「戦国時代の女性はどんな扱いを受けていたの?」
「そんなに悲惨な境遇だったの?」
戦国時代といえば、織田信長をはじめとした武将同士の激しい戦いぶりが有名です。現代でも、勇猛果敢な武将の姿から人気の高い時代とされています。
しかし、そんな時代の影には戦乱の世を生きぬいた女性たちの悲惨な末路がありました。戦国武将を認知している反面、戦国時代の女性がどんな境遇で生活していたのか知らない人は多いですよね。
そこで、この記事では戦国時代に生きた女性たちの悲惨な境遇を、現代に伝わる逸話や出来事も交えて紹介します。この記事を読めば、戦国時代における女性の境遇や生活の様子を理解できますよ。
この記事を書いた人
Webライター
Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。
戦国時代に生きた女性の悲惨な人生とは?
戦国時代に生きた女性たちは下記のような境遇で生活していました。
- 女は戦の「戦利品」
- 夫の謀反は妻も処刑対象に
現代と違い、戦国時代において戦は日常茶飯事です。日頃から当時の女性たちは戦による誘拐や虐殺、道連れの処刑を覚悟して生きていました。
ここでは、戦国時代の女性を襲った悲惨な出来事を大きく2つに分けて紹介します。「戦国時代では当たり前だった」ことを念頭において見ていきましょう。
女は戦の「戦利品」
戦国時代において、女性は戦の「戦利品」の1つです。庶民女性は戦の混乱に乗じて誘拐され、人身売買にかけられました。なかには、その場で殺される女性もいたのです。
また、武家の娘である場合は、敗戦とともに逃がされることもあれば、夫や父親と一緒に自害することもあります。中には、武田信玄の側室である「諏訪御前」のように敵国の武将へと嫁ぐことになった女性もいました。
女性は自分たちの意思に関わらず、誘拐や人身売買、敵国との婚姻などを通して戦国時代の戦における立派な「戦利品」だったのです。
夫の謀反は妻も処刑対象に
戦国時代では、謀反が失敗した場合は本人はもちろんのこと、妻や子供にも残酷な処刑が言い渡されます。謀反とは家臣が主君を裏切ることであり、戦国時代では当たり前のことでした。
具体例でいえば、織田軍との戦の土壇場で主君の武田勝頼を裏切った小山田信茂が有名です。信茂の謀反に憤った信長は信茂と彼の妻や子供まで処刑しました。
他にも、謀反を防ぐために女や子供を敵国へ送ることも戦国時代の通例です。豊臣秀吉の妹である朝日姫や母親の大政所も人質となっています。当時の戦国大名にとって、女ほど戦の道具に便利なものはなかったといえるでしょう。
悲惨な人生を送った戦国時代の女性12選
ここからは、悲惨な人生を送った戦国時代の女性を12人紹介します。
- 1:おふう(奥平貞昌の妻)
- 2:おつやの方(織田信長の叔母)
- 3:築山殿(徳川家康の妻)
- 4:荒木だし(荒木村重の妻)
- 5:お市の方(織田信長の妹)
- 6:尊寿院(大友義統の妻)
- 7:駒姫(羽柴秀次の側室候補)
- 8:於和子(豊臣秀次の側室)
- 9:細川ガラシャ(細川忠興の妻)
- 10:おあむ(石田三成の家臣の娘)
- 11:茶々(豊臣秀吉の側室)
- 12:ジュリアおたあ(キリシタン)
彼女たちは著名な戦国大名の妻や娘であり、比較的身分の高い女性でした。しかし、戦国時代ではどんなに身分が高くとも容赦なく戦の犠牲となります。
12人の姫たちが送った悲惨な人生を詳しく見ていきましょう。