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沖田総司とはどんな人?愛刀や死因、子孫、イケメン説も紹介【年表付】

沖田総司にまつわる逸話

逸話1「沖田総司の写真が出たとネットで話題に?」

沖田総司の写真として出回っている写真
出典:JapaneseClass.jp

結論から言うと沖田総司の写真は残っていませんが、最近沖田の写真といわれるものが出回っています。しかしこの写真は沖田総司の写真ではないそうです、何でも雑誌のムーで活躍しているイラストレーターが描いた沖田のイメージ像といわれています。しかも写真ではなくイラストだそうです。

ちなみに沖田の姉みつの話によると、次姉きんの文机の引き出しに総司の写真が入っていたそうです。それを聞いた新撰組関係者がすぐにきんの文机を調べますが、写真は出てこなかったといいます。一説によるときんの家が建て替えられたと時に粗大ごみと一緒に燃やされたのではないかといわれているそうです。

逸話2「沖田総司に実は子供がいた!?」

京都光緑寺にある「沖田氏縁者」の墓
出典:新撰組データベース

壬生光縁寺の過去帳に「沖田氏縁者」と記された人物がおり、沖田の内縁の妻ではないかといわれているそうです。お墓の施工主は酒井意誠という人物がしていることがわかっています。意誠の父、酒井意章は切腹しないといけないところを沖田に助けてもらって恩義を感じていた人物といわれているそうです。

「沖田氏縁者」の人は、一説に新撰組医療所の浜崎の助手をしている石井秩という未亡人で、連れ子にユキという娘がいる人でしたが、沖田はこの女性との間に子キョウをもうけたという話があるそうです。

沖田氏縁者の墓がある京都光緑寺
出典:隠居音屋KKの「御城印・武将印・御朱印探訪」

その後沖田が結核で死去した後、石井秩も同じく肺結核で死去。連れ子ユキとキョウは浜崎家で育てられ、後に沖田氏縁者の酒井意章が二人を引き取りました。その後二人は結婚し、ユキは酒井意章の息子意誠と結婚し、夫は墓の施工主となりました。キョウの方も奈良の磯田家に嫁ぎ、子供は総司にちなんで「貞司」と名づけたといわれています。

これは昭和54年に研究家の川西正隆氏が発表していますが、定説とはなっていません。しかし嫁いだ家の名前がわかっているので、今後DNA鑑定などで新しいことがわかる日が来るのかもしれませんね。

沖田総司の生涯年表

1842年 – 0歳「江戸白河藩屋敷で天才剣士誕生する」

沖田の生年は資料によりばらつきがありはっきりしていない

陸奥国白河藩藩士足軽・沖田勝次郎の息子(長男)として、江戸の白河藩屋敷で生まれました。生年は、1842年説と1844年説とあり、生まれた月もわからず、夏に生まれたことしかわかっていません。沖田家の記録では「25歳没」となっているので、そちらを取ると1844年生まれということになりますが、上洛した時22歳だったという記録があり、こちらを取ると逆算して1842年になります。

1845年に父勝次郎が死去。本来ならば長男の総司が家督を継ぐべきですが、幼少だったために姉のみつが婿養子をとって沖田家を相続しています。

試衛館に入門し頭角を表す

天然理心流道場跡
出典:Wikipedia

当主にならなかった沖田は家が貧しかったこともあり、9歳に天然理心流の道場・試衛館の内弟子となっています。ここでは、後に新撰組で一緒に活躍する近藤・土方と同門でした。そこで沖田は天才的な剣技の才能を開花。10代前半には試衛館塾頭を務めて、1856年には近藤と調布に出稽古に出かけている記録が残っています。

1863年 – 22歳「浪士組結成の際に上京する」

目的も教えられないブラック企業張りの求人で沖田たちは京に来た

沖田は浪士組結成の時近藤について、京に上洛しました。そもそもの発足理由は、京都所司代と町奉行だけでは治安が維持できないために、将軍警護の名目で浪士を募集したものでした。そして求人は江戸で行われ、京に移動しましたが集まった浪士たちは本当の目的を教えられていなかったといいます。

