1603年に創設された江戸幕府は、1867年に滅ぶまでの265年間で、15人が将軍職を担ってきました。誰もが個性豊かな将軍たちですが、全員の名前を順番に挙げられる人は少ないかもしれません。
この記事では、江戸幕府の将軍15人を、その血筋やエピソードとともに紹介していきます。在位中にどんな歴史的事件があったのかも解説しているので、その将軍は果たした役割も見えてくるでしょう。最後には覚え方も紹介するのでぜひ参考にして下さい。
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江戸幕府の将軍15人を紹介
初代:徳川家康
徳川家康は、三河国岡崎城主であった松平広忠の嫡男として生まれ、19歳まで織田信秀や今川義元のもとで人質生活を送りました。その後は織田信長の同盟者として、豊臣政権では五大老の筆頭として着実に地盤を固めていきます。1600年関ヶ原の戦いで石田三成を破って天下統一を成し、1603年に征夷大将軍に任命されて江戸幕府を開きました。
1605年に息子の秀忠に将軍職を譲るも、大御所として政治を行います。1615年に豊臣氏を滅ぼし、以後250年以上の長きにわたり平和な時代をもたらす江戸幕府を創設したことが、家康の最大の功績です。
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二代:徳川秀忠
徳川秀忠は初代将軍徳川家康とその側室である宝台院との間に生まれた、家康の三男です。家康の嫡男であった松平信康は自刃、二男結城秀康は豊臣秀吉の養子になったことにより、秀忠が徳川家の後継ぎとなりました。関ヶ原の戦いでは、真田昌幸・信繁親子に足止めさせられたことで戦に遅れをとり、兵を無駄に急がせたと家康に叱られたエピソードは有名です。
1605年に二代目将軍となります。父家康の大御所政治は続いていましたが、豊臣家滅亡後には武家諸法度や禁中並公家諸法度を発布し、幕藩体制の確立に務めて二代目として重要な仕事を成し遂げました。織田家、浅井家の血を引く継室お江との間に生まれた和子(まさこ)は第108代後水尾天皇に入内し、生まれた皇女はのちに第109代明正天皇として即位しました。
三代:徳川家光
徳川家光は二代目徳川秀忠の次男として、継室の崇源院が出産しました。長男は早世したため、秀忠の後継ぎとして乳母の春日局に育てられます。1623年に三代目将軍となりました。1637年に島原の乱が起き、ポルトガル船の来航を禁止して鎖国制を敷いたのは家光の時代です。
また、軍役を課したり参勤交代を制度化することで大名の統制を図り、職制の整備といった幕藩体制の具体的な基礎固めのほか、祖父徳川家康を東照大権現として祀り、将軍の権威を高めたことにより、江戸幕府の体制安定へと繋がりました。家光の功績なくしては、江戸幕府は長く続かなかったでしょう。