イギリス王室の歴史をわかりやすく解説【家系図・年表付き】

イギリス王室の歴史年表

1066年「ウィリアム1世が即位:ノルマン朝の誕生」

ウィリアム1世(真ん中の人物)
出典:Wikiwand

イギリス王室の始まりは、11世紀にまで遡ります。10世紀以前のイギリスには、アングロ・サクソンと呼ばれる人々が7つの王国を築いていました。しかし、そこにフランス起源のノルマン人であるウィリアム1世がやってきたのです。

彼は「前王は自分に王位を譲ると約束していた」と述べ、イングランドに侵攻します。国王ハロルド2世との戦闘に勝利し、ウィリアム1世として即位。ノルマン朝が開かれました。この出来事はのちに「ノルマン・コンクエスト」と呼ばれるようになります。

ノルマン・コンクエストの様子
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封建制*など近代的な政治を行うも、ウィリアム1世の死後のノルマン王朝は徐々に力が衰えていきました。最終的に王位を巡る内乱を経て、ヘンリー2世が即位。88年続いたノルマン朝は幕を下ろしました。

*封建制

封建制とは、封建社会の政治制度のことです。ウィリアム1世の治世では国王・貴族・農民などの階級制度を活用し、国家の土地の大部分を国王が所有するものとされました。その結果、王族の地位が確立したのです。

1154年「ヘンリー2世が即位:プランタジネット朝の誕生」

ヘンリー2世
出典:Wikiwand

新たなイングランド国王となったヘンリー2世。プランタジネット朝を開き、戦争でボロボロになった国内の再建に奮闘した人物です。彼の死後は息子や孫たちが王位を引き継ぎました。

しかし、領土の喪失や王権の制限など度重なる失態が続き、ついにはフランスとの百年戦争にまで発展します。プランタジネット朝最後の国王リチャード2世は、国政に不満を持つ人々に捕まり、廃位させられました。これにより、200年以上続いたプランタジネット朝は終結します。

1399年〜1485年「王位の混乱」

薔薇戦争の様子
出典:Wikiwand

リチャード2世の廃位後、王位に就いたのはヘンリー4世です。ランカスター朝を開きましたが、貴族たちの反乱や内乱により国政は悪化。ヘンリー6世の治世であった1455年に薔薇戦争が勃発しました。

その後、同じプランタジネット朝の分派であるヨーク家のエドワード4世に王位が移り、1461年にヨーク朝が誕生します。しかし、3代目の王リチャード3世の時代に再び反乱が起こり、ランカスター朝もヨーク朝も途絶えてしまいました。

1485年「ヘンリー7世が即位:テューダー朝の誕生」

ヘンリー7世
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ランカスター朝の系統を持つヘンリー7世が即位し、テューダー朝が開かれました。ヘンリー7世は王権の強化や外交政策、貿易の推進など国を立て直すために様々な国政を行います。

しかし、ここでも後継者に問題がありました。ヘンリー7世の死後、王位を継いだヘンリー8世が宗教改革を行ったのです。これにより国内で宗教対立が起こり、それは王位継承者にも影響を与えました。

ヘンリー8世の娘エリザベス1世が女王として即位後にようやく事態は落ち着きます。ところが、独身を貫いた彼女には後継者がおらず、テューダー朝は100年余りで幕を閉じました。

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