イギリス王室の歴史をわかりやすく解説【家系図・年表付き】

イギリス王室で起きた歴史的な出来事

ここでは、イギリス国民や世界に衝撃を与えた3つの歴史的出来事を紹介します。

  • ヘンリー8世の結婚問題
  • ヴィクトリア女王と大英帝国
  • 故ダイアナ妃の自動車事故

約1000年の歴史を誇るイギリス王室。歴史が長いゆえに、過去にはイギリス国家そのものを揺るがす歴史的な出来事が多く発生しました。

それは宗教から社会、国民感情などあらゆる面に影響を及ぼしています。これらの歴史的出来事を学ぶことで、王室と国家は切ってもきれない強い力で結ばれていることが分かりますよ。

ヘンリー8世の結婚問題

イギリス王ヘンリー8世
出典:Wikiwand

テューダー朝の2人目の国王ヘンリー8世。彼はテューダー朝の基盤を盤石にするために、異常なほど男児の後継者を望みました。

そのために離婚を認めないカトリック教会から離脱し、イングランド国教会を設立。男児の後継者を求めて離婚と再婚を繰り返します。その結果として、のちにイギリス国内では激しい宗教対立が勃発しました。

さらに皮肉なことに、ヘンリー8世が望んだ待望の男児は若くして亡くなります。そして、最終的には娘のエリザベス1世がイギリス女王となったのです。

ヴィクトリア女王と大英帝国

ヴィクトリア女王とその家族
出典:Wikiwand

ハノーヴァー朝の君主であったヴィクトリア女王。夫アルバートに支えられながら、時の首相たちとともに国政に勤しみました。産業革命や植民地の拡大、ロンドン万国博覧会の開催などを経てイギリスを世界の帝国へと成長させたのです。

また、ヴィクトリア女王は夫と家族を何よりも愛していました。そんな仲睦まじい王室家族の姿が当時の国民の憧れとなり、現代の「ロイヤル・ファミリー」への人気につながったのです。

さらに、女王の子孫はヨーロッパ中の王室とつながりを持っているためにヴィクトリア女王は「ヨーロッパの祖母」とも呼ばれます。

イギリスの第一次産業革命とは?歴史や始まりの理由をわかりやすく解説

【まるで帝国】イギリスの植民地はどこ?歴史的背景、与えた影響なども解説

故ダイアナ妃の自動車事故

ダイアナ妃の葬儀の様子
出典:Wikiwand

名門貴族であるスペンサー家に生まれたダイアナ妃は元イギリス王太子妃です。夫チャールズ王太子との離婚後も地雷除去活動などの慈善事業に積極的な取り組みを見せ、国民から高い人気を誇る人物でした。

しかし、フランスのパリにて自動車事故に遭い、36歳の若さで死去します。国民は嘆き悲しみ、ケンジントン宮殿前にはたくさんの献花が捧げられました。

チャールズ王太子の意向で遺体は彼が引き取り、王室の伝統的な葬儀にて葬られています。イギリス王室から離れていたにも関わらず、王族としての葬儀を行われるほどダイアナ妃の影響力は強かったのでしょう。

イギリス王室の3つの伝統

ロンドン観光の名物「衛兵交代式」

ここではあまり知られていないイギリス王室の面白い3つの伝統を紹介します。

  • ①国会では人質を取る?
  • ②子供たちの長ズボンは禁止
  • ③白鳥の調査も由緒ある行事

イギリス王室には、1000年という長い歴史の中で築かれた数多くの有名な伝統が存在します。「衛兵交代式」など、中には観光客に人気の伝統行事もあるくらいです。

しかし、中には世間にはあまり知られていない伝統も存在します。これらの伝統を知ることで、何世紀も前のイギリス王室の出来事が今なお強く反映されていることが分かりますよ。

①国会では人質を取る?

国会開会式の様子
出典:Wikiwand

イギリス国会では、君主が下院(庶民院)を招集し政府方針を演説する伝統的な国会開会式があります。この際に行われるのが「1人の議員が人質となる」という慣習です。

17世紀の国王チャールズ1世が議会の手によって処刑されたことをきっかけに始まりました。しかし、今では単なる儀式的な要素でしかありません。人質の議員は君主が戻るまでバッキンガム宮殿に滞在し、君主の演説はテレビで視聴することが可能です。

②子供たちの長ズボンは禁止

ショートパンツに込められた伝統

イギリス王室では、6歳未満の王族の男児は長ズボンを履くことを禁じられています。「上流階級の男子は丈の短いズボンを履く」という伝統的な習慣があるからです。イギリスの階級社会をよく表していますね。

6歳以降になると長ズボンを着用できるようになります。これは「ブリーチング」という儀式でもあり、王家の男児が大人として認められる大切な習わしでもあるのです。

③白鳥の調査も由緒ある行事

白鳥調べ(Swan Upping)の様子
出典:Wikiwand

イギリス王室の伝統として最も面白く変わっているものといえば、白鳥調べ(Swan Upping)でしょう。この伝統行事が始まったのは12世紀頃です。当時高級食材であった白鳥は王室の所有物とされていました。

その白鳥を保護するために「白鳥調べ」が始まったのです。現在では食用の白鳥はいませんが、保護と教育活動として「白鳥調べ」は続いています。

1 2 3 4 5

コメントを残す