15位:青酸コーラ無差別殺人事件-1977年
青酸コーラ無差別殺人事件は、1977年の1月と2月に発生した無差別殺人事件です。事件発生は東京と大阪。いずれも公衆電話ボックス内にて、無造作に残されたコーラを飲んだ男性3人が、青酸中毒で死亡しています。(ただし、内1名は一命を取り留めたものの自殺)
また、同時期に青酸化合物入の怪しげなチョコレートも発見。脅迫文が添えられていたことから、警察は青酸コーラ無差別殺人事件との同一犯か否かも含めて捜査を開始しました。しかし、事件解決できぬまま、1992年に公訴時効を迎えています。
事件の考察、犯人像
事件発生時、警察は周囲の目撃証言などから、犯人が幾度かのテストを行った上で犯行に臨んでいると結論づけました。なぜなら、怪しげなコーラは、被害が出る以前から度々目撃されていたからです。
青酸化合物をなにかしらのルートで手に入れた犯人が、興味本位で犯行に至った可能性があるとしています。また、犯人像については、若者が好みそうなコーラを使用していることから、中年以下の若者ではないか?との考察があります。
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今作品は、日本の未解決事件について執筆されたドキュメントです。青酸コーラ無差別殺人事件についても触れられており、事件を網羅的に知ることができます。
14位:新宿歌舞伎町ラブホテル殺人事件-1981年
新宿歌舞伎町ラブホテル殺人事件は、1981年3月から6月にかけて発生し、3人の女性が殺害された連続殺人事件です。新宿歌舞伎町のラブホテルにて、女性の絞殺身体が相次いで発見されています。(内1県は埼玉県川口市)
事件発生までの流れは、それぞれの女性たちが男性と2人でチェックインし、男性が先に帰ったあとに遺体で発見。また、2人目の被害者は身分を特定するものが一切残されておらず、現在も身元が不明のままです。
目撃証言による犯人の特徴が一致していたことから、警察は一連の事件を同一犯によるものと推測。捜査を行うものの、犯人逮捕ができないまま1996年に全ての事件が公訴時効を迎えています。
事件の考察、犯人像
新宿歌舞伎町ラブホテル殺人事件は、目撃証言による犯人像「若いサラリーマン風の男」が一致しています。しかし、当時はプライバシーの観点から、ホテル内に防犯カメラが設置されておらず、捜査は難航しました。
被害者はホステス、不明、工員。年齢もバラバラですが、3人の体内からは覚醒剤が検出されています。大きな進展を得られず、類似の事件が周辺で多発したことから、捜査本部は1年ほどで縮小されました。
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人間を全て飲み込む街である歌舞伎町。元カリスマホストの筆者が、歌舞伎町の知られざる姿を暴き出します。本書がこの事件に触れているわけではありませんが、「歌舞伎町」の本質に触れる事が出来る為、事件が起きた本質について、感じ取れるかもしれません。
13位:松川事件-1949年
松川事件は、1949年8月17日に起きた列車往来妨害事件です。この日、福島県金谷川村付近を通過していた412旅客列車が脱線し、3人が死亡。捜査の結果、線路継目部の繋ぎ目が意図的に外されていた事が発覚しました。
捜査当局はこの事件を、当時断行されていた国鉄の大規模なリストラによる抗議であると判断。20人が逮捕され、一審で5人に死刑判決が下されました。ただ警察は、彼らの無実を証明するアリバイを隠していた事が発覚。後に全員が無罪となり、未解決事件となりました。
事件の考察、犯人像
松川事件は、下山事件や三鷹事件と共に「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれています。真犯人に関する目撃情報を警察は無視し、脅迫まがいの自白で犯人をでっちあげた事から、警察は本当の犯人を安全に逃亡させる協力をしていた説もあるのです。
当時は日本共産党が勢力を拡大しており、東芝の社員の労働を支持していました。逮捕された人の中には、東芝の社員も含まれており、この事件は「GHQや警察が仕組んだ謀略」という説も根強いです。
この事件では、昭和天皇も謀略説を疑っていた事が記録されている他、1958年には弁護団に真犯人と名乗る男から手紙も届いています。真相は闇の中ですが、真犯人にまつわる情報が多い事件でもあるのです。
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事件から12年後の1961年に放映された作品です。当時は被告人の無罪判決は確定していない時期であり、彼らが無罪を勝ち取る場面はありません。名作には間違いないものの、監督の山本薩夫が左翼思想を持っている為、それを踏まえて視聴する方が良いでしょう。
12位:松山事件-1955年
松山事件は、1955年10月18日に発生した放火殺人事件です。この日、宮城県松山町の農家が全焼し、焼け跡から4人の家族の遺体が見つかります。解剖の結果、3人の頭部から刀傷が認められて、殺人及び放火殺人として捜査が開始されました。
事件から1ヶ月後に、斎藤幸夫という人物が逮捕され、彼は拷問まがいの取り調べを受けて5年後に死刑が確定します。警察の捏造による証拠が明るみとなり、1984年に斎藤は無罪となりました。
事件の考察、犯人像
斎藤の無罪判決は、事件発生から29年後の事です。その間警察は捜査をしていない為、犯人に繋がる有力な証拠は既に残っておらず、犯人像は謎に包まれています。
冤罪事件は、罪を被せられた人の人権だけではなく、本当の犯人が捕まらずにいる事を意味します。被害者の為にも、治安の為にも、冤罪は絶対に起こしてはならないのです。
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自白を強要され、無実にもかかわらず死刑となった斉藤幸夫。本書は、無罪を勝ち取る為に奔走した本人や家族、そして協力者たちの記録です。ようやく勝ち得た無罪判決でしたが、その後の斎藤は社会に溶け込めず、幸福なものではありませんでした。
冤罪の恐ろしさ、そして司法や警察に存在する日本の問題点がよくわかる一冊です。
11位:三鷹事件-1949年
三鷹事件は、1949年7月15日に発生した無人列車暴走事件です。この日、無人の7両編成の列車が暴走し、三鷹駅の下り1番線に進入。車止めを突き破り、脱線転覆しながら線路脇の商店に突っ込んだ結果、6人が死亡し、20人が負傷する大惨事になりました。
捜査当局は、国鉄労働組合に所属する10人の共産党員と、非共産党員であった元運転士を逮捕します。元運転士は死刑判決が下るものの、1967年に脳腫瘍で獄死。彼は無罪や単独犯、複数犯等、何度も供述を変えていました。
三鷹事件は下山事件、松川事件と並び、「国鉄三大ミステリー事件」と呼ばれています。
事件の考察、犯人像
事件は、元運転手の犯行で確定しているものの、非常に多くの疑問点が残されています。供述内容では列車の暴走を起こせないとされ、元運転手にはアリバイもありました。
この事件は、元運転手による単独犯説、共産党員による陰謀、元運転士は列車を車庫から出さないだけで、暴走させる予定はなかった等、様々な説が唱えられています。事件の謎はまだ解明されていないのです。
関連書籍
下山事件、松川事件と並び、三鷹事件も様々な書籍が刊行されています。本書を通じて事件当日の状況だけでなく、共産党や国鉄の動向について触れられており、当時の日本が置かれた状況も学ぶ事が出来ます。
今でもたくさんの未解決事件があるのですね.ビックリしました