紀貫之とはどんな人?生涯・年表まとめ【代表作品や子孫も紹介】

紀貫之の家系図・子孫は?孫の代で血筋は途絶えた

紀氏の祖・紀角の父親である竹内宿禰
出典:Wikipedia

貫之は3人の子ども(時文・紀内侍・女子)がいましたが、娘の1人は若くして死去。時文は「後撰和歌集」の撰集に携わるなど、文化面で功績を残しています。ただ歌集などは伝わっておらず、歌の才能は貫之には一歩及ばなかったようです。

時文は4人の男子をもうけますが、それ以降の記録は一切ありません。系譜上は孫の代で貫之の血筋は断絶しています。ただ当時は記録も曖昧な時代です。もしかしたら貫之の子孫は現在も続いているのかもしれません。

ちなみに紀氏のルーツは大和国(現・奈良県)の地方豪族です。また武内宿禰の子「紀角」が始祖とされているものの、伝説も多く真偽は不明です。

紀氏は武門として活躍した家柄ですが、平安時代になり藤原家が台頭するにつれ影が薄くなりました。貫之が生まれた頃には紀氏は没落し、政治・軍事面で活躍する機会はほぼ失われてしまいます。

貫之は文化面で多大なる影響を与えた人物ですが、古今和歌集の編纂に関与した紀友則は貫之の従兄弟にあたる人物です。貫之の時代には紀氏は文化面で頭角を現すようになりました。

紀貫之の代表作品

貫之の愛した吉野川
出典:Wikipedia

古今和歌集へ入集している作品

貫之の和歌は古今和歌集に102首が勅撰されます。今その中でも特に有名な和歌を解説していきます。

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらん

現代語訳は「去年の夏に納涼のために訪れた水辺の水が、冬になると凍ってしまった。立春の今日、風が吹いてその氷を溶かしているのだろう」となります。

納涼の夏の記憶を振り返りつつ、冬の寒さと春の訪れを和歌の中に表現しています。たった31文字の中に日本の四季をうまく表現していますね。

霞たち このめも春の 雪ふれば 花なきさとも 花ぞちりける

現代語訳は「霞がたち、木々の芽もふくらむ春になったのに雪が降るのならば、まだ花の咲かないこの里にも、春の淡雪が花と散っていることよ」となります。

春になったのにまだ雪が降っているという季節の遅れを、むしろ美しさに昇華した歌です。また「春」は季節の「木の芽の春」と「木の芽の張る」の掛詞になっています。

吉野川 いはなみたかく 行く水の はやくぞ人を 思ひそめてし

現代語訳は「吉野川(奈良県の川)の岩を打つ浪が、高く立つほど激しく流れる水のように、まだ見たこともないあの人を、こんなに激しく思い始めてしまった」となります。

こちらは古今和歌集の中の「恋歌」に収録されています。貫之は吉野川の激しい川の流れと恋愛感情を重ね合わせたのです。

この「はやくぞ」は「顔も見ていない人に恋をしているという気持ちのはやさ」と、「情熱を激しく燃やしている」という両方の意味で捉える事が出来ます。

古今和歌集へ入集していない作品

続いて古今和歌集に収録されていない作品について解説していきましょう。

手に結ぶ 水に宿れる 月影の あるかなきかの 世にこそありけれ

現代語訳は「水に映っている月の影を掬う(すくう)ように、この世はあるかなきかといった、本当に儚い世の中であった」となります。

貫之の辞世の句です。貫之は土佐日記の執筆や、古今和歌集の編纂などの一大事業を成し遂げました。しかし貫之の心境は「やり遂げた事」よりも「虚無感」が優っています。

貫之がなぜ後悔や虚無感を和歌にしたのでしょうか。それは人生年表で紐解いていきます。

紀貫之の功績

功績1「屏風歌として大成し、歌人の社会的地位を高める」

貫之は屏風の絵に合わせて歌を詠んだ
出典:Wikipedia

貫之が最初に残した功績は、歌人の社会的地位向上です。貫之の生きた時代、和歌は貴族の「嗜み(たしなみ)」でした。貫之も歌人であり貴族でしたが、没落した一族だった為に出世は望めなかったのです。

そんな貫之が才能を発揮したのが「屏風歌」の才能でした。800年代後半から貴族の中で「屏風に絵を描いて、それをみて楽しむ」という屏風絵が大流行。やがて屏風絵に合わせて和歌を詠む「屏風歌」という文化が生まれたのです。

貫之はこの屏風歌の担い手として人気を博し、余興や歌会に招かれます。貫之は掛詞などの洒落た技法を使った和歌が得意でした。屏風歌師としての報酬もあったとされ、歌を詠む事が1つの仕事になったのです。

貫之は歌詠みとして確固たる地位を築くと共に、歌人としての社会的地位を高めました。「和歌で食べて行く事が出来る」という先例を作った貫之は、没落した貴族にとっては希望だったのかもしれません。

功績2「古今和歌集の序文・仮名序を執筆」

仮名序
出典:Wikipedia

古今和歌集には和歌のみが勅撰されているのではありません。平仮名で書かれた「仮名序」と漢文で書かれた「真名序」という序文があります。「一般的には巻頭に仮名序→和歌→巻末に真名序」とされますが、学術的な順序は定まっていません。

この仮名序を執筆したのが紀貫之です。仮名序は単なる序文ではありません。和歌の本質、和歌のあるべき姿、和歌の将来像について貫之なりの解釈が述べられています。仮名序の原文は以下の通りです。その一部を引用してみましょう。

やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

現代語に訳すと「和歌は人の心をもとにして沢山の言葉になったもの。世の中に生きている人は色々な事が沢山ある。心に思う事、見るものや聞くものを言葉にして表現する」というものです。仮名序では和歌のあり方が論じられています。

平安時代に隆盛した和歌ですが、その本質について考えて論述したのは貫之が初めてでした。仮名序は歌学(和歌についての学問)の始まりであり、日本文学において大きな意義があるのです。

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