25位:勝田清孝事件-1972年~1983年
連続殺人犯・勝田清孝が1972年から1983年にかけて犯した連続殺人事件の総称です。勝田は22人の殺害をほのめかしたものの、立証されたのは8人でした。この8人だけでも連続殺人犯としては戦後では最多。勝田は日本事件史上、最悪の連続殺人犯の1人です。
勝田は京都で裕福な農家の長男として生まれますが、学生時代から窃盗を繰り返していました。昼は真面目な消防職員、夜は窃盗犯という二面性を持っていたのです。
やがて勝田は1972年に窃盗で侵入した家の女性を殺害。1977年には現金輸送中の銀行員を射殺する等、銃を使用した殺人を行います。最終的に勝田は1983年1月31日に銀行強盗に失敗して逮捕されます。
勝田が窃盗を繰り返す頃、日本は高度経済成長を迎えていました。「消費が美徳」の時代に、勝田は車や愛人との派手な生活を謳歌する為、犯罪を重ねたのです。清田は車を使用し広域で犯罪を犯しており、一連の事件は高度経済成長を象徴するものでした。
勝田は1994年に死刑判決を受け、2000年に絞首刑となります。これは20世紀の最後に行われた絞首刑でした。
24位:連続企業爆破事件-1974年~1975年
連続企業爆破事件は、1974年8月から1975年5月にかけて武闘派左翼・東アジア反日武装戦線が、旧財閥系企業や大手ゼネコン企業の社屋や施設を次々と爆破した事件です。東アジア反日武装戦線は、法政大学で結成され、戦前の日本の行動に強い反感を抱いていました。
彼らは、1974年8月30日の三菱重工ビルの爆破を皮切りに、三井物産本社屋や大成建設本社などを次々と爆破。5月までの間に、9棟ものビルが爆破されました。三菱重工ビルの爆破では8名が死亡し、376人が負傷。一連の爆破事件の負傷者は400人を超えています。
5月19日に、主要メンバーは逮捕されたものの、一部のメンバーは逃走に成功。残党による爆破事件は、1977年まで続きました。さらに、裁判中の1975年に連合赤軍が囚人解放を訴えたハイジャックなどを起こし、メンバーの一部は釈放の末に逃亡したのです。
現在、大道寺あや子・佐々木規夫は国際指名手配、桐島聡は全国指名手配となっていますが消息は不明です。1970年代は、学生運動や新左翼と呼ばれるグループが、危険なテロを起こした時代です。行き過ぎた思想が凄惨な事件を起こす事を私達は忘れてはいけません。
23位:佐賀女性7人連続殺人事件-1975年~1989年
1975年から1989年の間に、佐賀県の半径20キロ地域で、7人もの女性が連続して殺害される事件が起きました。被害女性のうち6人は水曜日に失踪し、5件の死因が絞殺(2人は白骨化しており死因は不明)と共通点が多く見られます。
5人目から7人目の被害者は、北方町大峠の崖下で発見されており、北方事件とも呼ばれます。佐賀県警は、被害者の1人と交際していた男性を逮捕するものの、彼は犯行を否認。立件は見送られたものの、2002年に彼は再度逮捕されています。
逮捕された男は、素行が悪く事件における有力な状況証拠が揃っていたため、佐賀県警は逮捕に踏み切ったものと思われます。ただ、結局は証拠不十分で2005年4月に彼の無罪は確定し、事件は再び振り出しに戻ったのです。
ネット上では、一連の事件は同一人物によるものではなく、複数の独立した事件という見方が強いです。最初に起きた事件も、容疑者が浮上したものの起訴されずに釈放されました。事件は、同一犯によるものか、犯人は別にいるのか謎は深まるばかりです。
22位:日本航空350便墜落事故-1982年
1982年2月9日、日本航空350便が羽田空港沖に墜落。乗員乗客174人中24人が死亡し、149人が重軽傷を負う大惨事となりました。この事故は航空機の故障等ではなく、機長の「統合失調症」によるパニックが原因だったのです。
機長は事故の6年前から心の病を発症。一度休職するものの、職務復帰後は「問題なし」とされていましまが、実際は心の病は彼を蝕んでいました。機長は航空機を最終進入する最中、突如滑走路手前で離陸。航空機は海水に着水し、機体は2つに分裂しました。
事故の顛末を記録した「ボイスレコーダー」の中で、副操縦士は「キャプテン、やめてください!!」と機長の暴走を止めようとした事が分かっています。この言葉が世間に与えた影響は大きく、当時の流行語になりました。
問題のある機長を乗務させ続けた日本航空には批判が高まり、パイロットの検査基準が改められました。昨今は「心の病」がクローズアップされている時代です。同じ事件を繰り返さない為にも、社会全体が心の病を持つ人をフォローする体制が求められています。
21位:女子高生コンクリート詰め殺人事件-1988年
1989年1月に、東京湾の埋め立て場からコンクリート詰めにされた女子高生の遺体が見つかったことで発覚した事件です。この事件で逮捕されたのはいずれも、当時の少年法が適用される16〜18歳の少年4人でした。
女子高生は前年の11月に誘拐されたのち、強姦され、暴行を繰り返されていました。女子高生が抵抗しようとすると激しいリンチでねじ伏せ、最後は栄養失調もあいまって死亡したのです。遺体の処理に困った少年たちは、ドラム缶に女子高生の遺体を詰め、コンクリートで固めて東京湾の埋立地に遺棄したのでした。
この事件は、当時の少年法改正への世論を強めた事件としても知られています。結局、主犯格の4人には刑法が適用され、最大で懲役20年の実刑判決が言い渡されました。
ちなみに主犯の4人のうち3人は、振り込め詐欺、拉致監禁傷害事件、殺人未遂容疑で釈放後に逮捕されています。出所後に仕事や社会に適応できずに再度犯罪に手を染める元少年も多く、「更生」というものに成果があるのか、考えていく必要があるでしょう。
きもいって
カンキモ
キモ