ガリレオ・ガリレイはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や功績も紹介】

ガリレオ・ガリレイの功績

功績1「望遠鏡を改良!衛星や月のクレーターを発見する」

ガリレオの書いた月の満ち欠けのスケッチ

ガリレオは天文学の分野で多大なる功績を残しました。1608年に望遠鏡の特許申請が行われると、ガリレオはそれを改良。毎日のように月や惑星、太陽を望遠鏡で覗き、様々な発見をしたのです。その中のごく一部を紹介します。

  • 月の凸凹
  • 木星の衛星
  • 金星の満ち欠け
  • 太陽の黒点
  • 天の川が無数の星の集まりである事

当時のキリスト教的価値観では天動説が当然と信じられていました。しかしガリレオのひと昔前のポーランドの天文学者・コペルニクスが1543年に太陽が宇宙の中心であるという「地動説」を提唱していました。

望遠鏡による研究をする前の1597年の時点で、ガリレオはケプラーに地動説の正当性を手紙で記しています。ガリレオは一連の研究を経て、コペルニクスの提唱する地動説が正しいと確信しました。

世界をひっくり返すほどの発見だったものの、ガリレオは厳格なカトリック教徒。聖書に書かれている天動説事を否定する事は、許されない事でした。望遠鏡にのる研究はガリレオの長い闘いのきっかけになるのです。

功績2「振り子や落下の法則を発見」

振り子の法則

ガリレオは物理学の分野でも功績を残しています。功績は以下の通りです。

  • 振り子の法則(同じ長さの振り子が揺れている時は、大きく揺れても小さく揺れても速度は同じ)
  • 落下の法則(物体が落下する時間は、その物質の重さに依存しない。更に落下速度の計算式の確立)
  • 熱膨張(液体の密度は温度によって変化する)
  • 磁気現象や古典力学、音響振動、光速度の計算方法 などです。

ガリレオはピサ大聖堂で揺れているシャンデリアを見て、振り子の法則を発見したとされていました。ただこれは後世の創作と言われ、どういう経緯でこの法則を発見したのかは不明です。

振り子の法則により後年には振り子時計が考案され、熱膨張をもとに温度計が後に発明されています。更にガリレオは発見した磁気現象や古典力学は、その後の物理学の出発点となりました。

功績3「軍事用コンパスを発明 」

ガリレオの発明した軍事用コンパス

マイナーなところではガリレオは軍事用コンパスを発明しています。当時の大砲は火薬と仰角により着弾点が決められていました。しかし正確な着弾点を定めるには、何度も試し打ちをして微調整をするしかなかったのです。

ガリレオの発明した軍事用コンパスは「この位置に着弾させるには、これだけの仰角と火薬が必要」という事がすぐに分かります。何度も試し打ちをする必要がなくなったのです。ガリレオは軍事用コンパスの発売にこぎつけます。

ガリレオがしたたかだったのは「使い方をレクチャーできるのは最初はガリレオだけだった」という点です。ガリレオは「軍事用コンパスを作ったのはガリレオ」という認識を生ませ、自分の名前を宣伝したのです。

当時のガリレオは経済的にも困窮していました。各地に軍事用コンパスの使い方を指導するにつれ、トスカーナ大公の手に渡ります。そこで大公はガリレオの聡明さに目をつけ、我が子の家庭教師にガリレオを任命します。

そのコジモ2世はガリレオの生涯の庇護者となり、ガリレオの研究にも大きな影響を与えました。

ガリレオ・ガリレイの名言

見えないと始まらない。
見ようとしないと始まらない。

アリストテレスが述べた事が全て真実だと盲信された時代の中、ガリレオは実験や観察を重ねて事実を発見しました。疑問を持ち自分で調べる事で、初めて道が開ける。ガリレオは探究心の大切さを教えてくれます。

私はあまりに深く星を愛しているがゆえに、夜を恐れたことはない。

夜が来ると不安に感じる人も多いでしょう。しかしガリレオにとっては望遠鏡で星を覗く至福の時間です。ガリレオの星を愛する気持ちがよく分かる名言ですね。

それでも地球は動いている。

こちらは宗教裁判で判決が言い渡された時に呟いたとされます。しかし実際には言っていないという説が濃厚です。ただガリレオを象徴する言葉なので、紹介させていただきました。

ガリレオ・ガリレイにまつわる逸話

逸話1「ガリレオの名前に秘められた秘密」

ガリレオの生まれたトスカーナ公国の国旗

ガリレオ・ガリレイという特徴的な名前。皆さんはどちらが名前か姓か分かりますか?ガリレオが名前でガリレイが姓になります。アルファベットではGalileo Galileiであり、一文字しか違いがありません。

ガリレオが生まれたトスカーナ地方では、長男の名前を「姓を単数形」にする習慣がありました(姓の単数形というのはよく分かりませんが) 。ちなみにガリレオという言葉自体には「キリスト教徒」という意味があります。

キリスト教徒と名付けられたガリレオが、後に宗教裁判にかけられる。何とも皮肉なお話です。

ちなみにイタリアでは、偉大な人物を名前で呼ぶ習慣があります。例えばレオナルド・ダ・ヴィンチの苗字はレオナルドですが、ダ・ヴィンチと呼ぶ事が一般的です。ガリレオもイタリアでは偉大な人物とされている事がわかります。

逸話2「ガリレオの罪は350年を経て冤罪となった」

ヨハネ・パウロ2世がガリレオに謝罪した時の様子

裁判を経て有罪となったガリレオですが、死後も罪は赦されませんでした。ガリレオの庇護者だったフェルディナンド2世(コジモ2世の息子)は、ガリレオの葬儀を延期しています。

これは「カトリック教徒だったガリレオを異端者として葬る事は忍びない」とする気持ちがありました。しかし埋葬の許可が下りたのは1737年と、ガリレオの死から150年後です。

ガリレオの地動説は教会による否定とは裏腹に、一般に浸透していきます。やがてニュートンが1687年「万有引力」の法則を発見。惑星運動も太陽の引力により行われるものと証明し、地動説は疑いなき真実と分かったのです。

ガリレオの裁判については、1965年にローマ教皇・パウロ6世が言及した事で見直しが行われます。1992年にヨハネ・パウロ2世は裁判が誤っていた事を正式に謝罪。実にガリレオの罪は350年を経て冤罪だと判断されたのです。

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2 COMMENTS

ふとうこう

学校の授業で偉人を調べる授業があった。そこで「ガリレオガリレイ」を調べようとしたとき、年表も、名言も、功績もあり、便利だった。しかし、いない偉人もあり、ほかの人も増やしてほしい。

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