日本で起きた未解決事件ってどのくらいあるの?
日本で実際に発生した怖い未解決事件の考察や詳細を知りたい!
犯人が特定されず、逮捕・解決に至らないまま闇に葬り去られる未解決事件。現在でも多くの事件が「迷宮入り」とされています。
今回は、日本で実際に発生した未解決事件をランキング形式で紹介します。中には残虐な内容が含まれますので、ご了承の上お読みください。また、後半ではテレビ番組を通して解決した事件も紹介します。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
30位:グリコ森永事件-1984年
グリコ森永事件は、1984年と1985年に発生した連続脅迫事件です。被害にあったのは、大阪府と兵庫県の食品会社であり、江崎グリコ社長の身代金誘拐が皮切りとなっています。
その後も森永製菓や丸大食品、不二家などの有名企業が被害を受け、毒入り菓子のばら撒きは世間を恐怖に陥れました。犯人はかい人21面相と名乗り、警察を翻弄。事件は未解決のまま、2000年に公訴時効が成立しています。
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事件の考察、犯人像
金銭の要求に対して、警察は受け渡しに何度も接触を図ったものの、犯人は一度も姿を現していません。しかし、何度か犯人らしき人物は目撃されています。
犯人の動機は一切不明。謎の多い事件ですが、江崎グリコ社長の誘拐時、幼い娘ではなく本人を狙ったのは、身代金目的ではなく怨恨ではないのか?という憶測もあります。
関連書籍
「キツネ目 グリコ森永事件全真相」は、実際に捜査に関わった人たちへの取材を通して執筆されたノンフィクション作品です。ジャーナリストである著者が「キツネ目グループ」に迫ります。
29位:警察庁長官狙撃事件-1995年
警察庁長官狙撃事件は、1995年3月30日に発生した狙撃事件です。狙われたのは、当時の警察庁長官である國松孝次。事件当日の朝、自宅から出たところを4発の銃弾に襲われ、一時危篤状態にまで陥りました。
幸い一命を取り留めましたが、犯人逮捕には至らず、2010年3月30に殺人未遂事件の公訴時効を迎え未解決になっています。多数の目撃証言や、被疑者に対する事情聴取は行われましたが、立件には至らなかったのです。
事件の考察、犯人像
事件は、オウム真理教による地下鉄サリン事件の直後に起きていました。警視庁内では、「オウム犯行説」を唱える公安部と、「別件で逮捕された強盗殺人未遂犯N説」を唱える刑事部の対立がありました。
犯人しか知り得ない情報もNは知っていたとされ、テレビ朝日やNHKは「N犯人説」で特番を組んだ事もあります。彼は、現在は別件の強盗殺人事件で服役中です。警察では「犯人はオウム」と圧力をかける勢力もあったとされ、Nに捜査が及ぶ事は今後もないでしょう。
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関連書籍
「宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年」は、捜査の第一線で活躍した捜査官の手記です。容疑者を逮捕できなかった理由とは?警察の暗部を浮き彫りにした作品となっています。
28位:三億円事件-1968年
三億円事件は、1968年12月10日に発生した窃盗事件です。偽の白バイ隊員に扮した犯人が、東芝社員のボーナス約3億円を奪い、発生後まもなくして大規模な捜査が実施されました。
有名な犯人のモンタージュ写真は、実際は犯人に似ていたとされる人物の写真を、ただヘルメットと合成しただけのものです。事件現場には多くの遺留品が残されていたにも関わらず、事件は1975年12月10日に公訴時効を迎えています。
事件の考察、犯人像
三億円事件は、11万人にも及ぶ容疑者が浮上しました。当初容疑者にあがった人物は、当時19歳で父が白バイ隊員だった少年S。彼は非行少年たちで結成された立川グループのリーダーであり、事件直前に別の窃盗事件を企てていたことから、容疑がかかりました。
しかし、後に少年Sは自殺を図り、家宅捜索でも現金が発見さなかったことから「シロ」と結論付けられています。現在でも、単独犯と複数犯で意見が分かれていますが、複数犯であれば気付くはずのミスが目立ったことから、単独犯説が一般的です。
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関連書籍
2018年に名乗りをあげた「真犯人白田」の自伝小説です。真犯人白田が犯行に至るまでの記録と、事件当時の詳細が描かれています。ただし、彼の青春小説要素もあるので、真偽は不明。信じるか、信じないかはあなた次第となります。
27位:福島女性教員宅便構内怪死事件-1989年
福島女性教員宅便槽内怪死事件は、1989年2月28日に女性教員宅の便槽内で男性の変死体が発見された事件です。男性に目立った外傷はなく、警察は「男性が覗きをしようと便構内に侵入し、圧迫後に凍死」したと判断したのです。
ただ、便構幅の直径は36cmと、成人男性が入れる幅ではありません。そして彼を知る多くの人物が、「彼は覗きをする人ではない」と主張しており、事件に疑問を抱いた人も多いようです。ただ警察は、そのまま捜査を打ち切り、事件は闇に葬られました。
事件の考察、犯人像
死亡した男性は、村長選挙の演説を頼まれたり、女性教員が悩まされていた無言電話の犯人探しをする等、正義感に溢れた行動をしています。それゆえに恨まれる事もあったのかもしれません。
また彼は福島原発の保守会社に勤めていましたが、当時の福島原発は、原発3号機の部品脱落という安全性の不備が指摘されていました。責任者は彼の同僚でしたが、後に自殺しています。彼はその死の原因を追及しようとして、闇に葬られたのかもしれません。
関連書籍
この事件は、1994年に「バリゾーゴン」というタイトルで映画化されました。内容は福島第二原発3号機事故、都路村の便槽変死事件、そして彼の同僚の自殺等を絡めたドキュメンタリーになっています。DVD化はされておらず、youtubeでしか観る事は出来ません。
26位:悪魔の詩訳者殺人事件-1991年
悪魔の詩訳者殺人事件は、1991年7月11日に発生した殺人事件です。この日、筑波大学助教授の五十嵐一が大学構内のエレベーターホールで殺害されているのが発見されます。遺体の首には、頸動脈に達する3箇所の傷、右側の胸や腹に3箇所の刺し傷がありました。
彼は、1990年にサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語訳していました。イランの最高指導者は「悪魔の詩は反イスラム的」であるとし、小説に関与した者の死刑を宣告していました。結局、事件の犯人は判明せず、2006年7月11日に時効を迎えています。
事件の考察、犯人像
元CIA職員・ケネス・ポラックは、この事件の最後にはイランの軍隊組織・「ゴドス軍」が関与していると示唆しました。犯行はプロによるものと考えられ、エレベーターホールで殺害されたのも「みせしめ」の為だったのかもしれません。
なお事件直後に警察は、筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人を容疑者としてマークしていました。ただこの学生は事件当日に成田を出発しており、イスラム諸国との関係悪化を恐れた日本政府が捜査を早々に打ち切ったともされます。
この事件は未解決になったというよりも、未解決のままの方が好ましい事件と言えそうです。
関連書籍
五十嵐が翻訳したラシュディの小説です。彼がイギリス人という事もあり、イスラム教を否定するような記載もあります。事件の発端になった、小説を読む事で、なぜ事件が起きたのかを感じ取る事が出来るかもしれません。
今でもたくさんの未解決事件があるのですね.ビックリしました