聞こえてくるような、生々しい息吹を感じます。

この記事が皆さんにとって、何かのお役に立てると光栄です。長い長い記事でしたがお付き合いいただき、ありがとうございました。

1 2 3

1 COMMENT

Michie

西洋音楽の歴史を、グレゴリア聖歌から、ルネッサンまで一気に聞かせていただきました。
学生の頃講義で習いましたが、メロディの流れがこのように変化していったのか!と納得。大変勉強になりました。グレゴリア聖歌とお経が似ているというのは全くその通りだと思います。人間の願いは共通なのですね。

返信する

コメントを残す