【24年11月最新】日本史上最悪で一番恐ろしい事件ランキングTOP30

20位:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件-1988年~1989年

宮崎勤元死刑囚
出典:サイコなさえ子の日記

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は、1988~1989年にかけて東京都北西部・埼玉県南西部で発生した誘拐殺人事件です。被害者は、4歳から7歳までの4人の幼女で、誘拐後に暴行されその後殺害されています。

宮崎勤は「今田勇子」と名乗り犯行声明文を送っていた
出典:Quora

犯人の宮崎勤は、新聞社に犯行声明文を送る、殺害した少女の遺骨を遺族の自宅に送り付ける等の異常な行動を繰り返しています。1989年7月23日に、八王子で幼い姉妹にわいせつな行為をしているところを逮捕され、取り調べ中に一連の犯行を認め再逮捕されました。

宮崎勤の部屋、事件当時話題になり「オタク」の存在が一躍有名となった
出典:瞬間マジでニュース速報

宮崎勤の家には、6000本を超えるビデオテープがあり、ジャンルはアニメ・特撮・ホラー映画など。その中から、被害者女性へのわいせつ行為を録画したビデオテープも発見。ロリコンやホラー好きな趣味を持つ者に強い偏見が生まれました。

取り調べ中、宮崎は被害者の遺体を食べたなどと供述。精神鑑定が行われたものの、責任能力有りと判断され死刑が確定し、2008年に死刑が執行されました。最後まで遺族への謝罪はなく、死刑直前に気にかけていたのは鑑賞途中のDVDだったといいます。

19位:井の頭公園バラバラ殺人事件-1994年

事件のあった井の頭恩賜公園
出典:Wikipedia

1994年4月23日、東京三鷹市の井の頭恩賜公園にあるゴミ箱に人間の足首が捨てられていた事が発覚。警察が公園一帯を捜索すると、計27カ所のゴミ箱に手足や胴体の一部が見つかります。被害者は近所に住む一級建築士の男性と判明しました。

遺体は公園のゴミ箱に捨てられるサイズに切り取られ、血液は全て抜き取られていました。頭部などは見つかっていません。遺体の切り口が異なる事から複数犯の説もありますが、2009年に時効を迎え、事件は迷宮入りとなります。

遺体の一部が捨てられたゴミ箱
出典:誰も知らないらぽっぷの世界

この事件は謎が多く、殺害された理由はわかっていません。別人と間違えられて殺害された、交通事故を隠蔽する為だった、某宗教施設と関わりがある等、様々な説が錯綜しています。

ネット上では語られる事の多い事件ですが、事件の三日後に264人の死者を出す中華航空140便墜落事故が発生。新たな情報にも乏しかった為、あまり報道される事はありませんでした。

18位:大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件-1994年

事件の概要
出典:午後のアダージョ

1994年9月28日から10月8日にかけて大阪、愛知、岐阜で不良少年による凄惨なリンチ殺人事件が起きました。一連の事件で3人の成人と7人の未成年が逮捕されました。犯人達は11日間で4人を殺害した他、1人を負傷させています。

被告3人を含め、加害者達は社会的に劣悪な環境で育ちました。彼らは裁判で「自分達は未成年だから死刑にならない」と発言。傍若無人な態度を繰り返していました。

彼らに死刑判決が下された時、テレビでは大きな話題となった
出典:怖い話 ネット

2005年に主犯に死刑判決が下された時、新潮社は彼らの実名と写真を報道したのです。少年に死刑判決が下されたのは、1989年の名古屋アベック殺人事件と1994年の市川一家4人殺害事件に続き、3件目でした。

当時はまだ被害者に対する支援も未熟でした。被害者の遺族は初公判の日程や加害者の名前すら教えられる事はありませんでした。被害者遺族に「加害者が少年の場合、保護者の名前と住所が通達される」のは、今回の事件から2年後の事です。

17位:地下鉄サリン事件-1995年

サリン捜索の為に完全装備で地下鉄に入る消防庁の職員
出典:毎日新聞

カルト教団「オウム真理教」が起こした事件は数しれませんが、そのなかでも群を抜いて凶悪な事件が「地下鉄サリン事件」です。

1995年3月20日、帝都高速交通営団(現:東京メトロ)で運転中だった地下鉄の車内で、神経毒であるサリンが教団の実行役により散布されました。この事件での死者は14名、負傷者は6400名以上とされ、日本史上最悪の無差別殺人事件といわれています。

また、地下鉄サリン事件は、海外でも大きく報道され、無差別テロ事件として世界を恐怖に陥れたのです。

オウム真理教の教祖・松本智津夫
出典:産経ニュース

地下鉄サリン事件は坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並ぶ「オウム三大事件」とよばれています。また、この事件後、不審物を早期発見するために駅からゴミ箱が撤去されるなどの対処がとられるようになったのです。

16位:神戸連続児童殺傷事件-1997年

最初の事件現場
出典:Wikipedia

容疑者は14歳の中学生だった。社会に大きな衝撃をあたえ、実際に少年法改正のきっかけになったのが、「神戸市連続児童殺害事件」です。犯人が自称した名前から「酒鬼薔薇事件」ともよばれています。

「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る人物による、小学生2名が殺害された事件。警察は当初、脅迫状の内容などから、成年を容疑者として捜査をしていました。しかし、実際に逮捕されたのは、地元の当時中学2年生であった少年だったのです。

この事件と関係があるかは不明も、1998年1月から3月にかけて少年による刃物を使った事件が多発。少年法でこの少年が守られる事に納得がいかない人もたくさんいました。結果的にこの事件を経て、少年法は改正されます。

後に少年は本を出版した
出典:ほっとにゅうす

少年は後に出所し、2004年の時点では「とある団地で更生職員と生活していた事」が判明しています。2015年には事件を起こす過程から、社会復帰に至る過程を綴った「絶歌」が出版され、大きな議論を呼びました。元少年の所在は現在では不明です。

1 2 3 4 5 6

244 COMMENTS

コメントを残す