松平容保、坂本龍馬は浪士組結成を後に「春獄公大失策成り」と語ったという
出典:Wikipedia

浪士組を企画した出羽庄内出身の浪士・清河八郎は「実は浪士組は僧郡護衛の組織ではなく、実は攘夷のための集団だ」と京で演説をしています。それを聞いてそれを阻止するために江戸に向かうもの、近藤や芹沢などの水戸派は求人通り京に留まり将軍警護のために京に残留しました。結局京に残ったのは13名でその中に沖田も含まれており、京都守護職・松平容保預かりの新撰組が発足したのです。

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芹沢鴨暗殺と内山彦次郎暗殺

天誅の名のもとに浅葱色の羽織を身にまとい活動した
出典:Wikipedia

同年9月には浪士組局長だった芹沢鴨を暗殺しており、沖田が参加しています。権力を得たい近藤が、島原の角屋で暗殺したというものです。事件の本当の動機はわかっていませんが、水戸の家臣だった芹沢が近藤たちを馬鹿にしたのが原因とも、会津藩から横暴な芹沢の静粛の命を受けたからともいわれています。どちらの理由にしても、近藤にとっては新撰組の権力を集中させる絶好のチャンスだったのです。

明治初期頃の天神橋
出典:Wikipedia

また翌年、大阪西町奉行与力・内山彦次郎の暗殺にも参加しています。近藤や土方らと共に天満橋又は天神橋で襲い、首は斬られ斬奸状と共に晒されました。内山を襲った動機は、新撰組と大阪力士の乱闘に内山が関与していた嫌疑と、高圧的な態度に近藤との間に確執が出来たこと、討幕派志士と結託して米や油の値段が吊り上がったことへの天誅だったといわれています。

1864年 – 23歳「池田屋事件に参加する」

池田屋事件跡地(写真の時はパチンコ店だった)
出典:Wikipedia

1864年に池田屋事件に参加しています。池田屋で集まっている倒幕志士は長州藩で御所周辺の火を放ち、公武合体派の諸侯を暗殺。天皇を拉致するというとんでもない計画でした。新撰組は倒幕志士が池田屋に集まっている情報突き止め、沖田は他の隊員と共に踏み込んでいます。

この事件は京で評判が悪かった新撰組が一躍良い方向で有名になる事件でもありました。しかし沖田は途中体調不良により、戦線を離脱しています(一説によれば喀血)。

1865年 – 24歳「総長山南敬助の介錯を務めた」

切腹を再現した写真、後ろで刀を振りかざしているのが介錯人
出典:Wikipedia

近藤や土方との意見の相違から、総長の山南敬助が脱走すると土方に命じられて追っ手として近江草津で捕えています。山南は沖田の介錯で切腹しました。

沖田は山南を兄のように慕っていたといいますが、故郷の手紙には山南の死を軽く触れる程度だったといわれています。

1867年 – 26歳「病気が悪化し療養に入る」

鳥羽・伏見の戦いを描いた画
出典:Wikipedia

1867年には、病気が悪化のため第一線を退き療養生活に入っています。近藤の妾宅で療養していたところ、元御陵衛士が襲撃してきますが、沖田は伏見奉行所にいたために難を逃れています。この頃近藤も狙撃されており、その時は永倉新八が1,2番隊を沖田の代わりに出動させており、この頃には病状が任務に就けない程悪化していたことがわかります。

鳥羽・伏見の戦いは参加できずに大阪に護送されています(ただし鳥羽・伏見の戦いに参加した際に負傷し、護送の途中で肺結核を患ったという説もあり)。鳥羽・伏見の戦いで敗戦後、甲陽鎮撫隊に参加するも結核が悪化し、中途で離脱しています。

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1868年 – 27歳「千駄ヶ谷で肺結核により死去」

沖田を含めた新撰組の身体検査を担当していたという幕府の医師・松本良順
出典:Wikipedia

沖田は江戸にもどったときは末期の肺結核でしたが、姉夫婦は庄内藩が出羽国庄内に戻るのについて江戸を離れてしまいます。そのため幕府の医師・松本良順の手配で、千駄ヶ谷の植木屋で養生していました。

江戸で療養時、甲陽鎮撫隊が出発するときに近藤が沖田を見舞っています。この時にいつも明るく強気な沖田が声を上げて泣いたそうです。この後近藤は死去しますが沖田に知らせぬよう強く周囲は口止めされていたために、近藤の死を知らずに死ぬ間際まで、

