音楽史とは?西洋クラシックから日本まで年表順でざっくり解説!

この頃の日本の音楽

江戸時代後期の音楽について

この頃日本は江戸時代後期に当たります。当時専門的に音楽を学ぶには師匠に弟子として入門するほかの道は無く、師匠が伝える楽曲の正確な暗譜のみが求められました。

同時代に西洋音楽界で和声や音楽理論などに対する議論などが活発だったのとは対照的に、日本では一つの流派の型にはめ込む教育がされていました。そのため革新的な創作のための教育は皆無だったといわれています。

ロマン派音楽:1800年頃~

市民革命や産業革命による人々の暮らしの変化により、19世紀は音楽史にも大きな変化と進歩をもたらしました。一般に開かれたコンサートや演奏会が開催され、音楽院(音楽大学の前身)や音楽評論も誕生しました。私たちが「クラシック音楽」に持つイメージのものの多くは19世紀に生まれたといってよいでしょう。

初期ロマン派音楽:1800年~1830年

フランツ・ペーター・シューベルト (1797年~1828年):31歳で早逝しましたが、600曲以上の歌曲を作曲し「歌曲王」ともいわれます。

シューベルトなどはベートーヴェンと同年代に生まれており、作品を作った時期なども同じです。作風もお互いに影響を与え合ったりしているため、ベートーヴェン含めシューベルトやウェーバーが「後期古典派」なのか「初期ロマン派」なのかは、意見が分かれることが多いです。

その中でも、特にロマン派への時代の波において重要な作品は、モーツァルトのオペラの流れを汲んだウェーバーの「魔弾の射手」「オイリアンテ」や、シューベルトの歌曲などがあります。シューベルトでは「魔王」や「ます」「野ばら」が特に有名ですね。またロッシーニのオペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」なども初期ロマン派音楽の代表として挙げられることもあります。

ウェーバー「魔弾の射手」(対訳つき)
シューベルト「魔王」

死にゆく子と嘆く父、「死」の具現化である魔王との会話、そして物語の語り手役を歌手が一人4役で表現します。

盛期ロマン派音楽:1830年~1850年

この頃の重要な音楽家は、メンデルスゾーンショパン、リスト、シューマン、マイアベーア、ヴェルディなどです。

盛期ロマン派の人物については、項目に分けて説明したいと思います。

グランドオペラの流行

グランドオペラが多く上演されたパリのオペラ座

市民革命と産業革命により、裕福な庶民・ブルジョア層が誕生します。貴族のようにオペラ劇場に出入りすることはブルジョア市民の一ステータスとなり、ゴージャスな「グランドオペラ」が大流行します。

ジャコモ・マイアベーア

代表的な作曲家はジャコモ・マイアベーアやヴェルディで、「悪魔ロベール」や「ユグノー教徒」などが人気を博しました。グランドオペラの特徴としては大掛かりな舞台セットや大規模な合唱、バレエの挿入などが挙げられます。

ピアノの発展とヴィルトゥオーゾ

スタインウェイ製グランドピアノとラフマニノフ

産業革命による技術の発展は、そのまま楽器の進歩に大きな影響を与えました。それまでのピアノは宮廷の室内で使用されることを想定して作られていましたが、数千人を収容する大きなコンサートホールでの演奏が一般化していくと、ヘンリー・W・スタインウェイによって音響工学を駆使した大音量のグランドピアノが作られました。

スタインウェイ製のピアノは現在でもコンサートホールで使用されており、ピアノ製造の世界的なスタンダードとなりました。

フランツ・リストのコンサートの様子。さながらアイドルのような人気だったことが伺えます。

また、この当時は大衆を卓越した演奏技術で魅了する演奏家に人気が集まりました。超絶技巧を持った演奏家は「ヴィルトゥオーゾ」と呼ばれ、彼らの華やかな姿を見るために連日コンサートホールに人が溢れていたことが当時の絵画などによってわかっています。

ヴィルトゥオーゾと呼ばれた人物には「ピアノの詩人」とも呼ばれたフランツ・リスト、ヴァイオリニストで作曲家のニコロ・パガニーニなどがいます。

フランツ・リスト「ラ・カンパネラ」
パガニーニ「24のカプリス」:極めて高度な演奏技術を必要とするヴァイオリンの難曲です。
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3 COMMENTS

Michie

西洋音楽の歴史を、グレゴリア聖歌から、ルネッサンまで一気に聞かせていただきました。
学生の頃講義で習いましたが、メロディの流れがこのように変化していったのか!と納得。大変勉強になりました。グレゴリア聖歌とお経が似ているというのは全くその通りだと思います。人間の願いは共通なのですね。

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