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アパルトヘイトとは?意味や影響、撤廃までの道のりも簡単に解説

アパルトヘイトとは、1948年から1994年の間に南アフリカで行われていた、国民を肌の色が白い人とそうでない人に区別した政策です。当時の南アフリカでは、肌の色を基準に国民を分離することで「白人に有利な社会」が作り上げられました。

最終的には国民による撤廃運動や諸外国の批判によって1994年に撤廃。30年近く経った現在では、アパルトヘイトをきっかけとして人種差別を撲滅するための運動が世界規模で行われています。

アパルトヘイト博物館
出典:Wikipedia

しかしながら、アパルトヘイトという言葉を知ってはいても内容を知らない人は多いですよね。教科書の内容は簡略化されていて、分かりづらいとおもっている人もいるはず。

そこで今回は、アパルトヘイトの意味や影響などを徹底解説。施行理由から施行中の社会状況、撤廃までの道のりを詳しく紹介します。

アパルトヘイトを詳しく学ぶことで、人種差別の怖さと差別のない世界の尊さを改めて知ることができるでしょう。

アパルトヘイトとは

3ヶ国語で書かれたアパルトヘイト時代の標識
出典:Wikipedia

アパルトヘイトとは、1948年に法律として制定された政策のことです。アパルトヘイトという言葉はアフリカーンス語*で「隔離・分離」を意味します。

名前の由来通り、この政策は肌の色を基準にして国民を社会的に分離させるものでした。人口の2割を占める白人を優遇し、残りの8割を占める黒人やアジア人たちを迫害したのです。

その中でも1番の犠牲となったのは先住民族である黒人。南アフリカ人口の7割を占める存在であるにも関わらず、国家の推し進める政策によって社会から差別されるようになりました。

*アフリカーンス語
オランダ語から派生したもので、ヨーロッパ系の言葉では1番新しい言語。オランダの植民地となっていた時に誕生し、現在の南アフリカ共和国の公用語の1つとなっている。

トップは白人、ワーストは黒人

白人のみが許可された場所
出典:Wikipedia

当時の南アフリカにおける人口は、次の4つの人種に分けられています。

  • アジア人(主にインド系が多い):3%
  • カラード(混血児*):9%
  • 白人(イギリス系とオランダ系):15%
  • 黒人(アフリカに住む様々な民族の殆どが黒人のカテゴリーに入る):73%

人種の内容から分かる通り、黒人以外はすべて他国からの移住者です。特に、イギリス系やオランダ系の白人は単なる移民者ではなく、南アフリカを植民地化していた国からやってきた人々になります。

元々植民地支配を受けていたこともあって、南アフリカではアパルトヘイト施行以前から入植者の白人が国を支配している傾向がありました。そして、白人による支配権はアパルトヘイトによって更に強まってしまったのですね。

カラードの子どもたち
出典:Wikiwand

アパルトヘイトが施行されている間、権力のトップは白人になりワーストが黒人というピラミッド型の支配層が出来上がりました。

カラードやアジア人は黒人と同じく白人ではありませんでしたが、優遇対象となり徐々に権力を回復していきます。しかし、黒人だけは変わらず差別の対象でした。その結果、大きな反アパルトヘイト運動を引き起こすことになったのです。

*カラード(混血児)
異なる人種間の間に生まれた子どもでハーフとも呼ばれています。当時の南アフリカにおけるカラードの多くは、白人と先住民族の間で生まれました。

白人と黒人の結婚や恋愛も罰則対象に!