「先生はどうされたんでしょうね、お便りは来ませんか?」

と近藤を気遣う言葉をずっとかけていたといいます。また土方も蝦夷地に出発の時に、沖田を見舞いその時やり取りした歌が、沖田の辞世の句となりました。

沖田逝去の地といわれる場所
出典:Wikipedia

沖田は結局近藤の死を知ることなく、近藤の死の2か月後に家族に看取られることもなく、一人で静かに息を引き取りました。享年27歳だったとも、25歳、24歳という説があります。墓所は専称寺にあります。

沖田総司の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

新選組一番組長 沖田総司の生涯 (新人物往来社文庫)

新撰組研究の第一人者といわれる著者が、沖田総司とはどういった人物だったのかと実像に迫った本です。新撰組をあまり知らないという初心者の方でも、読みやすい本です。一般的な沖田総司という人物をわかりやすく書いてある印象の1冊です。

新選組 (学研まんが NOW日本の伝記)

学研の伝記漫画シリーズの新撰組の本です。沖田もこの中に登場します。子供に読ませたりするのに最適ですし、大人で新撰組を簡単に知りたいという人におすすめでもあります。

終末のワルキューレ 1 (ゼノンコミックス)

歴史上の人物が神様との格闘漫画です。読んでみると非常に歴史を研究してあり、歴史好きも十分満足できる漫画です。この中で沖田総司も登場しますが、一般的な「無邪気で美少年だけど好戦的な人物」として出ています。沖田総司好きは是非読んでほしい漫画です。

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おすすめの映画

沖田総司

モデル出身の草刈正雄が沖田を演じた時代劇映画です。余命宣告を受けた沖田とヒロインとの悲哀を、草刈のさわやかな雰囲気を明るくさせていて、バランスが取れているという評判です。周りの隊員役も名優ばかりなので、重厚な内容の作品に仕上がっています。

おすすめドラマ

香取慎吾主演 大河ドラマ 新選組! 完全版 第壱集 DVD-BOX 全7枚

香取慎吾が主演の新撰組大河ドラマです。ドラマでは沖田役は藤原竜也が演じています。一般的な新撰組のイメージを踏まえたドラマです。最近の作品でもあり、撮影技術も昔のものよりも趣向が凝らしてあるので、是非新撰組のドラマ他の見たという方も見てほしい作品です。

新選組血風録 VOL.1

司馬遼太郎作の新撰組をドラマ化したものです。白黒なので敬遠されがちですが、「新撰組好きにはこれ!」といわれるドラマです。全てがリアルで監督や脚本も素晴らしいと評判です。沖田好きだけでなく、新撰組好きの人は是非見てみたい1作です。

おすすめのアニメ

るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- OVA(追憶編+星霜編) / 劇場版(維新志士への鎮魂歌)

幕末が好きな人に激押しのアニメです。この中で沖田総司が出てくるのは僅かですが、新撰組元隊員の斉藤一が出てきたり、幕末に活躍した人物が大勢登場します。このアニメで幕末が好きになったという人も多いので、アニメ好きの人は是非おすすめの一作です。

関連外部リンク

沖田総司についてのまとめ

今回沖田総司の記事を執筆させて頂いて、漫画「るろうに剣心」や「風光る」など読んでいた筆者は、やはり新撰組や沖田総司が好きだなと感じています。それと同時に学生の頃にはわからなかった沖田総司の「儚さ」がより感じられた執筆となりました。

家族縁が薄く兄弟子たちが家族同然だったと想像できる沖田の、短くも太くて儚い人生に幕末という歴史のまた一面を見た気がしています。はっきりした政治思想が無かったという沖田ですが、そういう人も大勢いたのだろうというのもまた歴史であり、それでも「幕末」という時代に翻弄された沖田の生涯を記事にすることが出来て本当に嬉しく感じています。この記事を読んで、少しでも沖田総司の知らないことを知ったという人がいたらこれ以上の光栄はございません。

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1 COMMENT

沖田総司のことを詳しく知れてよかったです。あと、ひとつ疑問なんですけど、新せん組の、「せん」は、「選」か「撰」どっちですか。❓

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