アパルトヘイトとは?意味や影響、撤廃までの道のりも簡単に解説

アパルトヘイトとは、1948年から1994年の間に南アフリカで行われていた、国民を肌の色が白い人とそうでない人に区別した政策です。当時の南アフリカでは、肌の色を基準に国民を分離することで「白人に有利な社会」が作り上げられました。

最終的には国民による撤廃運動や諸外国の批判によって1994年に撤廃。30年近く経った現在では、アパルトヘイトをきっかけとして人種差別を撲滅するための運動が世界規模で行われています。

アパルトヘイト博物館
出典:Wikipedia

しかしながら、アパルトヘイトという言葉を知ってはいても内容を知らない人は多いですよね。教科書の内容は簡略化されていて、分かりづらいとおもっている人もいるはず。

そこで今回は、アパルトヘイトの意味や影響などを徹底解説。施行理由から施行中の社会状況、撤廃までの道のりを詳しく紹介します。

アパルトヘイトを詳しく学ぶことで、人種差別の怖さと差別のない世界の尊さを改めて知ることができるでしょう。

この記事を書いた人

Webライター

岩野 祐里

Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。

アパルトヘイトとは

3ヶ国語で書かれたアパルトヘイト時代の標識
出典:Wikipedia

アパルトヘイトとは、1948年に法律として制定された政策のことです。アパルトヘイトという言葉はアフリカーンス語*で「隔離・分離」を意味します。

名前の由来通り、この政策は肌の色を基準にして国民を社会的に分離させるものでした。人口の2割を占める白人を優遇し、残りの8割を占める黒人やアジア人たちを迫害したのです。

その中でも1番の犠牲となったのは先住民族である黒人。南アフリカ人口の7割を占める存在であるにも関わらず、国家の推し進める政策によって社会から差別されるようになりました。

*アフリカーンス語
オランダ語から派生したもので、ヨーロッパ系の言葉では1番新しい言語。オランダの植民地となっていた時に誕生し、現在の南アフリカ共和国の公用語の1つとなっている。

トップは白人、ワーストは黒人

白人のみが許可された場所
出典:Wikipedia

当時の南アフリカにおける人口は、次の4つの人種に分けられています。

  • アジア人(主にインド系が多い):3%
  • カラード(混血児*):9%
  • 白人(イギリス系とオランダ系):15%
  • 黒人(アフリカに住む様々な民族の殆どが黒人のカテゴリーに入る):73%

人種の内容から分かる通り、黒人以外はすべて他国からの移住者です。特に、イギリス系やオランダ系の白人は単なる移民者ではなく、南アフリカを植民地化していた国からやってきた人々になります。

元々植民地支配を受けていたこともあって、南アフリカではアパルトヘイト施行以前から入植者の白人が国を支配している傾向がありました。そして、白人による支配権はアパルトヘイトによって更に強まってしまったのですね。

カラードの子どもたち
出典:Wikiwand

アパルトヘイトが施行されている間、権力のトップは白人になりワーストが黒人というピラミッド型の支配層が出来上がりました。

カラードやアジア人は黒人と同じく白人ではありませんでしたが、優遇対象となり徐々に権力を回復していきます。しかし、黒人だけは変わらず差別の対象でした。その結果、大きな反アパルトヘイト運動を引き起こすことになったのです。

*カラード(混血児)
異なる人種間の間に生まれた子どもでハーフとも呼ばれています。当時の南アフリカにおけるカラードの多くは、白人と先住民族の間で生まれました。

白人と黒人の結婚や恋愛も罰則対象に!

