音楽史とは?西洋クラシックから日本まで年表順でざっくり解説!

中期バロック・オペラの発展:1620年ごろ~1680年ごろ

イタリアでオペラが大発展・他の国々にも大きな影響を与えます。

バロック時代はイタリアでオペラが生まれ、発展しました。その影響はヨーロッパに広く大きな影響を及ぼしていきます。力強い声と幅広い音域のために去勢された男性歌手・カストラートがオペラで主役をつとめ、人気を博しました。

ヨーロッパ各地でイタリア式のオペラが広まる中フランスでは独自のオペラの様式が発展しました。特徴としてはバレエのシーンが多用されたことなどが挙げられます。

リュリの肖像画。フランスでは独自のオペラが発展します。

当時の絶対君主・ルイ14世が自らも踊るほどバレエ好きであったため、王の好みも多分に反映されていたといえるでしょう。イタリア人のジャン=バティスト・リュリがフランス宮廷でこのスタイルを確立し、優美な作品を多く残しました。

リュリ 王を眠らせるためのトリオ-シャコンヌ

中期バロック・器楽曲の発展:1620年ごろ~1680年ごろ

この時期は器楽曲も大きく発展しました。イタリアではアルカンジェロ・コレッリがヴァイオリン・ソナタやトリオ・ソナタの様式を確立し、アレッサンドロ・ストラデッラによってコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)と呼ばれるソロとオーケストラの総奏が交互に繰り返される形式も同時期に生み出されました。

「コンチェルト・グロッソ」の生みの親・ストラデッラ :破天荒な人生を送り、後世ではオペラの題材にされました。

ドイツでは「パッヘルベルのカノン」で有名なヨハン・パッヘルベルや、ディートリヒ・ブクステフーデなどがオルガン曲などを多く作曲しました。

ストラデッラ 協奏曲ニ短調
ブクステフーデ 前奏曲 ト短調 BuxWV149

後期バロック:1670年ごろ~1750年

ヴィヴァルディ(1678年~1741年) 後期バロックのイタリアの作曲家・ヴァイオリニスト

アントニオ・ヴィヴァルディは「コンチェルト・グロッソ」の様式を独自に用い、ソロの部分と合奏部分のコントラストを更に明確にしました。またあの「四季」でもみられるように急-緩-急で展開する3楽章形式の協奏曲形式が確立され、この影響は19世紀以降の音楽にわたるまで広く影響を与えました。

また、イタリアではドメニコ・スカルラッティやジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージなどはいち早くホモフォニー様式という「メロディ+伴奏のシンプルな演奏様式」を取り入れていました。そのため活動した年代的にはバロック時代ではありながら、様式的にはほぼ次の時代の古典派様式とも言えるような楽曲が生み出されています。

一方イギリスでは植民地経営で市民が豊かになり、他の国よりいち早く劇場やコンサートホールなどの文化施設が一般市民にも開かれていました。娯楽として外国のオペラが人気を博し、G.F.ヘンデルのオペラなどがロンドンで流行しました。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル (1685年~1759年)オラトリオ「メサイア」などを作曲。

ドイツではゲオルク・フィリップ・テレマンがイタリア風の音楽やフランス風の音楽を取り入れて独自に融合させ、幅広いジャンルの音楽を作曲しました。

このように後期バロック音楽は、継続的に発展を遂げながらも少しずつ新しい時代を感じさせる動きがありました。しかしその中に存在していた異質な人物についても触れておかなければいけません。

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3 COMMENTS

Michie

西洋音楽の歴史を、グレゴリア聖歌から、ルネッサンまで一気に聞かせていただきました。
学生の頃講義で習いましたが、メロディの流れがこのように変化していったのか!と納得。大変勉強になりました。グレゴリア聖歌とお経が似ているというのは全くその通りだと思います。人間の願いは共通なのですね。

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