【24年1月最新】日本の未解決事件ランキングTOP30!考察あり

20位:下山事件-1949年

搬出される下山の遺体
出典:Wikipedia

下山事件は、1949年7月5日に国鉄総裁の下山定則が失踪し、翌日に電車に轢かれて死亡していたのが発見された事件です。自殺を主張する捜査一課、他殺を主張する捜査二課による対立が存在し、公式の捜査結果は発表されずに捜査は打ち切りとなりました。

当時は、日本がGHQの統治下に置かれる中、共産党の勢力が拡大していた時代です。事件の背景には、様々な勢力が暗躍していたのです。下山事件は1ヶ月後に発生した三鷹事件、松川事件と並び、「戦後三大ミステリー」と呼ばれています。

事件の考察、犯人像

他殺説としては、「アメリカの対敵諜報部隊」、「元陸軍軍属が設立した組織と亜細亜産業関係者」などが犯人として挙げられています。一方で毎日新聞は、下山は度重なる労働争議で初老期鬱憂病を発症していたと主張し、自殺説を挙げました。

下山事件は「戦後最大のミステリー」と呼ばれ、現在でも様々な議論が行われています。

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下山事件の背景にある、政治家や著名人達の裏の顔。本書は下山事件の調査内容や、それにまつわる様々なエピソードをまとめています。発行された事がある書籍ですが、本書は様々な補足を加えた完全版。戦後の日本について、知りたい人にもオススメの作品です。

19位:長岡ワラビ採り殺人事件-1979年

当時の新聞記事
出典元:アメブロ

長岡ワラビ採り殺人事件は、1979年5月23日に発生した殺人事件です。発見されたのは、京都府長岡京市の山中。同市に住む主婦2人が、23日にワラビ採りに行くと出掛けたあと行方不明になっており、25日に絞殺・刺殺体で見つかったのです。

警察は現場の聞き込みに加えて、複数の容疑者に事情聴取を行うも、犯人逮捕に至らず1994年5月24日に公訴時効が成立しています。

事件の考察、犯人像

長岡ワラビ採り殺人事件の異常性は、猟奇的な性的暴行に加えて、全身の傷痕から垣間見えます。そして、主婦の1人が所持していたレシートに、次のようなメーセージが残されていました。

オワレている たすけて下さい この男の人わるい人

このメモから、警察は犯人を男であると推測。また、2人は逃げられないようにアキレス腱を切断されていたことから、単独犯説が有力視されています。

そして不気味なことに、事件の5年後には現場近くの住宅で女性が殺害される凄惨な事件も発生しているのです。こちらの事件も未解決のまま。犯人の血液が同じ型だったことから、同一犯なのでは?という憶測が、根強く残っています。

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昭和から令和にいたるまで、日本では数々の未解決事件が起きました。本書は一連の事件を分かりやすくまとめており、長岡ワラビ採り殺人事件なども取り上げられています。本書を読む事で未解決事件の理解が更に深まる事でしょう。

18位:葛生事件-1981年

葛生にある吉澤記念美術館
出典:Wikipedia

葛生事件は、1981年12月10日に発生した殺人事件です。この日、栃木県葛生市(現・佐野市)の住宅で火事が発生。焼け跡から25歳の住民女性と、3歳児と生後7ヶ月の乳児の遺体が発見されます。死因は火事ではなく、絞殺でした。

夫婦仲は冷え切っており、27歳の夫には愛人もいました。事件前日に夫は、愛人から結婚を迫られて「決着をつける」と発言していた他、過去に強姦で逮捕された経歴もあったのです。状況からみても、夫が事件に関与していたのは明らかでした。

事件の考察、犯人像

夫は元保険外交員であり、妻に多額の保険金をかけていた事が発覚します。事件から2年後に、夫は逮捕されたものの確実な物的証拠はなく、状況証拠が決め手となりました。

結果的に放火も殺人も証拠不十分で夫は無罪となり、事件は未解決のまま。ただ夫が事件に関与していると考える人は多いです。

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数々の遺体の検視や解剖を行なってきた上野正彦による一冊。葛生事件もまた、火事ではなく絞殺と突き止める事が出来たのは、検察医の功績がありました。本書を読めば、そんな彼らの貴重な意見を聞く事が出来るでしょう。

17位:山陽電鉄爆破事件-1967年

現在の山陽塩屋駅
出典:Wikipedia

山陽電鉄爆破事件は、1967年6月18日に山陽電鉄の普通列車で発生した爆破事件です。この日、電鉄塩屋駅(現・山陽塩屋駅)付近にいた、普通列車の網棚に置かれていた荷物が爆発。2人が死亡し、29名の重傷者を出す大惨事となりました。

警察は爆発の原因を塩素系カリウムと硫黄の混合物による火薬に、時限式起爆装置が取り付けられていた為と発表。同年1月には、大丸神戸店のトイレで同型の爆弾が爆発する事件も起きており、現場には「ウルトラ山田」という脅迫文が残されていました。

ただ双方の事件とも犯人は見つからず、事件は未解決となったのです。

事件の考察、犯人像

1960年代後半には、鉄道をターゲットにした爆破事件が多発しています。逮捕された案件もあるものの、山陽電鉄爆破事件の犯人ではなかったようです。

また1974年には、大阪で3件の爆弾事件が発生し、この時に「ウルトラ山田」から犯行声明が出されています。ただ犯人は後に13歳の少年である事が発覚。山陽電鉄爆破事件の頃は6歳であり、単に名前を拝借しただけだったようです。

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戦前戦後に起きた爆破事件。本書は、その変革と事件の概要について解説しています。山陽電鉄爆破事件の前後、草加次郎と名乗る人物が様々な場所で爆破事件を起こしており、それに着想を得て行われたのが「横須賀線電車爆破事件」でした。

1960年代に起きた爆破事件は、案外繋がっているのかもしれません。

16位:免田事件-1948年

2007年頃の免田栄
出典:Wikipedia

免田事件は、1948年12月30日に発生した強盗殺人事件です。祈祷師一家が何者かに襲われ、2人が死亡し2人が負傷。更に現金を奪われました。警察は別件で逮捕した免田栄に強引な取り調べを行い、犯人に仕立て上げたのです。

一度は死刑判決が下った免田ですが、1983年に無罪判決が下ります。免田は34年もの間、拘束され続けていたのです。警察は免田が犯人と疑わなかった為、免田逮捕後に捜査を行なっていませんでした。その為、免田の釈放を経て事件は未解決となったのです。

事件の考察、犯人像

前述した通り、免田が逮捕されてからは警察は捜査をしていませんでした。免田が「本当に犯人である」と主張する人もいますが、彼には明確なアリバイがあり、それは再審で証明されています。その為、真犯人にまつわる情報や足取りは全く掴めていないのです。

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免田栄は2020年に95歳で死去するまで、各地で講演を行いました。彼にまつわる書籍や映画も数多く存在します。本書は免田が獄中で綴った自叙伝であり、当時の苦悩が伝わってきます。死刑制度と冤罪と、私達が免田事件から学ぶ事は多いでしょう。

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