白人と黒人の結婚や恋愛は犯罪になった

アパルトヘイトは個人の人間関係にまで影響を与えました。白人と黒人同士の恋愛や結婚も罰則対象になったのです。

実は、こうした法律はアパルトヘイト施行以前からもありました。1927年には肌の色が異なる者同士の恋愛を禁止する「背徳法」がすでに成立していたのです。こうした法律を軸として、アパルトヘイト施行後は白人と黒人の個人的な関係に関する罰則が作られていきました。

異なる人種が手を取り合う大切さを奪ってしまった

1949年に成立した「雑婚禁止法」で、南アフリカに住む白人と黒人同士の結婚を禁止。さらには、元来の「背徳法」を改正して白人と黒人との性行為も禁止されます。

この法律を破ったものは裁判にかけられました。そして、いずれも刑務所に収監されるほどの罪に問われたうえに、ここでも黒人の方が重い罪を課されたのです。

これらの法律は、カラード(混血児)を誕生させないために成立されました。しかし、それだけでなく白人と黒人同士の「人としての繋がり」までも壊してしまったといえるでしょう。

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2 COMMENTS

岩野祐里

藤田さんへ
レキシル記事の「アパルトヘイト」を読んでいただきありがとうございます!さらにコメントまでしていただいて、とても嬉しいです。しかも、なんと私の記事をもとに授業内容を構成してくださったとのこと!身に余る光栄でございます。生徒さんたちに少しでも分かりやすく「人種差別」や「人権問題」などが伝われば幸いです。

私も中学生の時には「受験勉強」としての世界史を学んだ記憶があります。藤田さんと同じく、大学生になってから改めて「視野を広げる世界史」を学びました。中学生という若い時期から「事実・影響・背景」をふまえた世界史が学べたら、大人になったとき世界を見る視野が広がっていると思います。明日の藤田さんの授業で、多くの生徒さんが「アパルトヘイト」による人種差別の悲惨さや人権問題に関する人々の動きに注目してくださることを祈っています。

改めて、この度はコメントいただきありがとうございます!今回ご紹介いただいた「ENGLISH SOCIAL HISTORY」、とても気になるので一度読んでみますね! noteでの藤田さんの記事も少しずつ楽しみに読ませていただいております。これからもよろしくお願いいたします。

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藤田孝志

こちらにも飛んできました。
実は、ちょうど今、1年生の地理で「アフリカ」を授業していて…欧米による植民地支配、独立後の民族対立・内戦からの難民問題(ルワンダの虐殺を例に)を教えたところで…明日、「アパルトヘイト」を授業する予定です。こちらの「記事」を読ませていただき、授業内容を構成しました。ありがとうございました。
さて、中学校という年齢の問題もありますが、教科書記述も人権問題や戦争・内戦・国家間の対立など以前に比べれば詳しく記述されるようになりましたが、それでも歴史背景や要因・影響などは一面的・画一的で表層のみですから生徒の理解も薄いものになります。時間の制約もあるなかで、それでも「事実」と「背景」「影響」はきちんと押さえながら…先で考えるための視点と歴史認識だけは教えていくつもりで…教科書無視の授業をしています。
たとえ中Ⅰとはいえ、整理して教えると理解しますね。感受性の豊かな生徒は「理不尽さ」には気づきます。そして自分ならどうするかを考えます。
歴史では…改訂されては来ましたが、それでも世界史の分野が実に少なく…補いながら(同時代史の視点から)把握させています。正直、世界史を知らずに大学生や大人になる今の子どもがグローバル社会で大丈夫かと心配になりますね。
私にとっても大学受験での「世界史」は全体把握と暗記でした。本格的に学んだのは大学時代、一般教養で「イギリス社会史」の講義で、岩波書店の「講座世界史」のイギリスを読まされてレポートを書いた際に、市民革命の流れに興味を持ち、マックスウェーバーにはまって…一夏で「講座世界史」を全巻読破して…ようやくわかった感じがしました。特にわかりやすかったのは、G・M・ Trevelyan 「ENGLISH SOCIAL HISTORY」でした。(みすず書房から訳書もありますね)
話が逸れましたね。明日は少し熱を入れて「アパルトヘイト」を語りたいと思います。

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