エジソンは生涯に1300もの発明と技術革新を行なったアメリカ出身の発明家です。エジソンの三大発明として特に有名なのは蓄音機・白熱電球・キネトスコープと言われます。発明だけでなく、電話機の改良なども手掛けました。私達の生活の中に、エジソンが生み出した技術や発明品は溢れているのです。
エジソンは学校で先生や同級生と馴染めず、学校を退学しています。更に耳が聞こえにくくなるなど、実は苦労人でした。エジソンが発明王になる過程には、母親の教育や本人の努力が大きく影響していたのです。エジソンは努力する事の大切さを私達に教えてくれる人物です。
エジソンは発明王として名を馳せましたが、優れた起業家でもありました。一方でエジソンは「訴訟王」というあだ名もあります。更には晩年には「死者と交信出来る機械」の研究にも没頭しています。その生涯は華々しいだけではなく、波乱万丈でもありました。
エジソンの生涯は、将来を担う私たちが学ぶべき事がたくさんあります。夢を追いかける人、将来の夢を探す人にはぜひ知ってほしい人物です。今回はエジソンの伝記を小学校の頃に読んで以来、エジソンのファンになった筆者がエジソンについて解説します。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
エジソンとはどんな人物か
名前 | トーマス・アルバ・エジソン |
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誕生日 | 1847年2月11日 |
没日 | 1931年10月18日 |
生地 | オハイオ州マイラン |
没地 | ニュージャージー州 ウェストオレンジ |
配偶者 | メアリー・スティルウェル(前妻) ・ミナ・ミラー(後輩) |
埋葬場所 | ニュージャージー州 ウェストオレンジ ルエリンパーク |
エジソンの生涯をハイライト
- 1847年 0歳 エジソン誕生
- 1855年 8歳 3ヶ月で小学校を退学する
- 1863年 16歳 通信技師となる
- 1868年 21歳 最初の特許を取る
- 1870年 23歳 株価表示機の特許を4万ドル(2億円)で売る
- 1876年 29歳 メンロパークに研究所を創設する
- 1877年 30歳 蓄音機を発明する
- 1879年 32歳 白熱電球の改良実験に成功
- 1888年 41歳 エジソン・ゼネラル・エレクトリック社を創設
- 1889年 42歳 キネトスコープを発明する
- 1914年 67歳 研究所が火事になる
- 1931年 84歳 死去
エジソンの時代を変えた3大発明
エジソンの3大発明として特に有名なのが蓄音機・白熱電球・キネトスコープです。
蓄音機
蓄音機は音を録音する機械です。音を録音する装置は、1857年にフランスのマルタンヴィルが発明しています。ただこの装置は再生が出来ませんでした。エジソンは1877年に「音を録音して再生出来る蓄音機」を発明したのです。
エジソンは蓄音機を発明した時、「メリーさんの羊」を蓄音機に吹き込み、皆に聞かせたそうです。蓄音機からエジソンの歌声が聞こえた時、研究所は大きな歓声に包まれました。
白電球
続いてエジソンは1879年10月に白熱電球の改良に成功します。もともと白熱電球は同年2月にイギリスのスワンが最初に発明しています。ただ寿命が短く実用化に向きませんでした。
エジソンは電球を長持ちさせる為に必要なフィラメント素材をたくさん試します。それは6000種類に及びました。最終的に選ばれたのは石清水八幡宮がある男山の竹。これをフィラメント素材にする事で電球は1000時間も光りました。
キネトスコープ
更にエジソンは1888年にキネトスコープを発明します。これは映画の上映装置です。映画をスクリーンに投射するのではなく、立ったまま上から覗き込んで映画を鑑賞します。
キネトスコープの最大の弱点は、装置1台に対し1人しか映画を鑑賞できない点です。やがてエジソンのキネ
トスコープに感銘を受けたリュミエール兄弟が、スクリーンに映画を投影する「シネマトグラフ」を1890年代に開発します。
エジソンが発明・技術革新した発明品は、その後も改良を重ねて、私達の生活にも受け継がれています。文明の進展の背景にはエジソンのような発明家の努力がある事を忘れてはいけません。
あ
エジソンは、やっぱり凄いっすね。
そうだよね
エジソンは、世界中の英雄だと思ったし、名前は知っていたけど詳しくしれてよかった
それな
それなら・・・