エジソンとはどんな人?生涯・年表まとめ【電球などの発明品の紹介や名言、母親の教育について解説】

エジソンを発明王にした母の教育

エジソンの母親・ナンシー(1810年〜1871年)

エジソンが発明王になったのは母の教育のおかげでした。小学校に入学したエジソンは先生に「1+1はなぜ2になるのか」などの質問を繰り返します。先生はエジソンに困り果て「君の頭は腐っている」と吐き捨てたのです。

エジソンは3ヶ月で小学校を退学し、母親のナンシーと勉強を続けます。ナンシーはエジソンの素朴な疑問に向き合います。「卵を人間が温めてヒヨコが孵るのか」という疑問があれば、自分達のポケットに卵を入れて実験をしました。

ナンシーの教育はエジソンの個性を伸ばす事に繋がりました。ナンシーはエジソンが地下室で実験をすることを許し、疑問を解決するための本を買い与えたのです。エジソンが発明王になれたのは、幼少期の探究心が影響しています。

一方でエジソンが危ないことをした時は、厳しく叱っています。それはエジソンが「空を飛ぶ実験」として友人にヘリウムガスを呑ませた時でした。個性を伸ばしつつも、叱る時はしっかり叱る。それがナンシーの教育でした。

エジソンは幼少期に発達障害があったというのが通説です。どんな個性も磨けば大きな才能になります。ナンシーの教育は私達も見習うところがあるでしょう。

睡眠時間は4時間?80歳でも16時間働く

エジソンと同じくショートスリーパーだったナポレオン

偉人の多くが「ショートスリーパー」だった話はご存知でしょうか。健康成人の睡眠時間は6〜8時間。エジソンは「4時間以上寝ると気持ちが悪くなる」と言いました。夜は4時間程しか寝ていません(昼寝の時間はあったそうです)。

エジソンは「睡眠は時間の浪費」として、寝る間も惜しみ研究を続けています。エジソンは80歳を過ぎても1日16時間ペースで仕事を続けました。「私にはまだやらなければならない事がある」と言ったそうです。

そんな生活を長年続けていた為、エジソンの研究室には時計がないと噂されています。1つの事に集中するあまり、話しかけてきた妻を見て「君は誰だ?」と質問。当然妻に怒られています。

エジソンは自身の生活を振り返り、このように述べました。

私の若いころには、1日8時間労働などというものはなかった。私が仕事を1日8時間に限っていたら、成功はおぼつかなかったはずだ

エジソンは人の倍働いたからこそ、発明王と呼ばれたのですね。

エジソンの功績

功績1「研究開発施設を立ち上げる」

エジソンが造ったR&Dラボ

エジソンの最大の発明は白熱電球でも蓄音器でもありません。それは1876年にニュージャージー州メンローパークにつくり上げた研究開発施設です。英語ではResearch & Development Laboratoryと表記し、R&Dラボとも呼ばれます。

R&Dラボは最先端の設備やシステムを兼ね揃え、各国から志ある技術者・研究者を招きました。研究者達は各々の得意分野を活かし、力を合わせて様々な発明品を世に送り出します。

エジソンがR&Dラボを立ち上げた理由は以下の通りです。

各々の専門分野において突出した才能を集めれば、一個の天才をも凌ぐ存在を作り出すことができる。価値あるものを世に送り出すために、天才の出現を待つ必要はない…。

エジソンは皆の力を集結させる事で、1+1が何倍にもなると知っていました。当時は孤高の発明家が1人で発明をする事が当たり前。エジソンの考えは画期的でした。実際にR&Dラボは翌年に、白熱電球の改良に成功しています。

エジソンの最大の発明は「発明するプロセス(過程)を発明した事」だったのです。

功績2「電力の事業化に着手!夜の街を明るくする」

エジソンの発明した発電機

白熱電球の実用化に成功したエジソンは壮大な計画を立てます。それは「24時間明るい暮らし」を広げる事です。エジソンは白熱電球を実用化する為、1878年にエジソン電灯会社を設立します。

エジソンは電力を供給する為の発電所のインフラ整備を矢継ぎ早に実施。更に電力の使用量を測るメーターや、電気供給の切り替えの為のスイッチ、コンセントと現在でも使われるシステムを開発しました。

エジソンが電力供給の開発に力を入れたのは理由がありました。エジソンがエジソン電力会社を設立してから1年後の事です。エジソンは電球の凄さを3000人の前でデモンストレーションしましたが、買う人はいませんでした。

つまり当時の家庭には電力を供給するシステムがなく、買っても家に灯りをつける事が出来なかったのです。家庭に白熱電球を浸透させる為、電力の事業化を目指す。エジソンのスケールの大きさが分かりますね。

功績3「僅差でベルに敗れる?電話機の発明にも着手」

グラハム・ベル

多くの発明品を生み出したエジソンですが、第1号になれなかったものもあります。それが電話機でした。

エジソンは1876年1月に電話機の特許の申請をします。しかし書類不備で不受理となりました。1ヶ月後の2月14日にグラハム・ベルが電話機の特許を申請して受理されています。一般的に電話機の発明者はベルとされているのです。

ちなみにベルが特許を申請した2時間後にイライシャ・グレイが特許を出願。時を遡る5年前の1871年にはアントニオ・メウッチが電話機を開発したものの、会社が倒産し特許申請料が払えずにいました。

この頃は色んな開発者が切磋琢磨して電話の開発に関与していたのです。ちなみに2002年のアメリカの議会で「電話機の発明者はメウッチ」と決議がなされ、電話の発明者としての栄誉はメウッチに譲られました。

ただエジソンの電話機は当時の発明品の中では、最も技術的に優れていたそうです。電話開発競争に敗れたエジソンは腐る事なく「電話にこだわる必要はなく、音を記録する機械を作ろう」と考えます。

エジソンが電話機の着想から生み出したものは蓄音機でした。蓄音機はエジソンの三大発明として有名であり、エジソンの名声を高める事になりました。

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5 COMMENTS

赤司征十郎

エジソンは、世界中の英雄だと思ったし、名前は知っていたけど詳しくしれてよかった

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