20位:布川事件-1967年
茨城県利根町布川で、大工の男性が絞殺された布川事件。近所に住む杉山卓男さんと桜井昌司さんが逮捕され、無期懲役の判決が下りました。しかし現場に2人の指紋はなく、自白も強要されたものでした。
2人は29年もの間、刑に服しています。その後、1996年に仮釈放され、2011年に無罪判決が言い渡されました。本事件は事件発生から無罪判決まで44年もの月日が流れており、これは戦後に起きた事件の中で最長です。
19位:島田事件-1954年
静岡県島田市で6歳の女児が殺害された島田事件。軽度の知能障害や精神病歴のある赤堀政夫さんが逮捕され、死刑判決が下りました。ただ自白は強要されたもので、供述と遺体の傷に矛盾もあり、1989年に無罪判決が確定します。
赤堀さんは34年もの間、刑務所で暮らしていた為、一時は実社会への適応も困難な状態でした。支援者の支えもあり、現在では死刑廃止運動に参加する事もできています。
18位:梅田事件-1950年
北海道で起きた2件の強盗殺人事件と、付随して起きた冤罪事件である梅田事件。後に2人が逮捕されますが、彼らは実行犯として知り合いの梅田義光さんの名を口にしました。梅田さんは激しい取り調べの末に犯行を自供し、無期懲役の判決が下りました。
梅田さんは1971年に仮釈放となった後も再審請求を続け、1986年に無罪判決を勝ち取ります。最初に逮捕された2人が、なぜ梅田さんの名をあげたのかは不明なままです。
17位:財田川事件-1950年
香川県財田村で闇米ブローカーの男性が殺害された在田川事件。警察は隣村で強盗事件を起こした谷口繁義さんを犯人と断定し、捏造や強引な自白で犯行を自供させます。谷口さんは死刑判決がくだるものの、34年の獄中生活を経て無罪を勝ち取りました。
なお、この事件は財田事件ではなく「財田川事件」と呼ばれます。理由は、再審請求時に判事が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と表現した事が由来です。
16位:松山事件-1955年
宮城県松山村で農家が全焼し、焼け跡から4人の遺体が発見された松山事件。警察は地元に詳しい斎藤幸夫さんを逮捕。証拠とされた「斎藤さんの血痕がついた布団」は、警察が捏造したものでした。
斉藤さんは死刑判決が下るものの、28年の獄中生活を経て無罪を勝ち取ります。しかし刑事補償金は裁判費用に消え、釈放後も生活は困窮。晩年は生活保護を受けていたそうです。