アパルトヘイトとは?意味や影響、撤廃までの道のりも簡単に解説

アパルトヘイトの施行から撤廃までの歴史年表

1948年「アパルトヘイト制度が確立」

アパルトヘイトに対する抗議運動の様子
出典:Wikiwand

1948年、黒人を差別化するアパルトヘイト制度が成立。国際社会から見ても人種差別的な政策であり、非難されるべき状況でした。

しかし、当時世界は冷戦*状態にあり、西側諸国(アメリカなど)は貴重な金属レアメタルの輸入を南アフリカに依存。そのため、表立った批判が出来ずアパルトヘイト政策は次々と進行してしまいました。

*冷戦
第二次世界大戦後に起こった「戦争をしない争い」のこと。アメリカをはじめとする西側諸国とソ連をはじめとする東側諸国が対立していました。

1949年「雑婚禁止法が成立」

人を好きになるにも法律ができた

白人と黒人の結婚を禁止した「雑婚禁止法」が成立。それに伴い、恋愛や性行為までも禁止する「背徳法」や黒人の身分証携帯を義務化した「パス法」も成立されました。こうして、南アフリカは白人と黒人たちが関わらない社会に近づいていったのです。

1953年「全ての施設が分離」

「隔離施設留保法」によって、公共交通機関や飲食店など全ての施設が「白人用」と「黒人用」に分離されました。その後、ホームランドなどの自治区も設置。この時から、南アフリカ社会は人種ごとに徹底的に分けられてしまったのです。

1971年には自治区を独立させ、黒人から選挙権・参政権・市民権を奪おうする試みまでありました。黒人の生活を白人依存にさせるための策略だったといわれています。

1976年「ソウェト蜂起」

反アパルトヘイト抵抗運動活動家スティーヴ・ビコ
出典:Wikiwand

アパルトヘイトに対する抗議運動は断続的に行われていたものの、シャープビル虐殺事件が発生。国内ではマンデラをはじめとする活動家たちが逮捕されたことで、反アパルトヘイト運動は一旦沈静化します。

しかし、活動家スティーヴ・ビコのもと再度行われるようになりました。そして、世界中から注目集めることとなるソウェト蜂起が起きたのです。この暴動によって、アパルトヘイト政策の実態がより世の中に知れ渡るようになりました。

1985年「雑婚禁止法などを廃止」

アパルトヘイト撤廃に奮闘したフレデリック大統領
出典:Wikiwand

世間からの批判を重く受け止めた南アフリカ政府は、「雑婚禁止法」などのアパルトヘイト政策を支える法律を次々と廃止。1989年に新大統領となったフレデリック・ウィレム・デクラークはアパルトヘイト撤廃に向けて、これまでの政策を180度変更しました。

1990年には1962年に逮捕したネルソン・マンデラを釈放。アフリカーナー抵抗運動*などに妨害されながらも、アパルトヘイト撤廃に向けて奔走しました。

*アフリカーナー抵抗運動
元警察官のユージン・テレブランシュによって結成されたオランダ系移民の組織。アパルトヘイト維持を求めて、集会や貿易センターへの襲撃を行っていました。

1994年「アパルトヘイトが廃止される」

ネルソン・マンデラが南アフリカ大統領に就任したことによって、アパルトヘイトは完全に廃止されます。その後、アパルトヘイトによって傷ついた南アフリカ国家を立て直すべく政策を進めました。

大統領に就任する前年には、アパルトヘイト政策を撤廃させた功労としてノーベル平和賞を受賞しています。

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2 COMMENTS

藤田孝志

こちらにも飛んできました。
実は、ちょうど今、1年生の地理で「アフリカ」を授業していて…欧米による植民地支配、独立後の民族対立・内戦からの難民問題(ルワンダの虐殺を例に)を教えたところで…明日、「アパルトヘイト」を授業する予定です。こちらの「記事」を読ませていただき、授業内容を構成しました。ありがとうございました。
さて、中学校という年齢の問題もありますが、教科書記述も人権問題や戦争・内戦・国家間の対立など以前に比べれば詳しく記述されるようになりましたが、それでも歴史背景や要因・影響などは一面的・画一的で表層のみですから生徒の理解も薄いものになります。時間の制約もあるなかで、それでも「事実」と「背景」「影響」はきちんと押さえながら…先で考えるための視点と歴史認識だけは教えていくつもりで…教科書無視の授業をしています。
たとえ中Ⅰとはいえ、整理して教えると理解しますね。感受性の豊かな生徒は「理不尽さ」には気づきます。そして自分ならどうするかを考えます。
歴史では…改訂されては来ましたが、それでも世界史の分野が実に少なく…補いながら(同時代史の視点から)把握させています。正直、世界史を知らずに大学生や大人になる今の子どもがグローバル社会で大丈夫かと心配になりますね。
私にとっても大学受験での「世界史」は全体把握と暗記でした。本格的に学んだのは大学時代、一般教養で「イギリス社会史」の講義で、岩波書店の「講座世界史」のイギリスを読まされてレポートを書いた際に、市民革命の流れに興味を持ち、マックスウェーバーにはまって…一夏で「講座世界史」を全巻読破して…ようやくわかった感じがしました。特にわかりやすかったのは、G・M・ Trevelyan 「ENGLISH SOCIAL HISTORY」でした。(みすず書房から訳書もありますね)
話が逸れましたね。明日は少し熱を入れて「アパルトヘイト」を語りたいと思います。

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岩野祐里

藤田さんへ
レキシル記事の「アパルトヘイト」を読んでいただきありがとうございます!さらにコメントまでしていただいて、とても嬉しいです。しかも、なんと私の記事をもとに授業内容を構成してくださったとのこと!身に余る光栄でございます。生徒さんたちに少しでも分かりやすく「人種差別」や「人権問題」などが伝われば幸いです。

私も中学生の時には「受験勉強」としての世界史を学んだ記憶があります。藤田さんと同じく、大学生になってから改めて「視野を広げる世界史」を学びました。中学生という若い時期から「事実・影響・背景」をふまえた世界史が学べたら、大人になったとき世界を見る視野が広がっていると思います。明日の藤田さんの授業で、多くの生徒さんが「アパルトヘイト」による人種差別の悲惨さや人権問題に関する人々の動きに注目してくださることを祈っています。

改めて、この度はコメントいただきありがとうございます!今回ご紹介いただいた「ENGLISH SOCIAL HISTORY」、とても気になるので一度読んでみますね! noteでの藤田さんの記事も少しずつ楽しみに読ませていただいております。これからもよろしくお願いいたします。

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