皆さんはA級戦犯という言葉をご存知でしょうか。第二次世界大戦終結後、連合国は戦争計画に参画した日本の軍人や政治家を裁判にかけました。彼らはA級戦犯と呼ばれ、判決を受けた者は全員が有罪となったのです。
そんなA級戦犯ですが、学校の授業やニュースで耳にはしていても具体的に何をしたのか、有罪になるほど悪事を働いたのかなどが曖昧な人も多くいますよね。
そこで、A級戦犯とは何した人達を指すのかを、代表的なA級戦犯や判決の問題点なども交えわかりやすく解説します。この記事を読めば、代表的なA級戦犯や戦犯指定における様々な問題点を理解できますよ。
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Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。
A級戦犯とは何をした者達なのか
A級戦犯とは「平和に対する罪」で起訴された人を指す言葉です。罪状は「戦争計画、準備、遂行などの行為に加担した者や、戦争を達成する為の共同の計画や謀議に参画した者」が該当します。具体的に罪状が定められたのは1945年6月に開催されたロンドン会議です。
第二次世界大戦終結後、アメリカやイギリスなどの連合国は敗戦国である日本にA級戦犯に対する軍事裁判を行います。これは極東国際軍事裁判や東京裁判と呼ばれ、1946年5月3日から裁判は開始されます。
裁判所は旧陸軍士官学校講堂に設置され、この場所ではB級戦犯の松井石根を含めて28人が起訴されました。
A級戦犯を判定する基準
A級戦犯達の訴因は当初55項目ありましたが、裁判の過程で10項目になります。内容は以下の通りです。
訴因1 – 1928年から1945年に於ける侵略戦争に対する共通の計画謀議
訴因27 – 満州事変以後の対中華民国への不当な戦争
訴因29 – 米国に対する侵略戦争
訴因31 – 英国に対する侵略戦争
訴因32 – オランダに対する侵略戦争
訴因33 – 北部仏印進駐以後における仏国侵略戦争
訴因35 – ソ連に対する張鼓峰事件の遂行
訴因36 – ソ連及びモンゴルに対するノモンハン事件の遂行
訴因54 – 1941年12月7日〜1945年9月2日の間における違反行為の遂行命令・援護・許可による戦争法規違反
訴因55 – 1941年12月7日〜1945年9月2日の間における捕虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反
起訴者28人が全ての罪に該当したわけではなく、有罪項目は1〜8項目。ただ連合国側の11人の判事のうち過半数が死刑に賛成すれば死刑になる為、有罪項目の数で死刑が決まるわけではありません。7つの罪で禁錮7年の者もいれば3つの罪で死刑になった者もいます。
最終的に東京裁判として起訴されたのは28人でしたが、連合国は1945年9月11日から1946年11月5日までの間に126人の軍人や政治家をA級戦犯として逮捕しています。不起訴者の中でもすぐに釈放された者もいれば、裁判終了まで刑務所に収容された者もいました。
A級戦犯の判定基準はアメリカやソ連などの各連合国の中で大きな隔たりがありました。太平洋戦争期間の罪を重視したアメリカや、満州事変以降の中華民国への介入における罪を重視した中国など。A級戦犯は連合国の話し合いのもとで28人に絞り込まれたのです。
B級・C級戦犯との違い
ちなみに戦争犯罪人として起訴されたのはA級戦犯だけでなく、B級戦犯とC級戦犯も存在します。B級戦犯は「通例の戦争犯罪」とされ、従来の戦時国際法における交戦法規違反行為(敵兵や敵国民に対する大量殺人や虐待など)で起訴された者を指します。
C級戦犯は「人道に対する罪」であり、一般人に対する大量殺人や虐待等で起訴された者を指します。両条項は被る部分が多いですが、C級戦犯がユダヤ人を迫害した者を裁く為に想定されたもので、ドイツに対して作られた条項といえば分かりやすいでしょうか。
A級、B級、C級は戦争犯罪の分類なので、A級が一番罪が重いわけではありません。ただ極東国際軍事裁判所条例ではA級戦犯が一番重大だと明言されている為、罪が重いという解釈もできます。
東京裁判では28人が起訴され7人が絞首刑となりましたが、B級戦犯はそれよりも遥かに多く総数は不明です。一説ではB級戦犯として1万人以上が逮捕され、1000人が死刑判決を受けたとされます。なおC級戦犯は日本人に対してはほとんど適用されていません。
代表的なA級戦犯
前述した通り東京裁判で起訴されたのは28人です。彼らの中には絞首刑になった者もいれば、出所してから政界や財界で再び頭角を現した者もいます。
今回、紹介する代表的なA級戦犯は下記の3人です。
- 東條英機
- 広田弘毅
- 板垣征四郎
順番に解説していきますね。
東條英機
東條英機は陸軍軍人であり、第40代内閣総理大臣を務めた人物です。彼の政権下で日本はアメリカやイギリスとの開戦に踏み切り、太平洋戦争が開戦されました。東條は多くの大臣を兼任して、戦争に打ち勝とうとした為、「東条幕府」と揶揄されました。
当初は連合国を圧倒した日本でしたが、劣勢になるにつれて東條の影響力も失墜。東條内閣は1944年7月22日に倒閣します。やがて日本が敗戦を迎え、連合国がA級戦犯を指定した時、東條はその筆頭に選ばれました。
東條は1,27,29,31,32,33,54の項目で有罪となり絞首刑の判決が下ります。彼は陸軍内の対米開戦の急先鋒だったものの、総理大臣就任時には昭和天皇の意向を汲んで対米開戦回避に動きました。開戦が確定した日の夜に東條は皇居を向きながら号泣したとされます。
東京裁判では昭和天皇の戦争責任を問う声もあったものの、東條は開戦に至った原因は自分にあると主張。この証言が決め手となり、昭和天皇は戦争責任を免れたとされます。確定東條は戦争責任を一身に受けながら絞首刑となったのです。