イギリス王室の歴史年表
1066年「ウィリアム1世が即位:ノルマン朝の誕生」
イギリス王室の始まりは、11世紀にまで遡ります。10世紀以前のイギリスには、アングロ・サクソンと呼ばれる人々が7つの王国を築いていました。しかし、そこにフランス起源のノルマン人であるウィリアム1世がやってきたのです。
彼は「前王は自分に王位を譲ると約束していた」と述べ、イングランドに侵攻します。国王ハロルド2世との戦闘に勝利し、ウィリアム1世として即位。ノルマン朝が開かれました。この出来事はのちに「ノルマン・コンクエスト」と呼ばれるようになります。
封建制*など近代的な政治を行うも、ウィリアム1世の死後のノルマン王朝は徐々に力が衰えていきました。最終的に王位を巡る内乱を経て、ヘンリー2世が即位。88年続いたノルマン朝は幕を下ろしました。
封建制とは、封建社会の政治制度のことです。ウィリアム1世の治世では国王・貴族・農民などの階級制度を活用し、国家の土地の大部分を国王が所有するものとされました。その結果、王族の地位が確立したのです。
1154年「ヘンリー2世が即位:プランタジネット朝の誕生」
新たなイングランド国王となったヘンリー2世。プランタジネット朝を開き、戦争でボロボロになった国内の再建に奮闘した人物です。彼の死後は息子や孫たちが王位を引き継ぎました。
しかし、領土の喪失や王権の制限など度重なる失態が続き、ついにはフランスとの百年戦争にまで発展します。プランタジネット朝最後の国王リチャード2世は、国政に不満を持つ人々に捕まり、廃位させられました。これにより、200年以上続いたプランタジネット朝は終結します。
1399年〜1485年「王位の混乱」
リチャード2世の廃位後、王位に就いたのはヘンリー4世です。ランカスター朝を開きましたが、貴族たちの反乱や内乱により国政は悪化。ヘンリー6世の治世であった1455年に薔薇戦争が勃発しました。
その後、同じプランタジネット朝の分派であるヨーク家のエドワード4世に王位が移り、1461年にヨーク朝が誕生します。しかし、3代目の王リチャード3世の時代に再び反乱が起こり、ランカスター朝もヨーク朝も途絶えてしまいました。
1485年「ヘンリー7世が即位:テューダー朝の誕生」
ランカスター朝の系統を持つヘンリー7世が即位し、テューダー朝が開かれました。ヘンリー7世は王権の強化や外交政策、貿易の推進など国を立て直すために様々な国政を行います。
しかし、ここでも後継者に問題がありました。ヘンリー7世の死後、王位を継いだヘンリー8世が宗教改革を行ったのです。これにより国内で宗教対立が起こり、それは王位継承者にも影響を与えました。
ヘンリー8世の娘エリザベス1世が女王として即位後にようやく事態は落ち着きます。ところが、独身を貫いた彼女には後継者がおらず、テューダー朝は100年余りで幕を閉じました。