白人と黒人の結婚や恋愛は犯罪になった

アパルトヘイトは個人の人間関係にまで影響を与えました。白人と黒人同士の恋愛や結婚も罰則対象になったのです。

実は、こうした法律はアパルトヘイト施行以前からもありました。1927年には肌の色が異なる者同士の恋愛を禁止する「背徳法」がすでに成立していたのです。こうした法律を軸として、アパルトヘイト施行後は白人と黒人の個人的な関係に関する罰則が作られていきました。

異なる人種が手を取り合う大切さを奪ってしまった

1949年に成立した「雑婚禁止法」で、南アフリカに住む白人と黒人同士の結婚を禁止。さらには、元来の「背徳法」を改正して白人と黒人との性行為も禁止されます。

この法律を破ったものは裁判にかけられました。そして、いずれも刑務所に収監されるほどの罪に問われたうえに、ここでも黒人の方が重い罪を課されたのです。

これらの法律は、カラード(混血児)を誕生させないために成立されました。しかし、それだけでなく白人と黒人同士の「人としての繋がり」までも壊してしまったといえるでしょう。

アパルトヘイトが施行された3つの理由

①白人が南アフリカを支配するため

アパルトヘイト制度を確立させた政治家ダニエル・フランソワ・マラン
出典:Wikipedia

アパルトヘイト施行理由として、まず挙げられるのは「白人による南アフリカ支配」です。

南アフリカは17世紀からイギリス・オランダによって植民地化されており、主権国家*として独立した後も白人によって支配されていました。

主に支配層となっていたのはイギリス系移民でしたが、同じ白人であるオランダ系移民も負けじと南アフリカでの権利を主張。白人同士で対立し合いながらも、常に先住民の黒人たちを差別することで支配力を保ってきました。

そして1948年、政治家ダニエル・フランソワ・マラン率いる国民党が選挙にて勝利。これを機に黒人への差別は悪化し、南アフリカを白人が支配するためのアパルトヘイトが施行されたのです。

*主権国家
国民、領土、主権を持つ近代的な国家の仕組みのこと。独立国とほぼ同じ意味です。

②貧困層の白人を助けるため

黒人を犠牲にして貧しい白人を助けた

アパルトヘイトには、比較的貧しい生活を送る白人たちを救済する目的もありました。

南アフリカを植民地化したイギリスとオランダですが、オランダ系移民(アフリカーナー*)は貧困層が多く「白人としては」貧しい暮らしをしていたのです。

アパルトヘイトを確立した政治家ダニエル・フランソワ・マラン率いる国民党は、そうした貧困層のアフリカーナーを労働などにおいて優遇。その結果、アフリカーナーをはじめとする白人労働者は経済的に豊かになりました。

しかし、その反面で黒人労働者たちは低賃金で働かされることとなったのです。つまり、黒人労働者を踏み台にして貧困層の白人を救済したのですね。

*アフリカーナー
ケープ植民地を作り上げたオランダ系移民、または彼らの子孫のこと。 他にも、宗教の自由を求めてフランスやドイツからやってきた人々も含まれています。

③民族間の対立を避けるため

アフリカーナーの人々
出典:Wikiwand

最後に、アパルトヘイトの施行理由には民族間の対立を避けるという目的もありました。

ここでいう民族とは、先住民の黒人たちではありません。南アフリカを植民地化していたイギリス系移民とオランダ系移民のことです。理由の①②で述べたように、この2つの国は南アフリカの支配をめぐって対立を繰り返していました。

しかし、アパルトヘイト施行後は黒人を差別した社会が両方の経済的な利益になると判断されたのです。その結果、民族間の対立が激減。イギリス系移民もアパルトヘイト施行に理解を示し始めました。

子どもたちの笑顔を奪う「発展」などない

一方で、黒人に対しては「アパルトヘイトによって南アフリカに住むそれぞれの民族が発展することができる」と主張。つまり、当時の政治家たちは黒人を差別している意識はなかったのですね。

ただ、白人と分離させた方がお互いのためになると信じていたのでしょう。しかし、一部のリベラル*派である白人たちはアパルトヘイトを非人道であるとして非難し続けました。

*リベラル
リベラルとは、個人の自由や多様性を尊重する自由主義のこと。政治においてはリベラリズムや社会自由主義の意味合いがあります。
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